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- 「夢主3」の異世界旅行記 -
02. 望まれない子供


孫に当たる者が産まれた日。
泣き叫ぶ赤ん坊の声とともに空から白い花が降ってきた。
それはなにかにふれると雪のように溶けて消えてしまうため世界を白く染めることはなく、驚き空を見上げる者たちの上にそれは幻想的なまでに美しく、優しく降り注いだ。
やがて泣き疲れた赤ん坊が寝入ってしまうと、幻の花は空から舞い落ちることをやめた。
そのあまりのタイミングのよさにまるで赤子の誕生を世界が祝福するかのようにな光景だった。

生まれた赤ん坊は、そのときの美しい光景からとって「空から降る雪」――ソラユキと名づけられた。





-- side 祖父 --
 





恐ろしいことに、産まれた子供は今までにないほどの霊力をもっていた。
まだ斬魄刀さえ持たない赤子が発しったそれは、軽く卍解した死神を凌駕する。
母親は力ある死神であったため命を取り留めたが、それでもあれの母親は死の淵を彷徨い、出産に付き合っていた医者や女中の数人が死んだ。

泣き止んだ子供がやっと寝入ったところで、霊力の放出は収まったが、そのときの館は騒然たるものだった。
その力は、五大貴族の一人、那由多の次期当主としてはふさわたしい霊力といえよう。

龍脈の力を借り、龍脈を守り続けていたわが一族には、強い力がなくては龍脈を従えることは不可能。
赤子のうちからこれだけの力を秘めているのならば、きっと私の息子がなしえなかったことをまかせられる。
龍脈は力がなければ守れないのだから。

しかしまだ自我もない生まれて一年もたっていない赤子にはすぎたる力だ。
その巨大すぎる力は、自我を備えた後についたものであれば問題がなかった。自我がないゆえに、押さえが利かない。ゆえにそれは、制御などはじめからなく、たびたび暴走することがあり、そのたびに使用人がたおれ、屋敷の者たちからの不満が募っていく。

しかたなく、一度赤子は離れに隔離して育てることとなった。
世話ができるのは、同等の力を持つわたしだけだったので、赤ん坊の育て方を乳母に教わり準備を整えた。

まず子どもを隔離するために、離れには厳重な結界がはられ、さらには重罪人にほどこすのとおなじ霊圧を徐々に削り取っていく封を施した。
それでも赤子の力の暴走は止まらず、赤子が泣けば霊力が台風のように吹き荒れ、周囲のものを破壊していく。
あまりの力の巨大さを目のあたりにし、やりたくはなかったが、赤子の手足に枷をつけた。
しかしすべての霊力を抑えてしまうはずのその枷や結界でさえ、数度粉々に砕け散った。
術式はつど直す必要があった。

そうこうしているうちに、ふとわたしは気づいてしまった。
赤子がこちらを認識していると。

子はこちらをしっかりみて、話を聞くような仕草をし始めていた。
さすがに霊力が強いだけあって成長が早い。

言葉で言い聞かせたほうが新たな術を組むより速そうだと、赤ん坊にお前の状況を説明してやった。

やはり赤ん坊はこちらの言葉を理解していたのだと、すぐに思い知ることとなった。
説明後は、赤ん坊の癇癪とともに放たれていた霊力の嵐も起きなくなったのだ。
子供が自我に目覚め、力も安定し始めたためだろう。
あるいは――幼くして、その意思であれほどのものを自ら押さえ込んだか。
後者だとしたら、それはいかんせんとんでもないことだ。

だがこれでようやく、この子は人と共にあれる。
力を抑えることができたことで、わたしはそれを喜んだ。

やがて子の力が安定すると、離れからだし、わたしたちと同じ屋根に戻した。

しかし子の力に恐怖した輩が、このままこどもを生かしておくと危険だと騒ぎ始めてしまった。
力を暴走させては人を死なせてしまった事実もある。

そのせいで、まずこの子の母親たるわたしの息子の嫁が、子を拒絶した。
それがきっかけだったように思う。
館の者らの心に波紋をたたせ、子を怖がるようになってしまった。

こどもなら新たに作ればいいと、息子夫婦を筆頭に言ってくる。
息子にはあまり霊力はない。霊力のないものでは、龍脈の力を抑えることも安定させることもできない。

だが、その事実を理解しない息子は、嫉妬にかられ我が子としてはみれないようだった。
しまいにはいつ自分達が赤子に殺されるのかと、館中はおかしな疑心暗鬼に取りつかれた者たちであふれ出した。
こどもはより嫌煙され、忌避されることとなった。

幾人かの良識あるものと、我が家がどういう存在化を理解している古くからいるものだけが、子を認めた。

ただこれの母親も出産のときの衝撃から立ち直れずいまだ伏せたままであったため、子を抱くこともせず、あれは自分の子ではないと叫び続けてくるっていった。
結局こどもの名前を一度さえよばず、子の母親はなくなってしまった。

嫁が死んでから、赤子の力を脅威とみ、完全に力が抑えられているのも構わず、今度は父親が狂った。
いや、はじめからあの子は心が弱く、我が家の重圧に押しつぶされていたともいえる。
それを対処できず、我が子にさえつらく当たる息子に、わたしがどうこう言えるはずもなかった。

あの子が生まれた気の霊圧を忘れられないがため、息子は自分の非力さを知り、跡を継げないことをうらんでいるのだろう。

産声とともに発せられた、心のさらに奥、魂にそのまま刻み込まれるような巨大なあの霊圧。
あれを忘れられないものは多い。
力の巨大さにおびえるもの。
その力にあてられ気が狂ったもの、病がちとなったもの。
霊力をもたなかたっために一瞬で死んでしまったもの。
力あるものは己の限界以上の力を見せつけられ、おのれの矮小さをしらされた。

その力を渇望し、子を己の人形とたくらむもの。
あるいは恐怖や羨望がいつしか憎みにかわったもの。

大人の身勝手な思惑などしりもしない無垢な赤子は、身を守るすべもしらず、彼らの憎悪やさげずみの言葉をむけられ育った。
当主とはいえ、老いたわたしには子をかばえる限度があった。
見てるだけで手の出せない範囲が多く、その後子供に多く与えられたのは、身内からの愛情でも温もりでもなく、優しい言葉でもなかった。
与えられたのは、上に立つものとして恥じない知識と矜持だけ。
息子が子に与えたのは、親としての愛などではなく己の駒として役立つか否かだけ。

けれどその子供が、時代の当主として上座に据わることはないだろう。
わたしの息子もしかり。

誰も気づいていない。
すでに当主としての器は、わが孫に引き継がれている。
赤子だった子は、無意識化ですでに龍脈の流れを調整し、その守護を担っているのだから。
だからわたしの息子が当主となることはない。
赤ん坊のころより自我のあったあの子にはできる限りのことを教えてきた。
そんなわが孫が、あの嫉妬に取りつかれた息子の言うことをおとなしくきいているはずはない。

あの子はもう「自分の在り方」を理解している。

あの子が父親に望まれたのは、力の制御。そして次代としてのかわりが生まれるまでの・・・次期当主としての振る舞いだけ。世界と貴族についてのありようなどといった勉強だけ。こどもはあくまでもかわりができるまでの道具として扱われた。
道具に感情は不要だ。力がないのなら役立たずはいらない。と、子どもに行っては、周囲にもそう扱うように指示を出していた。

誕生時の影響で屋敷の中では子の理解者たち以外こどものそばには近寄らなかったし、あれの父親がわたしが寝込んでいるわたしをいいことに、自分が当主だと言い張って好き勝手していたのもよくなかった。

いつしかあれほどの力を扱える者の未来をおそれ、赤ん坊に身勝手な恨みを抱くものからの執拗な毒殺や暗殺者がおくられるようになった。

もはやなにがきっかけはわからない。

貴族だったから、身内から以外も周囲から余計な嫉妬はあったし、おいやってやろうというものは多くいた。
その者たちの不公正が赤子に向かったのだ。

もしかするとその場違いな不の感情を向けられたためか。それともそうあるべくして起こったのか。子どもはすべての苦行に耐えながら、感情を殺してその後も生き延びた。



「力がないのなら役立たず」

あるときから、わたしの息子は、我が子にそうののしるようになった。
それはまるでのどをさくような鋭く痛々しい感情が込められ、まるで呪詛のように息子の口から毎日のように紡がれた。

息子のその言葉をきき、「ああ、あの子にそう思わせてしまったのはわたしなのだ」というおもいにもかられた。

龍脈の守護という一族柄、力が通常より強いものでないとこの土地では長生きできない。
そのため早くに妻を亡くしてしまったから、わたしは息子を守るために必死だった。だが、わたしの必至な気持ちは息子には伝わってはいなかった。
うまく接することができなかったのだとおもいしり、自分の言葉のなさに悔やまられる。

当主となったとたん龍脈の力は一気にその身に流れ込む。
ほかの貴族と同じぐらいの霊力では、龍脈の巨大すぎる力に飲まれてしまう。
妻を早くなくしたわたしは、息子までなくしたくはなかった。
わたしは息子をまもりたかったのだ。
息子の器では龍脈を受け止めることができず、龍脈に押しつぶされてしまうのが目に見えていた。だから次代が生まれるまではと、息子に当主の座をけっしてゆづらないと決めた。それが息子の心を傷つけていたとはおもわなかった。

だから必死にとめはしたが、息子にはその行動が自分よりも孫をかばっているようにみえたのだろう。よけいに息子の心に暗い炎をもえあがらせてしまっただけなのをみて・・・しだいにわたしは孫をかばうのをやめたのだ。

幼いながらに言葉を理解する孫には、もうわたしはお前に何もしてやれないのだとは伝えてある。
賢いあの子は、すぐに笑顔で頷いた。


その後も息子の暴走は止まるところをしらなかった。
いつまでたっても子に、かける言葉は変わることはなかった。
我が子だというのに、必要以上の接触も教育もさせなかった。とく心に関する知識を与えることをしなかった。心、すなわち家族が何かも人の心に対しどう思いどう考えるべきなのか。などといった一般的なことをだ。

しかしこどもがある程度成長すると、力を得るためにと学校へ入れた。
しらにあのは息子だけ。
あの子はすでに斬魄刀を顕現できるというのに。

このころの子は、感情を表面に一切出さず、最低限の言葉しか話すことのできないまま成長していた。
いまでは己で制御しているため、赤子の頃のあの力の片鱗はみじんもない。
息子がそれに気づけばよいのだが。

ああ、でもやはりあの子の本当の実力に気づくものはいなかった。
やがてこどもが物を食べる必要がなくるなるほどに霊力がおとろえると、おとなたちは子供に「貴族の恥だ」「一族の長となるべきものに霊力がないなどとなげかわたしい」と、いままで一度でさえ子供に跡を継がせる気のなかったものたちが、手のひらを返したように口々に騒ぎ立てた。
恐れるべき力を失った子供など怖くないとばかりのひどい手のひらの返しようだった。

大人らは「霊力のないただの子供など子の一族にはいらない」と、「いかしてやっているだけありがたい思え」と、自分を正当化し始める。
けれど醜さを知らぬこどもは、それにこたえるこころはない。

望まれない子供。
それがあの子だった。

やがて息子がたずねた問いに「斬魄刀はだせない」というこの言葉に、息子がきれた。
いろいろな勘違いが交差した末のことであろう。
それでも息子たちは、あの子が成長とともに力を失ったのだと思い込んだ。

そしてかなしいことに、あの子は再度封印術を施され、あの牢のような離れへと隔離された。
けっしてあの子の霊力がなくなったわけでも、一族の恥などでもないというのに。


わたしがあの子のことをしれたのは、そこまでだ。

最後の別れ際、あの子に会うことはかなわない。このままわたしは、わたしをひとり見送ろう。

愛しい孫…というのはちがうだろう。
哀れでかわいそうな孫だった。
あれは龍脈と一族への最後の贄。
だからかまってしまった。

だが。それ以上に、わたしは息子を愛していたよ。
贄になどさせまいと、生きてほしいと願ったわたしの気持ちは伝わらなかったのだとしても。
愛していたのだ。





ああ、だれか。
あの哀れで無垢な雪のように何もしらない孫に救いの手をむけ、ここから逃してくれるものが出ればいい。

わたしではかなわなかったのだ。

あの子が笑った時。
自由を手に入れたとき。
きっと。

そのときは、我が一族のおわりのときなのだろう。





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