|
14.焔の奥底の深淵 |
目を覚ましたら、オレは何も知らなくて、何もわからなくて―― 十年分の記憶を失っていたたことがあった。 ========== side レプリカルーク ========== 当時は本当にすべてを忘れてしまっていたから、感情も何もない赤ん坊同然で、記憶がないことが“怖い”っことだと思うようになったのは、随分あとのことだとだ。 怖くなかった。 いや、怖かった? やっぱり怖くなかったんだ。 だって側にはアシュレイ兄様やユー兄様、ナタリア、エステル、それに優しい母上や、口数は少ないが暖かい父上がいた。 だから彼らの期待にこたえたくて、頑張って勉強して、忘れたことを取り戻そうとした。 だけどどんなに頑張っても記憶の欠片さえ思い出せず、そんな自分に嫌気がさした。 記憶なんかどこにもなくて。 言葉も、文字も。感情というものが何かもわからなくて。 まるで赤ん坊だ。 そんな自分がいやでいやでたまらなくて、みんなの優しさに答えられないのがつらくて、乱暴な言葉を投げかけ、家庭教師には反抗して、いらいらばかりして我侭ばかり言って迷惑をかけていたこともある。 本当は心のどこかで、みんなも“昔の自分”のほうがいいに違いないと思っていたのもある。 “昔”と同じでないなら、いらないと言われてしまうかもしれない。 本当はオレはこの家の子じゃなくて、間違えられてつれてこられただけかもしれない。だって自分の名前さえ覚えていなかったのだから。 それなら本物のルルー・フォン・ファブレをさがさないといけない。 オレは本当は、ここにいてはいけなくて、彼らの家族じゃないのかもしれない。 それがばれたら、オレはこの暖かい場所を追い出されてしまうかもしれない。 そんな風に、“知らない”“わからない”ということは、オレには恐怖しか生まなくて、かまい倒そうとする兄弟や幼馴染みたちと一戦引いていた。 線を引いたのは、たぶんオレからだった。 だけど―― なくなってしまったものはしょうがない。なら取り戻す努力よりも、自分が自分で要る努力をするべきだ。前に進みましょうと、記憶がないままでいいのだと言い、変わりに今から新しい自分を作っていけばいいとさえ言ってくれたひとたちがいた。 記憶がないからオレが本当にレギンかわからなくて、たとえ本当の家族じゃなくてもいいのかと問えば、彼らは驚いたような顔をしつつも笑顔で抱きしめてくれた。 「当然だ」といわれた言葉に、それでようやく少しだけ肩の荷が下りた気がした。 そのあとは順繰りに抱きしめられて、ユー兄様やインゴベルト伯父上にまでギュッとしてもらったほど。 あの日以降、むしゃくしゃして八つ当たりばかりするのをやめ、“これから”を考えることにして、前に進むべく一歩すすんだ。 支えてくれるみんながいるから、怖くなくなった。 「人間必ずしも覚えていていたいことばかりではないですしねぇ〜」と苦笑しながら言ったのは、ユー兄様の騎士シュヴァーン。 十五歳の頃には騎士としてユー兄様の側にいたシュヴァーンは、若いながらも戦争の経験者だった。 彼らはオレがよほどつらい目にあったのだから覚えていなくて言いという。 だから何も知らない自分を、自分という存在を怖いとは思わなくなった。 自分を疑うことは、“オレが誰でもかまわない”と告げてくれた、優しい彼らの信頼を裏切ることになるから。 ありのまま自分でいいと思っていた。 だけど心の奥底では、おびえていた。 このまま何事もなく一生がおわるなんてあるわけないから。 またいつ記憶が飛ぶかわからない恐怖。もう二度と記憶がなくなることはない。絶対――なんてことは、有り得ないのを身をもってもう体験している。 ようやく居場所を見つけたんだ。ここにいていいって・・・場所をみつけたんだ。 それを失うのが怖くて、字の勉強として書き始めた日記を実はいまも続けているほど。 次に記憶を失ったら、オレは誰になるんだろう。 ずっと側にいてくれたみんなのことさえ忘れてしまうのだろうか。 みんなが優しいから、それを失いたくなくて、本当は一つだけ言っていないことがある。目が覚めたとき、あるいはどこかで記憶が続いていないと怖くてしょうがないんだ。 それはたぶん憎しみの感情や冷め切った目でみられるよりも怖いこと。 オレはオレでしかないけど。それはもうわかりきったことだけど。 怖いんだ。 失うことが怖い。 なのに―― 「なんで・・・。なんでっ!どうしてだよ!!」 さっきまでオレは、おやつの時間だからと、ファブレの庭先で幼馴染たちといつもの小さな茶会を開いていたんだ。 本当においしいものにあたると言葉数が減るユー兄様が、今日もまた無言でパイをほおばっていたはずだ。 エステルがそれに笑顔で怒って、ガイが仕事をサボってユー兄様に遊ばれて。 やっぱりここにレイ兄様もいてほしかったなぁとナタリアと話して・・・。 そうだよ。 幼馴染み四人で庭で茶会をしていたはずだった。 日もまだ高くて、ぽかぽかした陽気が気持ちよくて、ケーキの甘い香りと紅茶がおいしくて。 ペールの育てた花が綺麗であとでお礼を言いに行こうとか、育て方を教わったほうがいいんじゃないかとか――オレはみんなといたんだ。 それが気がついたら、空は真っ暗。 星も見えない真っ暗な、夜空の下。 暖かい陽だまりやペールが頑張った色とりどりの花が溢れる庭先ではなくて、かわりに周囲一面を埋め尽くす一色だけの花の群生と、むせ返るようなけれど柔らかい香り。 綺麗だとは思う。 綺麗だけど 「っ!!こんな花知らない!」 いや、本当はしってる。 ここがどこかとか、花の名前とか。 だけどそうじゃないんだ。オレの家の庭にはこんな花はないはずなんだ。 ないんだよ。 ファブレ邸でオレが“知らない”なんて―― わかってる!ここがファブレの屋敷でないことなんてすぐにわかったこと。 ここがどこかは知っている。マルクトのタタル渓谷だ。 ダアトにスパイとして潜入している兄アシュレイのかわりとして、“六神将のアッシュ”を演じたとき、導師がつれてきてくれた。 だから知ってる。 遠征があるたびに何度かよったこともある。 花が夜にしか咲かないのも、ここは魔物がこないのも、向こうには滝があることも、あっちからは海が見えることも。知っている。 ここがどこで周りにあるのが何か、すべて知ってるんだ。 けれど、じゃぁなんでオレはここにいるんだ? なんでこんな場所にいる? ――それは“知らない”こと。 「なんなんだよぉ・・なんなんだよこれ・・・」 何度も何度も必死に思い出そうとしても、オレが思い出せるのは、みんなで笑っていた庭先の記憶が最後だ。 記憶がどうしても現状と繋がらない。 それにパニックになりそうだった。 長い朱色の髪をかきむしって頭をたたいても何も出てこない。 もしかするとあの最後の記憶からすでに数日たってるのかもしれない。 いや、また十年とかたっていて、オレだけが覚えていないだけなのかもしれない。 本当に時がたっていたら、そうすると、オレを覚えている人たちはいないのかもしれない。 そんなの耐えられない。 恐怖に足が震え、力が入らなくて、そのまま地面にぺたりと座り込んだ。 セレニアの白い花びらが何枚か散ったが、それさえも今は恐怖をあおるだけだ。 散った花びら。進む時間。空白。わからないことばかり。 なんで? なんでなんでなんでなんでなんでなんで・・・。 なんっなんだよ!? ふいにフワリと陽だまりの匂いがする柔らかな風が、まるで自分を元気づけるかのように脇を通り抜けた。 あまりのことに驚いて、ビクリと肩がゆれる。 風に乗って、声が聞こえた気がした。 《だぁー!もう!なにしてんだよルーク!!ふて寝とかなんなの!?寝たらわけわかんなくて、自分が怖いだけだろ!!》 なんか・・・。 なんだろ? なんていうか、さ。 自分の声で、“自分に”叱咤されたような? いや、自分で言ってもいみわかんねぇけどさ。 優しい風からは想像もつかない愚痴のような声に、それに泣きそうだった涙が思わず引っ込んだ。 なんでだろう。 なんでだろう。 髪の短い自分が、頭を抱えて「うがー!」と叫んでいる姿がありありと脳裏に浮かんだ。 知らないはずなのに――現にオレは一度も髪を肩より短くしたことはない。 でも怖くはなかった。 本当にあやって騒いでいるもう一人の自分が、どこかにいるのかもしれない。 それはなぜか確信めいた思いで、おかしくなって笑った。 涙はもうない。 そうだ。 進まなきゃ。 オレは前に進まないといけないんだった。 |