>00.その背を見送る |
オーキド・ユキナリ。 通称オーキド博士は、カントーの新人トレーナーにポケモソを手渡す役目を担うポケモソ研究の権威である。 今回彼を訪れたのは、各町から訪れた今年十歳になる四人のこどもたち。 こどもたちは旅が楽しみでしょうがないのだろう。 それぞれ早朝からきて、ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネと一匹ずつポケモソを選んで旅立った。 最後の四人目だけは、指定の三匹ではなかったが…。 その四人のうち、二人はこのマサラタウン出身の子供たちだった。 ひとりはオーキド博士の孫にあたる少年シゲル。 そして騒々しくパジャマで訪れた少年はサトシ。 うっかりしていたため寝坊で遅刻した少年には、つかまえたばかりで人嫌いのピカチュウが手渡された。 過ちか故意か。 ピカチュウを新人トレーナーに手渡してしまったが、オーキドに悔いはない。 たとえサトシを見送るべく集まった町のみんなと共にオーキドもかのピカチュウに電撃をくらったとしてもだ。 オーキドや彼の母親であるハナコを含め、町の住人達は、ゴム手袋を装着してパジャマでドタバタと出立していく本日最後のトレーナーの後姿を生暖かい目で見送っていた。 遠ざかっていく黄色のポケモソと、それをひもでひきずる姿が、たまにカッ!と光ることから、最後の新人トレーナはその後も何度か電撃攻撃を浴びせられているようである。 その閃光に、人嫌いのピカチュウという種族らしい――と苦笑がもれる。 「でも博士」 ピィーカ、ヂュウゥゥゥゥゥ!!!ぎゃぁぁぁ・・・・… 「あ、また光った」 「威勢のいいピカチュウだなぁ」 「サトシのやつ、大丈夫か?」 「いま、悲鳴が…」 「………博士。やっぱり初心者にピカチュウは…その、荷が重すぎるのでは? あんな調子では、今頃彼きっと焦げてますよ」 「しかたなかろう。今回は四人だとは思ってなかったんじゃ」 「用意が足らなかったからって…ピカチュウとうまくやれるとは到底思えませんよあの子」 …ゅううぅぅぅぅぅ・・・・!!!!バリバリバリドッカーン!!! 「雷か?」 「……落ちたなぁ〜」 「サトシちゃん無事かしらぁ」 「・・・博士、やっぱり」 「う、うむ…そうじゃのぉ」 「まぁまぁ、いいじゃないですか。サトシちゃんとピカチュウ。意外と凄いパートナーになるかもしれませんよ。“誰かさん”みたいに」 遠のいていく閃光をみていた若い助手とオーキドの顔が若干ひきつった。 いまなら追えば間に合う距離である。 いままでの自信はどこへやら、ひきとめるべきかと悩み始めたオーキドに、二人の仲を取り持つように割って入ったのは、この町の住人だ。 それに続くように住人達が頷き、彼等は遠い昔の光景に思いをはせる。 同じようにオーキド博士からポケモソをもらい旅立っていた赤い少年ことを。 その側には最後まで、ピカチュウがいたこと――。 「“また”うちの里から《ピカチュウをつれたトレーナー》がでたのは、きっといいことさ」 「それじゃぁ、ピカチュウをつれたトレーナーは出世する――なぁんてジンクスできそうだな」 「まぁ現に一人目のピカチュウを連れた子はポケモンマスターまでなって。ありゃぁとんでもない出世だった」 「それもそうだなぁ」 「ピカチュウに、赤い帽子の少年…かぁ」 「なつかしいねぇ」 「ほんとうにねぇ。サトシちゃんをみていると“だれか”を思い出すわ」 「ああ、たしかに」 「そうだな。“元祖ピカチュウのトレーナー”なら、相変わらずどこかで山籠もりでもしてんだろ」 「「「レッド…かぁ」」」 「あいつがマサラを旅立ったのは何十年前のことだったけねぇ」 「いまなんかあいつの家ないしな」 噂好きのおばさんたちを筆頭に始まった話に、オーキドも心当たりがあるのか首を縦に振る。 そうして“彼”を知らない助手にも『レッド』について補足的な説明をすれば、その名をきいて若い助手は目を丸くするものの、「本当にいたんだ」とだけつぶやき、以降はおとなしく彼の過去話に耳を傾けた。 そんな中、亜麻色の髪をゆるく一つに縛った女性――サトシの母親であるハナコが、不思議そうに首をかしげた。 「何十年…もう、そんなになるんですか?」 「おや。あの奇想天外のことを知らない子がまだいたんだねぇ」 「そういえば、ハナコちゃんはあいつがチャンピョンになったあとに生まれたんだものね。あいつの旅のことしらなくても当然か」 「あの無口、無表情。それでいてポケモソバトルだけは強かったわい」 「十歳で旅に出てそのままチャンピョンになって、翌年にはマスターだぞ」 「あのこは本当に規格外だったよ」 「きいてはいましたけど…やっぱり、凄いんですねぇ」 「いや。ちがう。だんじてちがうぞハナコちゃん。あいつに対する“すごい”ってのは、バトルの強さのことでも経歴のことでもないぞ!」 「そうなの。何が凄いって、あの無表情具合が凄いのよ」 「だって、その理由が“めんどくさい”よ」 「あきれちゃうわよね〜。ふふ、でもね、それでも普通の子供みたいにやんちゃでね」 「ちがうわよ!やんちゃじゃなくて、ああいうのは、ただの変人っていうのよ」 「変人すぎて、だれも里の外の人にレッドの素顔なんて言えなくてよぉ、そんでみんな貝みたいに口を閉ざしたもんさ」 「そういえばレッドのやつにもはじめのポケモソはピカチュウをやったのだったなぁ。というか、あれは勝手にレッドになついてついていったオチだったか。 まぁ、当時は、それほど初心者に何のポケモソを渡すとか決まりはなかったしのう。うむ。懐かしいかぎりじゃ」 ――《レッド》。 それは夢に胸ふくらませる子供たちが一度は口にする名であり、いまだ頂点に君臨し続ける男の名前である。 ポケモソマスターレッドといえば、知らぬ者はいない存在であろう。 史上最年少マスターにして、不敗伝説が現在進行形で続いているほどの強者。 しかし彼個人については、容姿と出身地以外のことは、まったくしられていないの現状だ。 なぜなら本人は口数少なく、彼自身が彼を語ることはなく。あげくどれほど報道陣やファンがつめかけ探そうとも、故郷であるはずのマサラタウンで彼の形跡は一切存在せず、同郷の者も彼のことを語ることがなかったためだ。 そのミステリアス具合が人々の更なる好奇心を刺激し、最年少ポケモソマスターレッドの名に拍車をかけたのは言うまでもない。 いまとなってはその存在そのものが疑われ、一種の都市伝説のようなものとなっているほどだ。 ハナコとて、マサラタウンの住人だ。レッドのことは、幼い頃からずっと子守唄代わりに聞かされて育ってきた。 なにより同じ里の住人である。当然、当の本人と面識があり、彼の存在が夢幻などではなく実在することは承知である。 ハナコの場合、同じ年頃の男の子たちのように“ポケモソマスター”という目標としてあこがれることはなかったが、あの赤い存在を追いかけ続けていたのは他の子供と同じである。 レッドのことは、ハナコにとっても特別な存在であり、それはマサラタウンの人間にとっても同じ。 世間に彼のことを話すものはいないものの、今でもあの赤い人物のことをマサラタウンのひとびとは誰一人として、忘れたことはいない。 『山籠もりレッドのことはどうでもいいよ。みんなむしかえしすぎ。 ――それより、新しい旅立ちを祝うべきじゃないかな?』 だんだんとレッドのことで盛り上がってきた住民たちの会話を遮るように、ふいに響いた声に、その場にいた全員が空を仰ぎ見る。 視線の先。声の元。そこには青い空を背景に、虹色に輝く飛行タイプのポケモソが悠然と翼をはばたかせて空中でとどまっており、かなりの高さがあるにもかかわらずその背から音もなく人影がとびおりてきた。 トンと軽い音だけをたてて着地した青年は、赤い髪をなびかせて何事もなかったように降り立った。 それにマサラタウンのひとびとはどきもをぬかされるが、相手がだれかわかると、すぐに笑顔となって、赤毛の青年に「お帰り」と彼の帰郷を歓迎した。 「おかえりなさいさん」 「あらら。こりゃぁまたずいぶんと派手な登場だねぇ」 「今度はどこに行ってきたんだいや」 『ただいま』 「探し物はみつかった?」 『いや、だめだね』 「まぁ、地道に探すしかないさね」 「そうね」 赤毛の青年は、なぜか旅と無縁そうなウェイターのごとき黒い恰好をしていたが、そこにつっこむ者はだれひとりとしていない。 むしろあいかわらずだなぁという雰囲気が周囲からあふれている。 それから赤毛の青年は、空から滑空してきたポケモソをボールにもどすと、土産だと言って手にしていた珈琲豆の袋をくばっていく。 今度はどこのブランドだと笑う彼等から、ウェイター姿なのもお土産もいつものことであるとわかる。 『サトシは旅だったんだね』 彼が戻ってきたのを境に、レッドの話はそこで切り上げられ、現在の話に戻る。 話の中心は今年旅だった新人トレーナーのこと。 赤毛の青年は全員に豆の袋がいきわたった後、ほとんど豆のように遠ざかった小さな二つの影をみて――見定めるようにその金に近い黄緑の瞳を鋭く細めた。 「サトシちゃんの見送りにわざわざ戻ってきたのかいっちゃん」 『さて。それはどうだろうな。 買い被りすぎだろ。オレはそこまで優しくないさ』 「まぁ、この子ったらまた照れちゃって」 『オレだぞ。家族だっておいて旅をしてるオレが、わざわざ誰かの旅立ちに首を突っ込んだりしないっての。・・・本当にただの気まぐれだよ』 「よくいうよ。おまえさん、サトシのことけっこう可愛がってたじゃないか」 『そりゃぁ近所だったしなぁ。でも、むかしのことだろ』 「ふん。ようやく風来坊が帰ってきおったと思ったが。これじゃぁレッドとかわらんな。赤いやつらは、どいつもこの町に長くはとどまりはせん。お主、その様子じゃぁ、またすぐに旅立つんじゃろう?相変わらずバイト姿のまま戻ってきおって」 『休憩がてらに飛び出してきたからなぁ。オレのこともレッド(過去の人間)と同じくらいどうでもいい話しだ。なぁ、ユッキー』 「ユッキーよぶない。わしはお主よりも年上なんじゃ。年配者に敬意を払うのは礼儀じゃぞ」 『はいはい。オーキド・ユキナリ博士。以後気を付けますって』 赤毛の青年とオーキドのやり取りは軽いもので、それが常の挨拶であるとわかる。 街人たちもまたと呼ばれた赤毛の青年に声をかけつつ、二人のやり取りをのほほんと見守っている。 そんな彼らに苦笑しつつ、もうほとんど目視はできない距離に行ってしまったトレーナーの方を指差して、は若干困ったように頬をかいた。 『それより悪いねぇ、ユッキー。あの子も"ピカの子"だろ?すっかり研究所であいつのこどものたちが増殖しちゃったみたいで』 「オーキド博士と呼ばんかい。…ピカチュウのことじゃな。いいかげん近隣にあやつらを放すのもどうかと思うての。 各ポケモソセンターに予備電源代わりに配るのも、ちとな。 かといって森に離すのも限界がある。 今回なんか、ついにトレーナーにまで配ってしまったほどじゃ。子だくさんも勘弁してほしいものじゃ」 『そういわれてもピカの嫁さんは一人だし。そもそもピカにこどもは一匹しかいなかったはずじゃぁ・・・いや、うん。本気で悪かったなぁと思うんだけど・・・え?何で増えた?』 「ふん!悪いと思うなら、ふてくされているお前のピカチュウを旅に連れて行かんか」 「あら。もしかして、サトシのピカチュウって…?」 『ああ、そうさ。ハナちゃんの想像どうり。サトシが連れて行ったピカチュウさ、ピカの血族みたいなんだよな。 ほら、グリーンがたまごを拾って生まれたあとなぜかレッドになついたというミラクルをおこしたあのピカ。いまはオレの名義だけど。まった、本当にオレの名義でピカのトレーナーに登録されてるのか?』 「まぁ、レッドはともかく。ピカのトレーナー登録は“おまえ”さんになっていたのは間違いないはずじゃが。うむ?変更はしたんじゃったか?・・・血統書はどこだったか。されてないとお前さんにピカをかえせないのう」 『ううーん。なんかあやしいけど、まぁいいや』 「サトシのピカチュウは“レッドのピカ”の子供の子供にあたるのね」 『うーん?ひ孫かひひひ孫の可能性もあるっぽいけど』 「レッドのときも。のときもそうじゃった。旅に出るといって、ピカをおていくものだからわしがあずかっておったんじゃ」 『まぁ旅先がちょっと特殊だったから限定した能力のあるポケモンしか連れていけなかったんだよね。で、ユッキーにあずかってもらったたんだけどさ。いやぁ〜。ピカ様ってば、その、気づいいたら・・・増えちゃってね』 「正確にはピカの孫から増殖しおったのじゃ」 「まぁ!じゃぁ、あのピカの子供なのね。なら、サトシも安心ね。ピカはしっかりしていたものね」 『ピカの血縁と性格は一致しないかもしれないだろうがね。ポケモソもひともそれぞれ。 みんな性格もなにもかも異なるってことさ。現にサトシが連れて行ったあのピカチュウは攻撃的すぎ。よっぽど人が嫌いみたいだし。 でもサトシなら、大丈夫。いや、ちがうか。“サトシだからこそ”大丈夫。 たとえ今、ちょっとばかしサトシが、ピカチュウに嫌われていたとしても――心配することはないよ。 博士。ハナちゃん。オレはね、思うんだ』 あの二人はだれよりもいいコンビになるって。 『だって二人はパートナーなんだからさ』 青年は何かを思い返すように鮮やかなまでに明るい黄緑色の瞳をとじると、もう一度『大丈夫』と言葉を繰り返す。 つぎにひらかれた瞳には、自信にあふれた強い光がのっていて、さらに陽の光を反射して色みをました、黄緑のそれは赤交じりの金に煌めいていた。 その強い眼差しと言葉にオーキドはうながされるように、いまだ不安げな表情を浮かべていたハナコに「そのとおりだ」と頷いた。 「四十年前から、あの子のパートナーは決まっておったのじゃよ」 『そういえばそんなこと、どっかの誰かが言ったらしいなぁ。なぁ、ユッキー。 セレビィと出会った“ユキナリ”もピカチュウをつれたトレーナーと出会ったんだって?』 「はて?わしもユキナリじゃが。はてさて、なんのことだかの」 楽しそうにフォッフォッフォと笑うオーキドに、もまた多くは告げず静かな笑みを返す。 それにハナコも表情を緩め―― 「元気に育ったでしょうあの子」 一歩前に足を踏みだしオーキドの横に並んだハナコは、母親らしい優しい笑顔を浮かべて、と向かい合う。 “あの子”と、そうくちずさむとき、その視線がもう見えない我が子の去った方へ向けられる。 それにすぐにも周囲も、彼女の言うそれが誰を指すのか理解する。 『うん。そうだね。……もう、サトシも十歳か…』 「ええ。あのひとが旅に出てからそれだけたつわ」 『……そっかぁ』 十年。その単語に一瞬陰ったハナコの表情に、は慰めるようにその頭を優しくなでる。 そして先程ハナコが向けていた方へ視線を向けて――。 は何かを思い出したように、突然顔をしかめ、表情を険しくさせた。 『ところでハナちゃん』 「なぁに?」 先程までとは異なる真剣な声音に、ハナコが顔を上げる。 そのときはハナコには視線を向けておらず、彼の目はサトシが去った方を見つめていた。 そして――― 『君の息子、パジャマで外に飛び出していったけどいいの?』 告げられたことばに、ハナコは一瞬キョトンとしたが、すぐに意味を理解すると顔をポッと赤らめた。 「あら、やだ。もう、あのこったら」 ――オーキド研究所前で、ドっと笑いが起こった日。 ギザギザシッポに赤いほっぺ、黄色の電気鼠をつれた新人トレーナーが、白き始まりの町を後にした。 |