08.月と無垢なる子供 |
-- side クリムゾン -- たったひとりの息子が誘拐された。 ナタリア殿下、否、メリル嬢と出かけたその帰り道の最中だったらしい。 あれから一年以上が過ぎた頃、ひとりの男が“ルーク”を発見したと、赤毛の子どもをつれかえってきた。 帰ってきたのは、ワインレッドのような深みある紅色の髪ではなく、夕日のように明るい朱にも近い髪のこども。 瞳の色も少し記憶にあるそれより薄く感じる。 一切の記憶をなくし、言葉も日常生活も何もかも忘れたその子供を男はルークだと言い張った。 たしかにこの子がルークであり、本当に“助けた”という状況であったならば、男は息子の救い主なのだろう。 しかし“それ”じたいがあやしい。 あふれる矛盾にもきづかないのか、ヴァン・グランツは、それ以降当然と言った我が物顔でキムラスカを訪れる。 初めてこの男と出会ったときから、言動のすべてに違和感と不敬しかおぼえないというのに、あげく子供の“異常さ”にもシュザンヌは気付かない。 あの子供は誰なのか。 秘密裏に再調査を行ったところ。 ダアトに赤い髪の子どもがいるらしい。 もっと詳しく内部調査が必要だと思ったところ――【ラカ・ブリハスパティ】と名乗る子供が屋敷を訪れた。 ラカは、ダアトの導師イオンからの書状を携えた正式な使者であり、そして亡命者でもあった。 【ラカ・ブリハスパティ】とは、『ルーク』の名と同じく言葉に意味を持つ。 ラカ(raka)とは、満月の夜。 ブリハスパティ(b?haspati)とは、知恵と雄弁の神の名であり、ことばの意味としては「祈祷の主」という。 ―――満月の夜の信託者 その意味するものだけで、目の前の子どもが“誰”であるかを理解した。 しかしなぜ? 彼の目的はなんなのか。亡命とはなぜ? “ラカ(満月)”と名乗るその子供を受け入れることは、私としてもなんら差しつかえはない。 素性は『導師イオンからの書状』があれば十分保証できる。 今はただルークが戻ってきたこのタイミングで、彼が来たことの意味を考えるべきだろう。 この子が何を思って、マルクトではなく、キムラスカのこのファブレ邸にきたのかを知るためにも導師イオンからということになっているその書状と彼の亡命を応諾した。 そしてラカには、ルークのみがわりとされた子供の世話をまかせることを決めた。 ラカは謙虚な態度をとっているが、そこに隠れる叡智の輝きは隠せない。 それもしかたないことなのかもしれない。 はなしにきいた『導師イオン』は幼くして導師となられたというからには。 だがそのおかげでそつなく物事をこなし、あっというまにラカはこのファブレ邸の使用人として馴染んでいった。 「お前はよく空を見上げているな」 「だ、旦那様!?」 ルークは、あの幼い子は、いったい誰なのだろうか。本当はなんという名前なのか。 もうあの子も寝ただろう時刻。 ようやく執務を終えて、寝室へ戻ろうとしたら、子供部屋の近くの廊の大き窓から外を見ている小柄な姿を見つけた。 ラカと名乗って我が屋敷を訪れた――黒い髪に、緑の瞳の幼い子供は、ルークの側月に命じた。 何かを恋うように空に浮かぶ月を見あげる姿に、この子供が月を見てそこに何をおもったのか、彼が求める者が知りたくて、思わず声をかけていた。 「やはり故郷が恋しいか?」 「いいえ。あんな国は滅べばいいとは思っても、守りたい、帰りたいとは決して思いません」 「そうか…」 「?」 故郷への思い出はないとするならば―― 「お前が“月”ならば、お前の“太陽”はどこにある?」 求めたのは“そちら”だったようだ。 私が告げた言葉に、ラカは驚きに目を見張る。 ――なぜ、そのことを? 音にはならなかったその疑問に、苦笑が浮かぶ。 私をなめるなと、告げるも、気持ちはおだやかなまま、否物悲しいまでの自重が含んでいたかもしれない。 「古き言葉だ。 “ラカ”とは満月の夜をさしたな。音に意味を持たす時代の言の葉。古い古い言葉だ。 だが、ダアトの導師なら知っていてもおかしくはないだろう。 しかし国のトップが滅べと望む国は、長くはもたないだろうな」 私の言葉にハッと表情を変えて警戒をあらわにしたラカ、いや、元導師イオンだったが、私が彼の横に立って彼が見上げていたヨゾラへ視線を移したことで、何かをあきらめたように肩から力を抜くと警戒を解いて、逆に尋ねかけてきた。 「貴方はどこまでご存じなのですファブレ公爵?」 「私には、始まりがどこで終わりがどこなのかわからない。 どこからどこまでが“すべて”をさすのか見えていない。 お主が思うよりも、知っていることは遥かに少ないであろう」 「……ですが、あなたは“何かが起こっている”のをご存じだ。 知らない者の方が世の中多いんですよ。 教えて下さい」 「“予言はなんのためにある?”初めの疑問はそれだった。 そして、息子に読まれた繁栄と死の予言。 予言に読まれていないのにもかかわらず、行方をくらましたままの子供。 矛盾したダアトの謡将。 あるときを境にたまにダアトでみかけられるようになった赤毛の子どもについてぐらいか。 だがそれは“あのこ”じゃぁ、ないんだろう? なぁ、導師イオン。あの子はどうしている?」 「さすが智将と名高いファブレ公爵だ。 ボクはあなたを買い被っていたようだ」 ダアトに、紅色cの子どもがいるという。 それはこの屋敷に“ルーク”として朱色 color="#0095d9"の子どもが連れてこられた日と同じ時期。 でも調査をしたものの言を信じるのなら、私のルークではないように思えるのだ。 その答えを、彼ならば知っているはず。 あルークが館にいる間、一度たりとも親らしいふるまいをしてやれなかった。 今度こそと思うことはできないが、心配しないはずがないだろう。 期待を胸に、ただ導師イオンの次の言葉を待った。 「改めて、お初にお目にかかります。クリムゾン殿。 お察しの通り、ボクは導師イオンだったもの。 今は弟に“導師イオン”を押し付けていますがね」 「弟…。そうか今ダアトにいるのは。どうりでおかしいと」 「やはりそこまでご存知でしたか」 ちゃめっけまじりに告げられた驚愕の事実に、驚くよりも納得してしまう。 先代導師エノベスにはお会いしたことがあるが、今代の導師のことは噂でしか聞いたことはなかった。 それでもここ数か月、彼の様子は、間諜が報告してきた内容を考えるだけで眉を寄せる者だった。 導師が一人では泣かいのなら、いろいろと納得もできる。 「その元導師がなぜキムラスカに?マルクトの方が王が立派な方故安定した生活を得れたでしょうに」 「大切な『太陽』のためです。 ボクはあなたの【本当のルーク】より、“無垢なルーク”を守るように言われてきました」 「ルーク…」 「その言葉がダアトにいる本物をさすのか、この屋敷にいる無垢な偽物を指すのかボクにはわかりかねますが。 ボクにとってのルークはこの屋敷にいる哀れな子。 ダアトにいるのは“ラヴィアソルト”。ボクがみつけた太陽だ」 また、古き言葉だ。 【ラヴィアソルト】――たしか意味は、ラヴィで太陽。 ソルで、魂や太陽を意味したはず。 やはり―― 「ではやはりあの子はダアトに・・・」 「ソルはルークではないですよ。その名前は無垢なるあの子の者であってそれ以外ではないと、ボクのソルは言っていました」 「・・・そうか。あの子、・・・ラヴィアソルトは無事なのか?」 「無事とは、とてもではないが言い難い状態ですね」 「それは…」 「公爵はフォミクリーというものをご存知ですか?」 「知識としては。なにぶん本として研究資料が出回っていれば、マルクトがそれを禁術としたとしても・・・な。さがせばこの屋敷にもヴァルフォア博士の書があるだろう」 「話が早くて助かります」 あのような恐ろしいものと、ルークが関係あるというのだろうか。 まさかとは思うが―― いや、話の流れからして答えは一つしかない。 あたってなどほしくはないが。 ならばルークは・・・ 「ソルは少し前間瀬は幽閉されている程度でしたが、ヴァンによってレプリカをつくらされた」 当時のことを思い返しているのかうつむきがちに語るラカの表情は険しくにぎった拳の爪が皮を突き破らんばかりだ。 ああ。ああ。なんてことだ。 私のたった一人の息子は、館にいた時よりも酷い目にあっているという。 なんてことだろう。 いますぐ駆けつけたい。 ルークは。 ルークは……フォミクリーで無事なはずがない。 博士の研究資料からもわかるとおり、あれはまだ未完成の代物だったはずだ。 そんなものにルークが。 「ボクが彼と出会った時には、すでに彼は傷だらけだった。 そのあとも何度ものフォミクリー実験をへて、ソルは―――精神汚染に侵された。 フォミクリーは被験者でもへたをすれば乖離する。あるいは第七音素とあわず、人の姿を保っていられなくなることもある。 ソルは乖離していないのが不思議なぐらいなんです」 「なんと!?」 「大丈夫。まだ生きています。 ヴァンの隙をついて、見つかる前に保護しました。やつには乖離して死んだと伝えてあるのでもう手出しはできません。 レプリカからレプリカはつくれませんしね」 導師イオン、ラカの話を聞いて、後悔だけがふりつのった。 私は彼にろくに挨拶もせず、頭痛を感じ始めた頭をかかえ、フラフラと足を進めた。 ついたのは“無垢なルーク”のもと。 無言で後をついてきたラカが、その扉をあけてくれ、布団のなかで穏やかに寝息を立てている、まだ言葉すらろくに話せない幼い子供を布団ごと抱きしめていた。 「すまない。すまないルーク…」 「ぅ?」 「いまだけ、お前に謝らせておくれ」 ラカから事の次第はすべて聞いた。 目の前の子供がなんなのかも。 私は【以前のルーク】はもういないのを知ってしまった。 あまりに強く抱きしめたからか、幼子が目を覚まし不思議そうに首を傾げる。 一度だけ、一度だけ、もう帰ることない我が子を重ねることを許してほしい。 うに本当の赤ん坊のように喚くことはなく、この幼子は静かに私が離れるまで自由にさせてくれた。 たとえレプリカであれ、偽物であったとしても、 この腕の中で意味を伴わない声をあげる子供は――ひどく温かかった。 こどもはそこに生きていた。 懸命に、懸命に…。 その小さな手を迷いっぱい広げて、たくさんの“はじめて”をしろうと―― |