閑話.夕暮れ鴉の影法師 |
-- side エドワード・エルリック -- 目が覚めたら、あら不思議。な〜んてことは、よくあることだ。 おれはそう思うよ。なぁ、“おまえ”はそこのところどう思う? 師匠に錬金術を教わったのは短い期間。それでもおれたちは意気揚々とリゼンブールへ帰ったんだ。 今思い返してみても、あれは夢なんじゃないかと思う。 「何を浮かれているの?君たちがこれから向こうはいばらの道だというのに。 その手で行おうとしていることは、どうやら人の世では禁忌にあたるらしいのを知っているかい?その浮かれは、自分の身に危険を呼ぶよ。それとも・・・死にたいのかな?」 ――帰り道、突然声をかけられた。 そこにいたのは影。 ゆらりゆらりと陽炎のように黒を揺らして、“それ”はすぐ横のフェンスの上に腰かけていた。声が意外と近くから聞こえていたが、まさかそんなところにいるとは思わず、あまりの近さにドキリとした。 「人生楽しんでるかい少年たち」 その影がふいにニヤリとわらった。 いや、影のように揺らめく黒は、目の前の相手の外套だった。 上も服もブーツも黒い。 人だとわかっているのに、太陽の位置のせいか逆光になって顔が影になって見えない。唯一笑みの形をとっている口元だけが浮かび上がるように見える。 目の前にいるというのになぜか存在感を感じない。 まるでこの場だけ取り残されたような、あるいはこの場に他のものが入ることができないのか、周囲のだれも目の前の黒に気付かない。目も向けない。 不気味だと思った。 弟のアルフォンスもまた何かを感じたように「兄さん」とおれを呼びながらおれの背後に隠れる。その手がおびえるようにおれの服をつかんでいる。アルの手が震えているのがわかる。それで、どうやらおれが目の前の相手に感じる畏怖にも近いそれは、間違いでないのだと知る。 「やだなぁ〜。なんでそこまでこわがるのさ? まぁ、いいや。ここで会えたのもなにかの縁なのだろうね」 黒いやつはそういうと、ぴょんとフェンスからおびおりた。が、そのとき着地音もせず、近づいてくる際にも足音ひとつ立てなかった。 これほど目立つ黒なのに、これほど近くにいるというのに。 なぜ誰も気づかないのだろう。 こうして向かい合うとなぜか余計に目の前にはぽっかりと穴が開いているかのような。生も光も何もない空洞を見ているようなうすら寒さを覚える。 「奇跡は、二度は起きないから奇跡と言う。 けれど君たちが願い、そして君たち自身が“持つ”のは奇跡じゃない。それは世界の真理だ」 「しん・・り?」 「そう。世界の秩序にして、ただの人ごときには抗えぬ、神の域の制約(ルール)さ。 エドワード・エルリック。アルフォンス・エルリック。人の領域より先に進むなら―――【エルリック兄弟】その名を背負う覚悟を決めろ」 一歩彼が近づき、トンと胸を示される。 おれの心臓の上を指す影の人差し指。 ドくどくと心臓が早鐘を鳴らす。 このまま心臓をえぐりだされるのではないか。 彼は“何”を言っている? ジンタイレンセイ ハ 禁忌。 禁忌、人として犯してはいけないこと。 そんなことわかってる。 でも簡単だろ。だって人間を構築する物質は解明されてるんだぞ。だから―― 「さて。なら、偉大なる偉人の誰も成し遂げなかったのだろうね」 「っ!?」 まるで心を読まれたような気分だ。 言葉が浮かばなくて、彼の言葉の意味を理解したくなくて、思わず睨みつけたら、彼はふっと表情を和らげるように笑った。 「なら、行けるだけ突き進め。その先に光があることを信じ続けろ」 「ひか、り?」 「禁を犯すならば、覚悟してすべてを受け入れろ。そしてその目にすべてを焼き付けろ」 そうして黒は笑うと去って行った。 彼がいなくなると同時に周囲に音が戻ってくるようだった。 おれたちは腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んでしまった。 ―――そのときのおれたちは、わかっていなかった。 ただ ただ・・・ 母さんに もう一度 会いたかっただけ だったんだ。 |