野を駈ける鹿は眠り姫の夢の中
- HOLi C -



02.魔女と海の指輪





そこにたどりついたとき、獣であったオレは人間の姿ではなかった。
しかし動物の言葉を普通は理解できない。それに気づいた魔女は言った。曰く「話しにくい」とのこと。
たかだか魔女のその気まぐれな発言により、この世界に滞在する間だけの条件で、魔女が鹿だったオレに人間の姿をくれた。





 -- side オレ --





前の世界で獣としての寿命を迎え、オレは死ぬのだと思った。
“死”をとても近くに感じていたのに、いまはその感覚が酷く遠い。

なぜ自分が生きているのかよくわからなった。
パキンとなにかが砕け散る音共に意識は途切れ、そこからの記憶はひどく曖昧だった。

ただ、いまわかるのは、オレが生きているということだけ。

なぜ?
せっかくオレの魂にとらえてしまっていたロジャーをオレから解放できると思ったのに。
それなのに、なぜこの魂はまだロジャーが側にいる温かさを感じている?
なぜ?
オレは生きているのだろう。

オレを生かしたのは誰だ?


「あなたの願いは?ここは強い願いを持ったものしか入れない、願いをかなえる店だから。」

ふいに前にも聞いたことがあるような気がする女性の声がすぐそばで聞こえて振り返る。
オレはどうやら彼女の屋敷の庭さきに座っていたらしい。
っというか、あれ?人間の姿?
オレは人の手足を持っているようだった。
その理由はあとで教えられたが、「いいから答えて」とせかされたので、彼女がきいてきた問の意味を必死になって思い出す。

願い。

そう問われたとき、思いつくのはたった一つのことだった。
いつものように平穏な人生とか、死にたいとか、生きたい・・・でもなく、別の世界に行きたいわけでもなかった。
ただただ願った。

オレのせいで囚われたあのひとが、別の世界で海賊王ゴール・D・ロジャーであったのに、オレなんかの魂に囚われてしまったひとの魂を助けたい。

今回のように、オレの魂の「死」により、連動して彼の魂が壊れてしまうことがないように。
オレからロジャーの魂を開放してやりたかった。

転生を繰り返しているオレの魂はきっとかなりいびつに違いない。ここで目が覚める寸前には確実に破壊された感覚があったほどだ。
そんな不確定なものに、よりそっているロジャーの魂。

このままオレの側にいたら、やがてはオレとともにきっと何処にもいけずに消滅してしまう。
彼の本来いるべき世界の輪廻に戻すことができずとも、せめて彼に“来世”を返してあげたい。

どれだけ彼の魂を引きはがして、好きな場所に生かしてやりたくとも、特定の世界でなければオレの能力は発動されない。
ゆえにオレの中にあるあの人の魂を解放する術を今のオレは持たないのだ。
何度か転生して、その能力が使える世界と使えない世界があるのを知ったんだ。
能力が使えなくては、あの人の魂は再びオレとともに生まれる流れをたどり、最終的には消えてしまうだろう。

だからオレの願いはただ一つ ――

『ロジャーをオレから解放してほしい』

たたずむ魔女にそう、告げた。

魔女の全てを見透かすようなまなざしが向けられるが、譲る気はなかった。逆にまっすぐみつめかえしてやった。

「・・・切り離せば、あなたが死ぬとしても?」
『もちろん。あの人をこれ以上オレのわけわからない転生人生につき合わせるわけにはいかない』

オレが死ぬことであの人が解放されるなら、喜んで魂をも差し出そう。
本気だった。

頭の中はあのひとのことでいっぱいで。
そんなオレに、魔女は妖艶に笑って言う。

「できるわ」
『それじゃぁ!』
「でも残念」
『え?』
「それはあなただけの意見。あなたの中のひとは、それを拒否した」
『え・・・』
「ふたりできちんと話し合いなさい」

そう言った彼女の人差し指が、オレのひたいをつっつくと・・・
そこでオレの意識は暗転した。





* * * * *





「よぉ、アザナ」
『え?なんで・・・はぁ?!なんで爺様が!?』

誰かの気配をすぐそばに感じ目を開ければ、そこには懐かしい海賊スタイルに見事なヒゲをはやした男が笑顔で立っていた。
死を前にしても笑っていた、かの偉大なる海賊王ロジャーそのひとだった。

そのあとオレは随分久しぶりに、あのひとと会話をした。
時間間隔さえない場所で、オレはあのひとを前に、まるではじめて出逢ったときのように大泣きして、たくさんたくさんあった言いたいことひとつひとつぶつけていく。
一区切りついたところで、殴られた。

『うぇぇぇ・・・・・いたい』
「ったりまえだろう!このバカ!!俺のことなんざ、きにすんじゃねぇーよ!勝手にお前の能力利用してそのまま憑いてただけだからな」

ニヒルな笑顔で、素敵なハの字ヒゲが動く。
それに見ほれていると、ロジャーはそのバカでかい手で俺の頭をなでた。

「安心しろ。嫌じゃない」
『ろじゃぁぁ〜!!!』

また涙が出た。
もう子供の様に、顔がぐしゃぐしゃになろうと構わず、爺様がどこかに行ってしまわないようただただすがって大泣きした。

当時【海賊世界】にいたオレは、ただの墨の能力者にすぎなかった。
けれどその能力は、書いた絵にひとつ能力を付与するというものだった。
それがこの人の死を目の辺りにして暴走し、身体中にあった刺青にひとつに能力が宿った。それが魂の拘束。この人が死んだ瞬間、それは見えない鎖となって彼の魂をとらえ、オレの中にひきずりこんだ。
――それが全ての発端だった。

だけどロジャーはそれでいいという。
共にもう一度歩もうと言ってくれる。
そう言ってくれた彼に、やっぱりオレは泣いた。
なきながら、何度も「縛ってしまってごめんなさい」と謝った。
彼は海色の瞳を細め、そんなオレの頭をペシリとたたかくと「なにをめそめそしている!」と豪快に笑った。


そして彼の“願い”をオレは聞いた。





* * * * *





目を覚ますと魔女がオレを覗き込んでいて、どうやらオレは倒れていたらしいと察する。

「おかえりなさい。それで?あなたの願いは決まったかしら?」

答えなんかわかってるくせに。
魔女は訳知り顔の優しげな笑みを浮かべて、地べたに寝転がるオレに手を差し伸べてくる。

思わず苦笑しつつもうなずき、その手をとって立ち上がる。

『オレの願いは爺様の願い』

オレは願いを告げた。


オレが認めたことで、いままで蝶の痣というかたちで、ロジャーがこの身にいるということを表していたが、その契約自体が書き換わる。
魔女がつかんでいたオレの左手に淡い青の光が集う。

「契約は完了したわ」

彼女の細く白いてのひらがひらかれ、オレの左手薬指にいままでみたことのなかった海の色をそのまま凝縮したような青い指輪がはまっていた。
素材はわからない。
透き通っているようで、冷たく硬質な金属のようにみて、あたたかい。
それの素材がなにかはわからなかったが、わかることもある。
それは、いままで蝶の痣に憑いていたロジャーの魂が、オレを生かす鎖としての役割を担っているとこと。この指輪そのものがロジャーの魂であると。

『これからもよろしく。爺様』

もちろんだ。
触れた指輪からあたたく強いそんな声が聞こえた気がした。



そもそもがこの会話はおかしいのだ。
魔女が尋ねた願い。
オレの願いは効く必要がなかったのだ。
だって、すでに魔女は契約を交わしていた。
それはオレではなく、ロジャーと。

ロジャーの願いはただ一つ。

「生きろ」

それだけだった。

オレに死ぬなと願ったそれは、受理された。
死を覆すことなど本来できない。
けれど魂の再構築であれば可能で、同じ世界にとどまって生をやり直すわけではないので、なんとかうまくいったのだという。
ましてや、その代価は、なんともう払われているという。
それも《遠い未来のオレ》が、次元も時間もすべて飛び越えてこの場所に代価を払いに来たというのだから、突拍子もないはなしだ。

結果として、彼の強い願いにより、オレの“魂”はこのたびの死を免れた。

代価も一人ではなく、二人で払うこととなった。
彼の願いは二人の願いということだ。
それにより、もうオレはあのひとがいつ消えてしまうか。はたまた彼の魂が壊れて死んでしまうといった心配をすることがなくなった。

なぜなら、“死ねなくなった”のだから。
もちろん転生は繰り返す。この世界を超えた転生というのは、どうやらオレの魂の性質上仕方ないことなのだという。
そして生まれればその肉体は傷つくし、やがて老いるし、寿命を迎える。しかし魂に“死”の概念がなくなったことで、魂が摩耗して完全に消滅するまで、オレは永遠と転生し続けることとなった。
それが“死ねなくなった”ということ。

そういったことでおびえることは無いのだと知り肩が軽くなったような気分になった。



っが、しかし。

「あ、そうそう。人の姿にさせてあげた分の代価を貰ってなかったわね〜。貸しにしとくから代価分ここでバイトしてもらおうかしら」
『え?』

あれ?
これって魔女の好意とか、きまぐれとか、特典・・・じゃなかったの?
ま・じ・か・・・


いい感じで終りそうだったのに。なにかが残念な展開である。
そしてなにがんだんかと、呆然としている間に、オレは獣から人間の姿になったぶんの代価分をこの不可思議な店で働くこととなった。








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