有得 [アリナシセカイ]
++ 字春・IF太極伝記 ++
04:淡い花
※『漢字の名』…アイドル世界の住人のセリフ
※「ひらがな名」…太極世界の住人のセリフ
動かない足をひきずって、ここまできた。
もう少しで届く。
これでやっと・・・
そう思って、手を――のばす。
あと、すこし。
あと・・・・
「だめだ春さん!!!」
『・・・・・ぃめ?・・』
〜 Side春成り代わり主 〜
太陽がゆっくり登ってくる。
夜の領域が削れていき、温かい光が周囲に命の恵みを与える時間。
それに手を伸ばそうとして。
けれど光の中にいた人影が走ってきて、そのまま正面からタックスルする勢いでその人影はオレを抱き込むようにして、オレを光から遠ざかるように日陰へと転がりこむ。
オレは彼の身体に押されて、そのまま背後へとたおれこむ。
視界がひっくり返って、そこで抱きかかえられたまま洞へと連れ込まれたと気付く。
直後、洞の入り口を光が通り過ぎていく。
「ギリギリセーフってか。はー・・・」
のばした左手が空をつかむ。
なにもつかまない手。
洞の入り口の向こうに広がっていく光の帯。光の世界。
とどかない。
それに怒りがわいた。
ギリッっと奥歯に力がこもる。
花『離して。離せよ!あっちにいかせて!』
とめようとしてくれる手を、相手が誰かなど気にせず暴れて、その手を振り払おうとする。
でも、だめで・・・
光に必死に手を伸ばそうとするたびに、背後に強い力でひきずりこまれる。
“だれか”は、まるでオレに光を見せないようにするためか、正面からオレを抱きしめてくるので顔もわからない。
視界の端に、彼の赤い髪がちらつく。それも邪魔だと思った。
切り裂いてやろうかと思ったが、“だれか”は懇願するように何かを言いながら、先程よりも強く、頭からすっぽりだきしめてくる。
そのせいで、ついには腕を上げられない。
その肩を押しても背中をひっかいても放してくれなくて、逆にオレを捕らえる腕に力を籠められる。
彼の向こう側にある光に手を伸ばそうとして、その手さえ許すまいと“だれか”が邪魔をする。
あそこにいけばきっと――
「ダメだ!あれだけはダメだ!やめてくれ。やめてくれ春さん!」
光。ひかり。ひ・か・り―――
あそこへ帰りたいのに。
あそこへいけば、きっと“みんな”がまっていてくれてるはずだから・・・・
そんな気持ちになって必死に手を伸ばす。
なのに、何かが邪魔をする。
離して。離してくれ。
もう"放して"くれ。
そう何度か叫んで、声もかれかけたとき、ふいに聞こえた――声。
「春さん。春さん、お願いだから」
耳元で聞こえる悲し気な、いまにも泣きそうな声――それにハッとする。
花『よ、う・・?』
陽「よかったもどってきましたね」
そっと腕の力が緩まる。
それで見上げた相手は、あちらの世界でも傍にいた仲間の一人と同じ魂を持つ青年。赤い髪が印象的な獄族だった。
獄族の〈よう〉。
微かに血の匂いがする。
それらから、オレがそうとう暴れたのだとわかる。
〈よう〉の頬にも線が走ったような赤がいくつもある。
申し訳なくなって、つかえる方の左手をその頬に伸ばす。
“人間”とは違う自分の“長い爪”が視界に留まる。
“そう”だったと思い当り、理性が戻ってくる。
オレはいまは獄族だったのだと、改めて思い出す。その感覚にギュッと心臓がわしづかみにされるような痛みを一瞬覚えるが、見ない振りをして、あげそうになった声と感情を心の奥底にしまい込む。
花『ごめんね、〈よう〉』
陽「このくらいたいしたことないっての。俺、獄族だぜ春さん」
そっと撫でれば〈よう〉の傷は、赤い跡を残して言葉通り見る見る間にふさがっていく。
彼は少し特殊な老い立ちだが、あくまで普通の獄族だ。オレとは違う。この傷が治るのは、あと少し時間必要だ。
獄族を含む陰のモノは親をもたない。生物が変化して生まれるか、力が凝り固まった場所から生まれる種族。
〈しゅん〉は、力溜まりのある場所の雪に「陰の力」が入り込んでうまれた。
〈よう〉も同じように、日向がよくあたるマグマ溜まりに力が入り込んで生まれた。
陰の力に満ちたこの世界では、すぐに陰の力が補充されるので、陰のモノは基本的にすぐにある程度は回復する。それは獄族もしかり。
オレは陰そのものなので、他の獄族より治りが早い。
ただほかの者たちは、治りが少し早い程度。
ああ、〈よう〉に傷ができてしまった。
傷の治りが人間より早いとはいえ、それでも申し訳なくなる。
だって彼らにも痛みはあるはずなのだから。
それでもかまわずに、この優しい獄族はオレをとめてくれたのだ。
この世界の自分と入れ替わって、獄族として生きてから、それこそ三ケタは軽く超える年月を生きた。もう四桁目をこえてるかもしれない。
あまりに長すぎる時間で気が狂いかけた。
オレは存在を確固たるものとしている他の陰のモノたちや仲間たちとは異なり、ちゃんとした肉の体をもたないため、物理的に何度か自殺を試みたが、どれも霞をつかむようなものでおわった。
否、自殺未遂を繰り返している時点でもう気が狂っているのかもしれない。
この身体が死ぬための唯一の手段は、“陽”の気を浴びることだ。
だけどオレは太陽にとびこんで死ぬことだけはしたくなかった。
太陽の下は、本来帰る場所であって、死ぬための場所ではないと思うから。
本来ならそもそも記憶力など良くないのだが、世界が違うからか、魂が半分あちら側にあるからか、いまだオレが「アイドル弥生春」として生きた世界の記憶が何一つ欠けないで残っている。
だからこそ。オレはあの太陽の下の世界に帰りたいと、強く望む。
〈ヨウ〉の肩越しに見えた微かな光。
これほど渇望しているのに、オレの目にはそれはまぶしくて、痛くて、あれは"この世界のオレ"を殺すものであることに・・・・・・・涙がこぼれた。
太陽がみたいんだ。
太陽の光を全身に浴びたいんだ。
お願いだ。
この手をどうか離してくれ。
この手を引っ張って、あそこへ連れてってくれ。
そうでないと・・・
“忘れて”しまいそうだ。
いや、"忘れてしまいたい"んだ。
そうしたらどれだけ楽になるだろうと・・・。
――そんなこと無理だとわかっていながら。
だけどね。
たまに。
本当にたまに、光を望みたくなるんだ。
頭がおかしくなったようになりふり構わず、それしか見えなくなる瞬間がある。
今回のもそれ。
こういうときは、いつも〈よう〉に迷惑をかけてしまう。
怪我を負わせるのも何度目かわからないほどだ。
〈よう〉は、陽。
その名の通り、生まれながらに“陽の気”に耐性をもつ。
そのため人間と契約しなくとも、光の中である程度は自由に動けた。
今は対になる契約者を見つけたため、昼と夜の時間に全く影響を受けない。
けれど契約する以前から、オレのことを気にかけてくれて、こうしてフラリとオレの住処付近によく姿を見せる。
おかげで感謝が絶えないよね。
でもね。絶対に、彼に言わない言葉がある。
羨ましいと。光の下へ行けることを妬ましいと。
その気持ちだけは決して口にはしないと決めた。
だって〈よう〉は、獄族だ。
なのに相反する名前をもち、周囲から嫌な言葉を何度投げかけられただろう。
〈よう〉という名に、彼が思うところがあるのを知っているから。
それでも、君は“陽”以外の何者でもないから。
〈よう〉と、その名をつけたことを、オレは後悔していない。
ただ
本当にたまにだよ
たまに・・・
花『光の下に行ってみたいと思ってしまうんだ。それだけだよ。いつも、ごめんね〈よう〉』
オレの“弥生花”としての人生は、太陽の下で、睦月始と出会ったことから始まった。
二人で、太陽の下で笑って怒って――世界に喧嘩を吹っ掛けながらも生き延びて。
アイドルにまでなって。
命の輝きにあふれたオレの世界。
沢山の人に名前を呼んでもらった。
沢山の歓声。
沢山のスポットライト。
輝くオレたちの舞台。
“帰るべきあの場所”はいつも光の下にあったから。
オレは、太陽の下でだけは、死にたくないんだ。
ここがオレが本来いるべき世界とは違うもので、今のオレが獄族という光に弱い種族であることはわかってはいる。
それでも気がふれたように、“かえりたくて”、光に引き寄せられる虫のように、本能のようにそちらへと行ってしまうことがあるのだ。
だから、今日もオレを助けてくれた〈よう〉には本当に感謝している。
たぶん。あまりこの感謝は伝わってはいないだろうけど。
なんたって今のオレは常習犯だから、どうしようもないね。
夜「あ、いたいた。ようー!突然駆け出すからどうしたのかと思ったよ」
ふいにキュッキュっと雪を踏む音が聞こえて、人間のあたたかな気配が近づいてくるのがわかる。
もう馬鹿な真似しないからと、視線をむければ、納得できないのだろう渋い顔をしながらも〈よう〉は手を放してくれる。
ただ、今のオレはそれほど活発に動けないから、そのまま〈よう〉の横で地べたに座ったまま来訪者を待った。
夜「よう!もう、ようってば!!え!?あ、ひとが・・・あ、ごく・・ぞく・・・」
光をさえぎって入り口から姿を現したのは、“夜”だった。
オレの記憶の中にあるProcellarumの長月夜。
彼と同じ容姿をした人間の子供だった。
きっと彼が、〈よう〉の契約者だ。そうとわかったら、なんだかうれしくなって「いらっしゃい」と彼をまねいた。
オレの右手はずいぶん前の自殺未遂の名残で、ちょっと見せられる状態ではないので、袖でかくし、左手を使う。
彼は〈よう〉のほかに誰かがいると思っていなかったのか、夜に似た青年はオレに驚いたような表情し、次の瞬間には怯えるよな色を見せたが、それはオレが人間と契約をしていない獄族だからだろう。
しかし〈よう〉が傍にいたたこともあり、おそるおそるという風にだが人間の青年は近くにやってきた。
勇気がある。
夜「ふわぁ、いいにおい。すごーい!これもしかして全部“花”?こんなにたくさん咲いてる光景初めて見た」
この洞は、動くのを面倒くさがったオレが長年に居着いてるので、オレの力が染み込んでいる。
獄族の〈はる〉は、どうやら名の通り“春”に縁のある力を内包していたようで、さらにはオレがこの身体にはいったせいで力は変質し今ではオレは植物とお友達状態だ。
とはいえ話せるわけでもなく、花を咲かせるだけのどうしようもなく些細な能力だが。
オレの真名は《字》だが、魂にもっとも近い名が《花》だから、当然といえば当然の結果かもしれない。
あと、ほかの前世でよく歩いただけで花を咲かす存在だったからそれも影響しているのだろう。
この世界はほとんど太陽が出ない。
まだ自我がはっきりしている年を召した獄族に聞いたことがある。この世界は一夜にして滅び、数百年と太陽が出なかったようだ。
つまり4、5時間でも太陽が出るようになったのは、とても信じられないような奇跡なのだとか。
そんななかではもちろん季節という概念は失われ、雪と夜が支配する極寒の世界となった。
だからこの世界の人々の多くが、“春”をしらない。たくさんの花々が芽吹く光景さえしらないのだ。
春の温かさを。春に咲く濃い色にあふれた世界を。しるものはこの時代この世界にはいない。
だからこの洞の中が、花畑みたいになっているのを見て、〈よる〉はとても興味深そうにキョロキョロとしている。
彼らがこの場所を見て「春のようだ」と言うことは、けっしてない。
なぜなら、この時代を生きる者は“季節”がめぐることさえしらないのだから。
かわりのように「あまいにおい」と言葉がもれる。
そういえば花はそういう匂いもあったのだなと。年がら年中ここでだらけている自分はすでに嗅覚がマヒしていたようだ。
あるいは本当に、嗅覚がマヒし始めているのかもしれない。
もしかすると味覚がなかった時点で、はじめから嗅覚などなかったのかもしれない。
なにせ、元の世界のことは忘れないが、この世界で知ったことは忘れるときは忘れる。なので、オレが〈はる〉と入れ替わった当初のことはもうあやふやな思い出となっている。
そういえば、そんなに花のにおいがするとなると、もしオレが外に出た場合は「花くさい」といわれるのではないか?そうすると花粉症の人に毛嫌いされそうだな。そもそもこの世界で花粉症を発症している人などいないだろうけど。そこまで考えたら、なんだかおかしくなってしまった。
花『ふふ』
夜「あ、えっと・・おともだち?」
陽「春さんだよ。
獄族だけど、とんでもない穏健派で人間と争いたくないと思うようなヒトだから安心していい」
花『はじめまして〈よる〉。あぁ、ようやく"君"に会えた。
“夜”、君も生まれていたんだね』
ようやくこの世界にもツキウタの仲間たちが生まれてきたようだ。
〈しゅん〉を筆頭に、獄族としてあちらの同一存在の仲間たちとこの世界で出会うまででさえ、結構時間がかかった。
人間サイドに生まれている者もいるだろうとは思ってたけど、12人そろうときに全員が同じ時代に生まれるとは限らなかったから、本当はドキドキしていた。
だけど、こうして会えたのはとてもうれしい。
思わず両の手をのばして、そばで佇んだままの彼の首に腕をまわし、抱き着くように体を伸ばす。
右手はさすがに彼に触れることはできないので、左手でしっかり抱き着く。
なんとかひざたちをして、そのまま彼の首元に顔をうずめる。
猫みたいにマーキングしてるような光景だ。ただちょっと久しぶりの顔ぶれに会えて。しかも〈よう〉の契約者として存在している。
二人が一緒にいる姿を見て、つい、嬉しくなっちゃっただけだ。
夜「え?えぇ!?えっとどうして名前!?あ、よう が?」
陽「言ってないぜ。でも春さんは“わかるんだ”」
春『わかるわけじゃないよ。"今"はなにもわからない。ただ、夜と陽が出会う運命だったのはしっている』
夜「そ、そっか運命。なんか照れるね・・・というか、いいかげん離してください!」
顔を埋めていた服からなんかおいしそうなにおいがするなーとにおいをかいでいたら、〈よる〉は顔を真っ赤にして首を横に振ってきた。
言葉にするなら、ワタワタといった感じだろうか。
そのまま〈よる〉は〈よう〉に助けを求めるような目を向けていた。
どうかしたのかな?
ま、いっか。
照れてる〈よる〉かわいいー。
夜「あ、あのはる、さん?そ、その、そろそろ本当に、は、離してください。な、なんかいい匂いがして…」
花『ああ、ごめん。オレ、長くここにいるせいで花の匂いがしみついちゃってるかも。でもいい匂いっていうなら、よる の方がいい匂いするよ?なんか、たぶんだけどおいしそうってこういうこというんじゃないかなってにおいだね』
夜「俺が言ってるのはそういうのじゃなくて・・・え?おいし・・・あ!饅頭かな(汗)よ、よう が外で食べたいって言ったから。持ってきたやつのことかも」
花『わ〜いいね!そのにおいかぁ。じゃぁ、それをみんなで一緒にに食べよう。・・・たのむよ、よう』
陽「はいはい。んじゃ、いきますよー」
そっと〈よる〉から腕の力をゆるめれば、察したように〈よう〉がおちかけたオレの身体をささえてくれてそのまま軽々抱き上げられ、洞の奥へ向かう。
驚いている〈よる〉に笑って、手が隠れるほどの長い袖をふって「おいでおいで」と中へ招く。
一番奥には、表面が平らな岩があるので、それをテーブルがわりにしている。
みんながどこからか持ってきてくれた布をつかって、干し草をつめてつくったいくつかのクッション。それを周囲に置いている。
足りない綿や草の代わりに、ドライフラワーもつめてるからクッションもちょっとにおうかも。
まぁ、生ごみ臭よりましだよね。フローラルすぎるのもくさいけど。オレは慣れすぎちゃってよくわかんないや。
この住居が臭かったらごめんね!と、心の中で謝りつつ、自分の定位置に〈よう〉がおろしてくれたので、ポンポンと横をたたいて〈よる〉に座るように促す。
陽「春さーん、お茶どれつかってもいいのか?この前、勝手に使ったら、めちゃくちゃ、るい に怒られたんだけど」
花『いいよ。るい が言ってたやつでも大丈夫。元々あのお茶の材料はここのものだからね。いっくん は、花と交換で追加してくれるって言ってたよ』
陽「りょーかい」
そういえば知った気になっていたが、〈よる〉とはまだ会ったばかりだったか。
お互いに名前さえまともに名乗りあってないことに今更気づく。
会ったばっかりだからか、それとも知らない獄族と二人にされて不安なのか、〈よる〉はとても緊張したようにカチンコチンで、不安そうに、奥のキッチンで鼻歌まで歌って湯を沸かしている〈よう〉をみていた。
そんな〈よる〉を安心させるように、怖がらせないように笑いかける。
この手が相手を傷つけないようにそっと爪の当たらないように掌で、左手で、そっと固く握られた〈よる〉のこぶしに触れる程度にやさしく握る。
顔をあげた〈よる〉に、もう一度「大丈夫だよ」と、わらいかける。
花『改めて、はじめまして。春さんだよ』
夜「あ!俺は 長月…よる です」
花『ふふ。そんなかたくならないで。
大丈夫。オレは獄族だけど、人も世界も・・・なにをも害する気もないから。
っというか、ちょっとわけありであまり足がよくないんだ。だから君を襲うなんてまねできないから安心してね。
ん〜・・・っと、いってもまだ無理だよね。いちおう、よう の名付け親なんだオレ。それじゃぁ、仲良くなれないかな?』
夜「あ・・・あの、よう が信じてるひとだから、その・・俺、春さんを怖いとは・・・」
花『思っていいんだよ?俺と君が“違う”っていうのは、明白。種族の差による恐怖。それは本能だから。――それに、人は違うものを恐れる』
並べた言葉が悪かったのかもしれない。
でも陰のモノが人を襲うのはもはや本能。人が己の命を奪う相手をみて怯えるのは本能。
でも、やっぱり“この言葉”は間違いだったね。
“ひとは違うものを恐れる”――その言葉で肩を微かに揺らし、うつむいてしまった〈よる〉をみて、訂正を入れなければいけないと思い、弁解のために口を開く。
花『君や、よう のことを言ったわけじゃなかったんだ。気に障ったよね、ごめんね。
この世界で、太陽の恩恵を受ける人間が、その名を持つのはつらかったでしょう?
でも・・・・・この世界に、その名で、その魂で、生まれてくれてありがとう――“夜”。
きっと君のご両親は、「夜の時間にも負けないように」と、たくさんの願いを込めて付けたんだろうね。君が愛しくてしょうがないから、強く生きてほしくて。
夜でも怖い思いをすることがないように。
夜道に無事帰ってこれるように。
やがて夜は明けるものであるその証明に。
旅路の夜道を照らす光のように。
夜の闇さえも味方したくなるような、優しい子になりますように。
恐れらる夜の闇さえ受け入れるほどに、あたたかなあの月のように。それが君だ。
君の両親は、そう、たくさんの願いを込めていたはずだよ。
だって、こんなにもキラキラした、とてもきれいな“想い”の縁が君を取り巻いてる。間違いないよ。
それにね。
君が君だから、“陽”だって笑ってられてる。
それは〈よう〉も同じ。君という存在を、オレも、よう も。ずっと・・・・・・待ってた』
夜「そんなこと・・・言われたの、はじめて、で・・」
名は体(テイ)をあらわす。
彼は太極図でいう、陰中陽と陽中陰の関係。
〈よう〉が獄族でありながら、太陽の下でも平気なように。
〈よる〉もひとでありながら、きっと陰のモノに通じた大きな力を持ち得ている。
そんな関係だから、契約がなされた。
これはきっと必然の関係。
涙をこぼしながら、うつむいてしまった彼の背をだきしめ、おちつくまでそっとなでる。
笑っていてほしい。
オレは世界の平和とか、世界の安定とか興味ないんだ。
そこまで博愛主義者のつもりはないんだよ。いや、欲を言うなら、この手で抱えこんだ者たちはできうるかぎり守りたいけど、それとこれは別。
君が“長月夜”だから。
だから笑ってほしくて、やさしい言葉を投げかける。
会いたかった。
それも嘘じゃない。
でもそれは、あちらの世界の仲間と同じ存在の君だから。
だからオレは君に笑ってほしい。
なんて自分勝手なんだろうね。
ようやく会えた友と同じ魂の君。
会いたかったというのはオレの身勝手な想いだけど、それでも今の君とも友達となりたいのは事実で。
だって、ひとりは寂しいんだ。
だから〈よる〉に笑ってほしかった。
これから友達になってくれるだろう君の笑顔が見たいと思った。
花『泣いていいよ、よる。辛かったら。うれしかったら。いくらでもオレの胸かすよ?女の子みたいにふくよかじゃないけど』
夜「ふふ。春さんwwおもしろいですwwww」
泣きながら、それでも笑ってくれた〈よる〉からは、もう肩から力が抜けていた。
よかったな〜と思った。本当に。
花『君が世界に必要だったとしても。会わなければいけない運命があったとしても。そういうの関係なく、オレが“君”に会いたかったよ。オレは〈よる〉の笑顔が好き』
だから、もっと笑って。
一緒に笑って。
笑っとけばなんとかなる!って、始もよく言ってたし。
そう思って「君の笑顔が見たい」と告げたら、ボフン!と音を立てて顔を真っ赤にして視線をガバリとばかりにそらされてしまった。
〈よる〉は口をおさえるように手で覆って、視線をこちらに絶対向けてこない。
なぜだ?
せっかっくあちらの仲間と同じ懐かしい顔が見れたのに、〈よる〉の笑顔がもっと見たいのにー。
あ、今もしかして笑ってる?ならこっちにむいてくれないかな。
悲しい顔より、嬉しそうな顔を見ている方が、胸がポカポカするのになー。
陽「〈よる〉まで、たらされてる」
「おーい。顔見せてよー よる〜」と、〈よる〉にまとわりついていたら、ちょうどお茶を運んできた〈よう〉が、愕然とした顔でたたずんでいた。
意味が分からないと首をかしげずにはいられない。
〈よる〉になにがあったんだろう?と、〈よう〉を見上げていると、はーとため息をつかれた。
手早くテーブルをととのえ、お茶と饅頭をひろげながら、〈よう〉は〈よる〉の肩をポンっとたたいた。
陽「春さん、無意識の天然タラシだから(遠い目)」
夜「早く言って!!!」
叫ぶ〈よる〉。
なぜか物凄い同情のまなざしをした〈よう〉は、いまだ顔を真っ赤にしている〈よる〉に「あきらめろ」と首を横に振るのだった。
花『ん?』
どういう展開だこれ?
〜 Side太極伝記のはる 〜
ところかわって
魔法が存在し、月の女神が見守る世界にて。
春「え、これは流石に変じゃない?」
異世界からきた〈はる〉が最初に、この世界の自分の部屋だと案内された――弥生花の部屋。
そこで見せられたものに、彼は激しく顔をしかめた。
春「こっちのは、なんでここに顔があるの?目に見えるぐらいひとどい怨念が張り付いてるよこれなんか。あとこっちの服のこの出っ張り邪魔だよね?え?これどうやって着るの?というかこれ服なの?なにか動物の抜け殻かと思ったけど」
みせられた“服”の数々に、獄族の〈はる〉は真顔になる。
春「――ねぇ、人間の色彩感覚っておかしいね」(真顔)
この世界の自分が着ていたという服のセンスの酷さに、〈はる〉は自分を案内してくれた彼らをチラリとみて――視線をそらした。
すぐにSIX GRAVITYの仲間たちは、彼のつぶやきに気づき、慌てて「人間全体でものを見ないでください!」「俺たちは違います!!」と訴えたのだった。
そうして彼らは楽しそうに口を開こうとした睦月始を部屋から追い出し、いぶかし気な〈はる〉に、懇切丁寧に、
自分たちのかっこうやファッション雑誌を見せて弁解をし、人間へのアフターケアーも行った。
新『はるさんが変って言ったあれってさ』
恋『あれ、始さんセレクション…』
新『着ぐるみが動物の抜け殻かー』
駆『ああ、花さん・・・この知識がないはずの獄族の〈はる〉さんの方が、しっかりした美的感覚がありましたよー(涙目)』
葵『よかった。よかった本当に。〈はる〉さんが普通の感覚で!最初に――
始さんを部屋から追い出しておいてよかった!!』
『『『ほんとそれな』』』
――入れ替わり事件から一週間後。
陽『さっすがは、“春さん”だな。いい動きしてる』
始の指示のもと〈はる〉が、ライブの練習をしていると、背後から口笛とパチパチという拍手がきこえてきた。
振り返ると、陽と夜が「どうぞ」とタオルを手渡してくる。
夜『お疲れ様です。はい、タオル使ってくださいね』
陽『すっかりダンスも歌もなじんだ感じだな〜。いやー《花》さんと違和感ないな。“踊り”は』
夜『ダンスはしかたないからね。でも性格まで似せなきゃいけないとか、思わなくていいですからね』
陽『だな。あのひとに完全になりきろうとか、真似しようとか。まず無理。頭の中のねじが始さんのせいで吹っ飛んでて、花さん人と思考回路がずれてるから』
夜『そもそも俺たちもあまり花さんの性格はつかめてないので(苦笑)
なので花さんになろうとか、この世界に無理してなじもうとか・・・無茶はしないでくださいね、はるさん』
陽『そうそう。普通が一番。はるさんは、はるさんのままでいてください』
夜『いまはゆっくり俺たちの世界をたのしんでください』
なぜそこまで彼らが、自分が花らしくなるのを嫌がるのかはよくわからなかったが、〈はる〉は横の始をちらっとみて、そこで花の部屋にあった服のことを思い出し――なんとなく事情を察した。
春「ふふ、ありがとうふたりとも。オレは大丈夫だよ。
それにしても人間の体って重いんだねぇ、まるで重しをつけてるみたいで最初のころは結構大変だったんだよ。
イメージと体の動きが合わないっていうのかな。今はけっこういろいろできるよ。
・・・・あと、ここだけの話なんだけど、爪が短い方が楽だね!人間の手先が器用だって言われる理由がよく分かったよ」
この体は自分自身は重く感じるが、どうも他者からすると軽いらしいが――だが体重というものを感じたことがなかった獄族の〈はる〉には、とても重い。全身におもりを着けて動かしているような感覚だった。
肉体が覚えていたのか、しばらくするとその感覚にも慣れ、ギコチなさも消えずいぶんスマートにうごけるようになったのだが、獄族の感覚からするとまだまだだ。
始『体が感覚を覚えているというのもいい手助けになってるんじゃないか?』
春「そうかな?でもあいどる?・・だっけ?人前にでるときは、花さんだってばれないようにしないとね」
夜『やめて!』
陽『そうそう!なり切る必要なんかまったくないんだって!いまのままでいてくれ』
始『っと、いうわけだ。ならんでいい。さっきもあの二人が言っただろ。
俺たちに遠慮があるのは、まぁ、しかたないが。口調も仕草も同じだし、ファンはそれだけでだませる。気にするな』
騙せちゃうんだぁ〜。
なんて思ったのは秘密である。
腕の中のタオルをみつめながら、どこか不安そうな〈はる〉に、始はしょうがないとばかりに小さく笑うと、彼の頭にポンと手を載せるとふわふわした髪をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
春「わ!ちょっと睦月くん!?」
始『笑っておけ、はる。それだけで世界は意外とうまく回る』
春「でも・・・」
始『そんなに気になるなら、お前が花には絶対になれない理由をあげてやろうか。
しいて言えば、はるは口調と踊り以外は、《花》に似てない。
まぁ、お互いに“怖いもの”や“老成した精神”はかわらないみたいだがな。
違いだったな。あいつの口癖だが「フハッ」という独特の笑い方をする。しかもたまにツンデレを発揮する。たぶんこのどちらもお前にはできない』
春「つん?」
始『それはいい。
っで、次だ。まずお前は、教えればなんでもこなすが、料理が苦手。爪が長い時との感覚の誤差のせいだろうな。けっこう不器用だよなお前。
あとうちの春は、ピリっとした痛みが怖い。あれは魂の根底に根付いた恐怖だから、お前にはないだろう?
そして一番の違いは!お前は、服のセンスがある。あいつは俺と会うよりも前からそれがない』
意味深に語られた最後の言葉がどう関係あるのだろうと思ったが、それにくいついたのは以外にも陽と夜だった。
この短い期間とはいえ、随分仲良くなったと思っていたが、そのなかでもみたことがないほどに二人は驚愕の表情をしていた。
陽『な、なんだと!』
夜『料理は種族がら必要としなかったんですからしょうがないとしても。え・・・洋服のセンスあるんですか?』
始『《花》の部屋にこいつをいれるまえに、恋と新があいつの私服を回収して隠してたな。そのあと、葵が無難なものを教えたんだ。
ちなみに俺は手を出すなと、その間立ち入り禁止を食らって締め出されていた』
そこで〈はる〉のなかで疑問符がいくつか浮かぶ。
もしかして自分のセンスは、あの《花》よりわるいのだろうか。
考えれば考えるほど〈はる〉は色んな意味で不安になって、練習着をいちべつし、
そのあと汗をかいてもいいようにと着替えた時にわきに畳んで置いておいた私服として着ている服へむける。
だがそれは、グラビの仲間(−始)が、わざわざ写真集などの資料をもとに教えてくれた“最近の流行り”にあわせていて。
春「センスって。あのさ。えーっと、流行っているものに似たようなのを着ていればいいって、写真とかいうのみせてもらったよ。みんなが着てるようなのが普通・・・だって。そう教わったけど・・・ちがった?」
夜『そうです!そうなんです!!まさにそれです!』
陽『うう・・・春さんの姿をした別人とわかっていても、あのひとが、みんなと似た系統の服を選ぶなんて!俺は!俺は・・・!!!』
夜『おしゃれさんだからね陽は。いっぱい花さんと格闘したもんね』
始『ふー。ぬいぐるみが本当に張り付いているパーカーや、服の内側にブーブーぐっしょんのついたロングコートとか。その類が残っていないのがとても残念だ』
陽『あんたが一番残念だよ!』
春「ぶうぶう?・・・クッションは寮にあるからわかるんだけど。ぶうぶうってなに?」
夜『知らなくていいこともあるんです!!むしろそのままの貴方でいてください!!本当にお願いします!!』
陽『そのとおり!!はるさんは、花さんにならなくていいんだって』
陽と夜が始から〈はる〉(=とかいて常識人とよむ)をかばうように前に出て、始に威嚇する。
しかし始は余裕そうな顔をして肩をすくめ
始『ふっ、冗談だ。そんな愉快なコートはない』
夜『え。そっかぁ、それならよかっ』
始『あったら即買って花でためしてる』
陽『それがダメだっつってんでしょうが!!!』
夜『・・・よくなかったね(遠い目)』
それから少しレッスンをしたあと、時間だからと解散になった。
〈はる〉のことは、マネズに「頭を打って記憶喪失になった」と告げられているため、普段より仕事量を減らされている。
そのため午後からの予定がなかったので、まだ時間はある。
それを言えば、始が〈はる〉に財布を渡す。
不思議そうに手の中の“財布”が何かわからず首をかしげる〈はる〉に、軽く金の説明をし、買い物の練習だと告げられる。
始『恋たちから伝言だ。でかけるなら、はるの洋服を買ってきてくれだと。まっとうな服の数が少ないらしい』
陽『まじかっすか!?え!じゃぁ、レッスン終わったら一緒に街へいきません?ちょうど夜とでかけようって話してて』
夜『はるさんとおでかけなんて、楽しみですね』
春「いいの?」
始『むしろ。訓練だ。お前がいつまでこの世界にいれるかはわからないがな。
陽と夜は、はるに買い物の仕方を教えてやってくれ。実戦でやらせた方がいいだろう』
陽『了解っす!』
夜『はい。まかされました』
うかれるふたりに腕を片方ずつ取られ、〈はる〉ははじめてのおでかけに、町にくりだしたのだった。
その後、発揮されたまっとうにして素晴らしき服選びのセンスに、陽が本気で泣いた。
夜が「お赤飯炊きましょう!」と嬉しそうに手をたたいて喜んだのだった。
眺めた窓から見上げた空はとても明るく、青く澄み渡っている。買い物には絶好な日よりである。
だが、しかし。
青さが嬉しくないと思ったのは、なぜだろう。
春「こっちのオレっていったい・・・」
試着室から出てた途端男泣きされた〈はる〉は、思わず遠い目をした。
〜 Side春成り代わり主 〜
――陰陽の理が壊れた世界にて――
花『はい、どーぞめしあがれ。と、いっても よう がいれてくれたものだけどね』
ここが洞窟の中とは思えないほどあたたかな雰囲気を漂わせてる場所では、お手製なのだろう蜜蝋が甘いかおりとともにほのかな明かりをともしている。
天井からぶら下がる花とツタを編み込んで作られた籠には、誰かの術なのか、いくつも橙色や白、青と、様々な色合いの光球がふわりふわりと浮いている。
花が咲き乱れるこの場をそれらの柔らかい光が照らし出す。
緩やかな明滅をしているものもあれば、花びらに反射しキラキラと虹色の光を壁に浮かび上がらせる光彩もある。
その光景はまるでどこかに窓があって、そこから陽の光が入ってきているのでは。と訪れたものを錯覚させる。
花と光――色が咲き乱れ、いっそう空間を華やかに、それでいてどこか幻想的にさせる。
それらのおかげで、光が全くないはずの洞のなかを明るく照らし、その場所を飽きることない居心地のよい空間にさせているのだろう。
その場がやさしく胸の内まであたたかな気持ちにさせられるのは、なにも光のおかげだけでなく、色鮮やかな花に包まれていること、かおり。そして空間の主が醸し出す空気のなせるわざだ。
〈よる〉には、ひとことでその場を表す言葉が浮かばない。
温かくて、やさしくて・・・そんな、なんだか気持ちがポカポカしてくるような感覚を表す言葉を。
“まるで春のようだ”
春という季節を知る者なら、この場所をそう表現しただろう。
雪の中から芽吹く若葉を。咲き乱れる花々を思い浮かべながら・・・。
けれど、そんな言葉は、意味とともに、この世界からは消え失せた。
その言葉が、目の前の彼らの口から出ることはない。
だから〈よる〉は、もらった茶の香しいにおいを深呼吸するように吸い込んで。その後に“落ち着く空間だ”と告げた。
春はそれにふわりと笑って、ありがとうと応えた。
花と光が生み出す不思議な空間で、〈よる〉は癒されていく心に、ふと「陰のモノって怖いんじゃなかったっけ?」と常識的なことを思い出し、思わず首をかしげる。
目の前には、おいしそうな饅頭がゆげをたてて皿に盛られ、甘い香りを放つ最高級といってもいいだろうハーブティーがほかほか湯気を立てている。
テーブルをはさんだ向こう側には、ふんわりとした雰囲気の淡い色の髪をした、性格さえもふわっとしていそうな獄族がいる。
〈よる〉の契約者である太陽のような髪をした青年が、親身になって鶯色の獄族の看護をしている。
〈よる〉はもう一度、自分の中で浮かんだ疑問と目の前の光景をみつめ・・・
夜「獄族も人も、ひとそれぞれなんだね」
無理やり納得した。
それに春の口周りをてぬぐいでふいていた〈よう〉が、何か言いたそうに渋い顔をみせる。
だが、春はそれが正解だとばかりに、先程よりも柔らかく目を細めて笑った。
花『そうだよ。たとえ魂が同じ波長をもっていたとしても、たとえ姿が同じであろうと。同じ存在はいないんだよ』
陽「まぁ、あれだぜ よる。春さんに何を言っても無駄だ。深くは気にしないほうがいい」
花『そうそう。オレが噂に聞いていた獄族とは違うとか、人間ぽいかも?とか。本物じゃないかもしれない・・・とかね。大したことじゃぁないんだよ』
陽「いや!めっちゃ気になるから!つか本物とか最後のなに?」
花『まぁまぁ、気にする必要もないから気にしなくていいよ。だって今ここにいるオレは、オレでしかないしね』
陽「あんたはなにかいろいろ気にしてくれ。ほんと、頼むから」
花『ねぇ、よる。種族が何だこうだって、本当に大した問題じゃないんだよ。
だから獄族であるオレがお茶をしていても、逆に人間を襲う獄族がいるのも、それは“個性”でしかないんだよ』
夜「こ、個性?」
花『個を見てあげて。
そうだね。例えていうなら、どんな種族であろうと、結局は地球という世界に生きているものには変わりはない。
生き物であるということは、誰であろうと、それこそ獣であろうと植物であろうと、変わらないんだ。
なら、獄族だから。人だから。相手が陰のモノだから悪いとか。陽の者は正しいとか。種族単位でものを考えるのもバカバカしくならない?』
陽「世界規模で生き物って・・・でかい!規模がでかすぎる!!!」
花『やだなぁ。わるいことじゃぁないでしょ?』
陽「にしてもでかすぎる!!」
花『でもね。できれば種や噂で、すべてを判断するのではなく、個人をみてあげてほしいかな。よう を“よう”としてみるように、オレもみてほしいかなぁ・・なんてね(笑)」
夜「あ・・・ごめん、なさい。俺・・・そんなつもりは!」
花『ああ、謝る必要はないよ。“自分の脅威になる存在”を(自分にとっての)悪と定めるのは間違ってない』
花『ふふ。ごめんごめん。そんな真に受けないで。オレのことは本当に気にしなくていいんだよ。オレは大丈夫だから』
夜「はる、さん?」
花『でもね、あまり“獄族だから”っていう理由で怖がっていると、このあと大変だなぁって思って。
だって、いつか よる は、一緒にいると楽しくてしょうがない“獄族たち”と出会うことになるだろうからね』
夜「え?」
花『っと、いうかオレの願望?よう はさらに人と心を通わし、よる は獄族と出会い。みんなで“仲間”ってよべるような絆を描いてほしいな。って。うん。そうだね。できれば合計12がいいよねぇ』
夜「え?えぇ?じゅーに?あ、“12”か。ん?んん?」
花『う〜ん。可能性の話かな』
陽「いや、だからあんたはいろいろ自重してください!」
夜「はっ!?あの よう が!振り回されてる・・・・・・っというか、なんだか不憫に見える」
陽「よる もいろいろ言われてんぞ・・・」
夜「え。そうなの?でも、なんだか途中からよくわからなくなちゃって。じゃぁ、きくけど。ねぇ、よう・・・“12”って、なに?(真顔)」
陽「う゛・・・たしかに意味不明だな」
夜「でしょ」
花『まぁおちついて二人とも。お茶でも飲んで』
陽「あんたのせいなんだけどなぁ・・・はぁ〜」
春と呼ばれている獄族の青年、もとい花との会話は、ときに規模がどこまで行く気だ!?とツッコミたくなるほどに広がりを見せ、ときに斜め遥か上に思考がズレていく。そしてときに予言めいた謎の言葉をのこす。とにかく謎だ。
長年付き合いがある〈よう〉でさえ、いつもこんな感じで、軽くあしらわれてしまう。
否、彼のマイペースぶりは、ただ花が長生きしすぎで若干ボケているせいかもしれない。
疲労と共に深いため息を吐いた〈よう〉と、会話のテンポにいまだ慣れず苦笑を浮かべるしかなかった〈よる〉の空になったカップに、茶器から新たに茶がそそがれたものがおかれる。
花『まずは一息つこう。どうぞ二人とも』
〈よる〉は渡されたハーブの香りをたくさん吸い込んでは、悪いものを吐き出すように大きく息をはく。
ため息といってもそれは幸せが逃げるといったようなものではなく、むしろ香りにさそわれ体の中から「幸せだ〜」と思わせるようなうっとりとしたものだ。
夜「ふわ〜すごっい癒されますー」
陽「いれたの俺だけどな」
花『そそいだのはオレだねぇー』
夜「まぁまぁ(苦笑)」
花『ごめんね。足が正常なら、全部オレが用意したんだけどね。どうせならお菓子とかも作ったんだけど。今はどれも無理でね。あ、そもそも食材なかったや』
夜「え」
ふいになんでもないことのようにさらりと言われた言葉に、〈よる〉が初耳だとばかりに顔を上げる。
その様子に不思議そうにしつつも花は、いま思い出したとばかりに相槌を打つ。
花『そういえば詳しくは言ってなかったね。もう気づいてるかと思ってたんだけど。
オレの足は動かないんだ』
夜「あ!だから よう が抱っこしてたんだ」
花はペシリと軽く左手で足をたたくも、足はピクリとも動かず反射反応さえない。
〈よう〉はその様に眉を寄せる。
彼が生まれたころは、まだ花の足は動いていた。
ただ動きがぎこちないだけで、ちょっと疲れやす程度だったのだ。
いまでは本人が詳しく語らないからさだかでないが、その様子からして感覚があるのかさえ怪しい。
花にきいたところでうまくはぐらかされるだけだろう。
だからこちらから聞くこともないが、それでも調子があまりよくないのは、長年傍にいたぶんよくわかってしまう。
心配そうな〈よう〉の気配を感じたのだろう。花はポンっと〈よう〉の頭をなでると、落ち着かせるように「大丈夫だよ」と笑いかける。
花『そういうこと、かな。ごめんね大事な契約者を“足代わり”に使っちゃって』
場の空気を換えるように、花が楽し気に言葉を紡ぐ。
その流れに乗るように〈よう〉も、さも面白いことを思いついたとばかりに〈よる〉の驚く顔を想像して、話題を“そこ”へもっていく。
陽「むしろ俺だけじゃなくて、実はいろんな獄族を足代わりにしてるから春さんは。あの しゅん さえ春さんにとっては、台車か何かだからな(笑)』
夜「えぇ!?うっそ!?あの代名詞が動きたくない。で。しかも獄族最強だってみんなが言ってた。あの しゅん も!?」
案の定、〈しゅん〉の効果は絶大だった。
それに今度こそ〈よう〉が笑う。
花『年の功ってやつかなぁ。
オレが育てたから、老後は面倒見てもらってる感じ?』
夜「老後って・・・あ、そういえば春さんは、 よう の名付け親って。・・・・本当に春さんって年上だったんですね」
陽「いまさらかよ。獄族はある程度で成長がとまるのは常識だろ」
夜「いや、だって。春さんは、普通に人間らしくて。会話だって普通になりたつし。俺より年上っていってもそんな貫禄とか威圧感?ないし・・・・つい』
そこまで聞いた〈よる〉だったが、花の足を見て、すっと背筋を伸ばす。
まっすぐに見つめられた視線はゆるぎなく、好感を持てる。
そのまっすぐな想いには花も気づき、ふわりと浮かんだ心のなかに宿る温かさに気持ちをやわらげる。
やっぱり〈よる〉は、夜空に浮かぶお月様のようだ。
あたたかくて、懐が広くて、なによりキラキラして眩しい。
夜「足代わりってことは、怪我でもしてるんですか?俺、いちおう薬師の家系のものなんで、怪我の具合を教えてもらえれば、少しはお手伝いできるかもしれません」
陽「あーちょっと、よる は分野違いだな」
夜「分野違い?」
陽「春さんのは、怪我というよりは病気に近い。っが、病気は病気でも、獄族限定のものだ」
花『業が深いんだ』
そのまま“獄族だけのなる病気”あたりで、人間相手である場合、普段であれば「ただの老化だよ」とぼかすのだが、花はありのままの原因を告げる。
単語の意味といままでの会話を結び付けようと考え込む〈よる〉を一瞥し、
〈よう〉は花が“どこまで真実”を語るのだろうかと、口を閉ざして彼の口から出る言葉の先を待つ。
夜「ごう・・・」
花『人間は普通は知らないことだよ。もしかすると、高名な術師だと聞いたこともあるかもしれないね。
業とは、生まれながらに、魂に刻まれている役割。その魂にかかせられたサダメのことだよ。
簡単にいうと、世界に生まれさせてあげるから、世界からのお願いをきいてね。ってことなんだけど』
まぁ、“生まれた後になしとげないといけないこと”って言った方が分かりやすいのかな。
陽「いいのかよ春さん、そこまで“人間”であるこいつにそこまで言っちゃって」
花『よる だからいいんだよ』
陽「・・・」
花『もうすこしだけ、聞いてくれるかな』
夜「は、はい」
花『ありがとう』
花『獄族だけは他の種族と違って、生まれながらに、業の存在を認識している。
“業が己の魂に刻まれているなぁ”という、そういう感覚だよ。
業の中身に関しては、誰にも教えることも知らせることもできないけどね。
業ってのは、自分が背負うもの。
つまりね、生きていると必然的に、世界が定めたものいがいでも、自分の中で戒めや道しるべをつくっていく。そうすると増えるんだよ。長く生きれば生きる程、業は増える。
オレの足が動かないのは、そのせい。
長く生きすぎたので老後の介護ってのは半分正しい。詳しく言うなら、長く生きすぎ、その結果、業が増えすぎ、この身体で背負える業の量を超えてしまったんだ』
夜「それで足が・・・」
花『うん。長生きも考え物だよね。
よう が生まれる前には、左足の動きが鈍くなっててね、そのころにはすでに しゅん を足代わりにして運んでもらってたかな』
陽「ありがたいことに俺たち陰のモノは体重がそこそこ軽いないからな。こんなにデかい春さんでも幼児サイズの しゅん でさえ運べたというわけさ」
花『いやぁ〜。こんな縦に長いオレを腰の高さぐらいしかない小さな子供に運んでもらうのは、今思い返してもバランス的に何かおかしいし、ちょっとはずかしいね。
もう しゅん も大きくなったから運んでもらっても絵的には、昔よりましといえばましなんだろうけどね』
陽「バランスの悪い抱っこ・・・それは、さすがに違和感半端ないな。こう何度も説明されてもイメージわかないんだけどな(遠い目)」
夜「あれ? よう もみたことないの? しゅん が小さいときの姿って」
陽「俺が生まれたころには、すでに しゅん は今のサイズだった。もうすでに、春さんはお姫様抱っこが定着してたしな」
花『ま、さっきも言ったけどね。人間でいう高齢化現象?みたいなものだよ』
夜「え。そんな簡単なまとめかたでいいの!?」
陽「・・・高齢、ね」
最終的に、業の影響についてはそこまでしか語らず、あっさりと一言でまとめてしまった花に、〈よう〉は悲し気とも苛立ちにも似たなんとも形容しがたい表情を浮かべ、〈よる〉は「わかりやすっ!」と思わずツッコミをいれていた。
花『とはいえ、それだけ年を取ったのも。業が容量オーバーしちゃったのも。事実だしねぇ。
ほら、高齢化による腰痛や足の痛みとか、人間でもあるでしょ?それと同じなんだよねー。
ま、だからおじいちゃんに会いに来たつもりで、これからは気楽に遊びに来てくれてていいんだよ。
ふふ、でもきてもらっても。歓迎はできないし、飲食の準備は自分でしてもらわないといけないし、オレの介護というオマケもついちゃうから。
やってあげられることはなにもないし、むしろやってもらわなきゃいけないんだけどね』
陽「そのわりには、ひとりで匍匐前進だけで気づくと外にでてるから、見てるこっちとしては気が気でないんだけど。介護してもらいたいなら、老人らしくもう少し大人しくしてくれ」
花『ごめんごめん』
夜「介護って・・・もしかしてそのために よう はここへ?」
陽「たまに来てるんだよ。こないとこのひと自殺しかねないし」
夜「え?!」
花『そんなたいしたことじゃぁないんだよ。ちょっと春を探してみたくなってね』
陽「たいしたことだからっ!!今日もやばかったろうが!つか、自分探しとかもうその言い訳もいい加減聞き飽きてるんだよ!」
花『あれ?“春を探してみたくて”って言わない?あったかいものとか恋愛でもいいんだけど』
陽「なんすかそれ」
夜「そもそも春さんの存在って、人間にはあまり知らせないほうがいいんじゃないですか?」
花『あー・・うん、そうだったね』
“自分”のことを言ったわけではないのだけど。その言葉は口からこぼれ落ちることはなく、のどの中で小さなとげのように残る。
四季が失われ、季節という言葉さえなくなった世界だった。
この世界はあれからどれだけの歳月が流れたのだろう。
花『“春”告げ鳥はいまだ来ず・・・か』
どうやら、自分では春告げ鳥になることはできそうもない。
はやく、帰っておいで〈はる〉。
はやく、迎えにきてよ―――始。
それらの想いを花は表面にださずに、一度目を閉じ、よぎった考えをとりはらう。
目を開けた先では、〈よる〉と〈よう〉がこそこそと話をしている。
どうやら先程の自殺未遂云々のことのようだ。
こちらにきかせないためか、ひそめられた会話に花は苦笑を浮かべる。
本当に、死にたいわけではなかったのだ。と・・・。
夜「ちょ、ちょっとどういうこと よう?」
陽「俺以外の獄族は光に弱いのはわかるな?春さんはそれが顕著なんだよ。
だから外に行くのはだめだっつってんのに。
春さんは太陽の下にあこがれてて、火傷をおおうがかまわず突き進んで無茶しようとするから」
夜「それで、自殺?」
陽「本人は自殺する気はないと言ってるが、こっちから見たら自殺にしかみえん。
おかげでこうして様子見に行かないと、気づかないうちに陰に還元してそうでこわい。気が気じゃないんだよこっちはな」
花『実はすでにやらかした後でして、ほら。右腕ないんだよねぇ』
内緒話に参加してしまうのはいかがなものかと思ったが、本当に死ぬ気はなかったのだと花は笑って、右手をみせる。
その腕は長い袖によってみえることはないが、あきらかに左手の袖よりふくらみが違う。
袖をめくって見せようか?と告げると、〈よう〉がその手をとってとめる。
陽「春さん、あんまこいつにそういうの」
夜「いたくは、ないんですか?」
みせないでやってくれと、〈よう〉が言い切るよりはやくに、さっと立ち上がった〈よる〉が、そっといたわるように花の右手をとる。
腕から先がないそれは、服の下。〈よる〉が右手を持てば、ほとんど布だけの感触しかしない。
花『うん。やっぱり〈よる〉はいい子だね。気持ち悪いもの見せちゃってごめんね。
でも痛くないよ。光にあびたときは焼かれる痛みがあるけど、血も肉ものこらず消えちゃうだけだから』
ほら。と右腕が左腕の袖をめくる。
〈よる〉が思っていたよりエグイ光景はなく、すこしだけほっと息をつく。
みせられた腕は、ひじから下にあるべき場所に何もない代わりに、表面はつるんとしていて、生まれた時からそこにはなにもないのだとばかりにきれいなものだった。
人との違いが、そこにはあった。
獄族だから、陰の力を浴びていれば、傷など治るのだ。
ただ陽の力によって滅ぼされたものが元に戻ることは難しい。
花『痛くないよ。大丈夫』
不安げに表情をかえる〈よる〉の頭を、長い爪をうまくよけて花が左手を伸ばしてなぜる。
ふわりふわりとなでるそれが、ふいにずるりとすべりおちる。
〈よる〉が慌てて顔を上げれば、花はうとうとしていて、どこか眠そうだ。
まだ〈よる〉の頭を撫でたそうに左腕を動かすがうまくいかず、必死に目を開けようとするがそれもすぐにとじかけける。
陽「時間だな」
陽「はーるさん、もう寝よう。な?」
花『・・・んー。あ、いやいや眠くないよ。うん。ほらみて起きてるよー。うー・・・はっ!?寝てないよ!まだ寝てないですよー』
陽「あんたはどこかの酔っ払いか」
夜「今一瞬寝てましたよ(笑)」
陽「春さん」
花『む・・・しょうがないなぁ』
業が深い。
それは事実。
年と共に業が増え、身体をむしばむ。それもまた真実。
けれど人間には聞かせられない“真”も存在する。
業の重さは、数珠の数。
数珠の数は、その獄族の力の大きさを示す。
そして“業”は、多すぎれば、魂も肉体をもむしばむものであると。
“自分以外”のあまたの他人の“業”さえ背負い続けたから。
だから“春”は、ほとんどを眠ったまま過ごす。体を動かすそれだけの体力さえ維持できない。
足が動かないのも。
・・・限界まで近づいてる証拠。
夜「春さん大丈夫?」
陽「じいさんだからなー春さん。疲れたんだろ」
真実を押し隠し〈よう〉は、すでに目を閉ざしてしまっている花を抱き上げると、〈よる〉に先に洞を出るように促した。
陽「ちょっと春さん寝かしてくる。よる は先に外で待ってろ」
夜「うん。わかった。もし春さん起きたら、またくるって言っておいてね」
陽「ああ」
陽「春さん・・・」
洞は意外と奥が深い。
一面を花のじゅうたんがひかれ、その奥では仲間が彼のためにだけ用意した布があふれている。
刺繍がされていたり、織られたり――様々な手作りのそれらが、花の寝床を作っている。
クッションが大量におかれたそこへ花をおろすと、振動でか、まだ眠りが浅かった花が目を覚ます。
少し眠たげでとろんとした黄緑色の目が、眉を寄せて何か言いたげに自分を見下している〈よう〉をとらえ、大丈夫だよといいたげに左腕がその頬を撫でる。
花『・・どうか、した・・よう?』
陽「足は・・・」
花『ああ、それ、かぁ。うーん・・やっぱり、今日ので。ばれたか。もうまったく感覚さえ、ない・・かなぁ。右ももうほとんどうごか、ない。・・業が深いのも・・・困っちゃうね』
陽「・・・・」
ピクリとも動かない足。
その服の下には、ごろごろとした数珠はない。
かわりに数珠のような赤黒い痣が螺旋を描き、まるで肉体を縛るように広がっている。それをしるのは、獄族の中でもわずかなものだけ。
花の魂は蝶の形で権現している。それは彼の左太ももあたりに片翅の蝶の痣として浮かび上がっていたが、“業”を表す数珠がそれに巻き付き、締め付けるように痣が広がっている。
数珠のような痣が皮膚の上を広がれば広がるほど、そこから花の身体は自由をなくしていった。
すでに左の蝶の痣をしばり、業は右足にのびている。
それに〈よう〉は、なんでそこまでするんだと、こぶしを握る。
強く強く、なにかをこらえるように握られた拳に、花の左手と先端のない右腕がのばされる。
感触の違う二つの腕でそっと手を包み込まれる。
陽「ただでさえ春さんの業は多いんだ。もう人と契約は」
花『よう』
静かな声で咎められるように名を呼ばれる。
それに肩を揺らすものの〈よう〉は、キッ!と顔を上げて、睨むように花を見る。
その目に宿る怒りは、怒りと呼ぶにも懇願にも近い。悲痛なものだ。
陽「だって、このままだとあんた!いまだってこんなに広がって・・もう限界じゃないか!
今だって、よる に。人に気を使って!
むかしからそうだ!人間にばかり気を使って。
人間に負担をかけないように、何度あんたから契約を破棄した!?
契約破棄は、世界へ誓った“願い”を覆す行為。
世界へ嘘を言ったのと同じで、その分かならず反動も負荷もともなう!
その負荷を全部背負って!!
どうして!!!どうしだ!?どうしてそこまで人間にかかわろうとするんですか!俺たちはあんたに、生きていてほしい・・・」
最後の方には、力が抜けるように膝をついてしまい、目から涙はこぼれないが、〈よう〉は今にも泣きそうだった。
きっと心は泣いているのだろう。
他人の業まで背負ったから、花の業は深まった。
業が魂をむしばみ、死という概念がないはずの獄族の身体さえ限界を訴えている。
大切だから。
だから死んでほしくない。
もう自殺まがいのことはやめてくれと、何度も何度もこう姿に、けれど花は首を縦に振ることができない。
花『もう、ね。忘れてしまいそうで。なのに、何一つ忘れられなくて・・・さびしい・・んだ。
だから・・契約をするのを、やめられない。
オレは―――』
花『“名前をよんでほしい”だけ、なんだよ』
花『そのために。契約の“願いの力”がほしい』
陽「春さん。春さん春さん春さん・・・たらないなら何度だって俺たちがあんたを呼ぶから。だから生きてくれよ!!!生きたいと願ってくれよ!」
握っていたはずの手が逆に握り返される。
強い力で、生きてほしいという願いと共に力を籠められる。
この世界は“願い”の想いが、力となる。
けれどこの願いだけは、いつもかなえられたためしがない。
“契約という強い願いの力”を利用しても叶えられない。
それを君はできるのか?
顔を上げてと言われ上げた〈よう〉の目が、森を彷彿うとするような鮮やかな目と視線が合う。
はずせない引力を感じる緑に、息をのむ。
ここから先は聞いてはいけないような気がしたが、〈よう〉の目は、開かれる口の動きを追うことしかできない。
花『よう・・・。ねぇ、オレの名前を――《 》って、呼んで?』
その唇が音を紡いだ瞬間。世界が大きく揺らいだ気がした。
頭の中がぼんやりとして。
一瞬何をしていたのか忘れそうになる。
〈よう〉はふらつく脳を抑えるように頭を押さえて、呆然としたまま、緑の目へ問いかける。
陽「いま、なんて?」
花『ほらね。“呼べない”』
悲し気な深緑の瞳と目があった。
それがすべての答えだった。
彼は向こうの世界で、弥生花という名であった。
そして真名は《字》という―――それこそ魂に刻まれた名前である。
魂の根源を示すという意味では、《花》という名もまたまちがいではない。
彼を表す魂の名として、人間が呼べる限界の名前が《花》なのだ。
けれど、目の前の彼には、どちらの名前もとどくことはない。
陽「・・・っ!?
これは、真名か!名前って、"こういう"ことか!」
花『片翅がないんだ。それがあったら飛んでいけるのにね。
だからオレはこの先も何度だって人と契約をする・・・名前をよんでもらえるまで、たぶんとめらない』
契約という巨大な力を生み出す瞬間。それが元の世界に帰る手段だと、花は魂で感じていた。理解したその日から、人との契約をやめない。
たとえ契約することさえできず、契約破棄とともに多大なる負荷を背負ってしまうとしてもだ。
その決意にも似た悲願に、〈よう〉はこれ以上とめることはできないのだと思い知らされる。
悲し気な色をたたえた緑に。
今日の光へ飛び込もうとした姿と、今の力ない姿が脳裏をよぎる。
陽「春さん、俺にはとめる権利がないのは理解した。だけど!それでも・・・たのむ。どうか生きてくれ!生きたいと思ってくれ!!」
思ってるよ。
いつも生きたいと願ってるよ。
いつも死にたくないと願ってるよ。
だけど、生きていたい場所がある。
そこにいくためには―――“契約”が必要なんだ。
世界を飛び越えるだけの力が。
花『死に急ぐわけじゃない。だけど願いを叶えるそのためなら、オレはこの世界の、人間のそばにいきたい』
獄族たちが、人間を嫌おうとも。
花『ようが 、オレのせいで、人間が嫌いになったのもしってる。
オレが人間に近づくたびに、業がふえて戻ってくるから。オレを心配して よう が人間を毛嫌いしていたのもしってる。
すごく、オレを心配してくれてるのもわかってるよ』
陽「なら、どうして」
花『そりゃぁ、みんなともっとそばにいたいよ』
でもね。
君からの願いでは、オレには効果がないんだ。
花『ごめんね』
花は心残りをその言葉人等に込めるように、もう一度ごめんねと告げると、〈よう〉の頭をそっとなでてわらった。
そのまま「今日はつかれちゃった」と目を閉じた。
――願いが力になるのなら。
以前のように、また“願いの力”をオレに使ってくれるようなひとはいないだろうか。
契約者と会えますようにという、“本来の願い”へ通じるための・・・そんなオレの“願い”も。
この世界はかなえてくれたりしないだろうか。
花『・・・・だったら、いいのにな』
+ + + + +
陽「たまに・・・それぞれが背負ってる“業”っていったいどんなものなんだろうって思う」
夜「どういうこと?獄族は業を理解してるんでしょう?」
陽「業という存在はわかる。ただ、それだけだ」
夜「獄族なのに、よう にもわからないものなんだね」
陽「むしろ獄族とか関係なく。本当の“業”とはなにか。きっと誰も知らない。知っているのはきっと世界だけだろうぜ」
夜「え」
陽「春さんが言ったように、だれも自分の業について語ることも教えることもできないってのは、暗黙の了解でもかん口令がひかれているわけでもない。
本当にはなせないんだ。なぜって“内容を知らない”から。
変な話だが、獄族でさえ、自分自身にどんな役割があるのか知らないんだ。
世界からかかせられた役割ってのは、無意識にこなすらしい。それが生まれ持った“業”」
陽「・・・・よる」
夜「ん?」
陽「春さんの言葉、あれは鵜呑みにすんなよ」
夜「よう?」
陽「春さんがした話は、半分嘘というかまだまだ隠している。言っていない真実がある。疑うなら人間に伝わってる知識を疑え。全部が正しいわけじゃない」
夜「どういうこと」
陽「よる は、獄族の数珠についてどういう風に聞いてる?』
夜「あ、えっと、人間をまねた獄族がおしゃれとして始めたと。
でも獄族は爪が長くて不器用だから、数珠をつくるのが精いっぱいだったって。それが次世代にも伝えられ、獄族の風習になったって本に」
陽「それこそ間違いだ。
しかもそれ春さんが広めた“嘘”だ」
夜「え?」
陽「獄族が数珠を持って生まれるのは、業を背負っていることを忘れないため、目で見える形として世界がのこした結果らしい。
数珠の数は、世界がかかした業の重さに比例する。
魂に刻まれた役割を果たすために、元来どの生き物もその役割を全うできるだけの力を与えられて誕生する。
獄族の数珠は先程言ったように、業が目に見える形となったもの。
つまり、数珠の数は獄族が持って生まれた“力”の大きさとも比例するってこと」
夜「数珠が、獄族の力の大きさ」
陽「当時、数が少なかった獄族を人間の欲から守りたくて、当時の獄族に嘘を言うように教えたのは春さんだ。
あのひとと、かかわりを持った人間たちにも、春さんは業や力については一切教えず、“嘘”を伝えた』
人と獄族、双方を傷つけないため。
本来の“業”の意味。その重さに、生まれてきた子らが、耐えられないことがないように。
人間が力の強さだけを見て、獄族に手を出し、契約を無理強いしたり、獄族狩りなんてすることがないように。
陽「自然の流れで契約は結ばれるべきであるという・・・配慮から生まれた、いじらしいぐらい優しい嘘だ」
夜「どういう・・・・待って、よう。それは、人間でしかない俺が聞いてもいいこと?」
陽「むしろ。聞いてほしいのかもしれない」
陽「“業”に関して。数珠に関して。これは俺だって、他の獄族だって、本来は絶対口にしないことなんだからな。
春さんに言われたから言わない。とか、そういうんじゃなくて、俺たちは人間にも他の獄族にも“業”の本当のことについて語らない。
暗黙の了解ってやつだな。
なんちゅーか、言葉で説明しづらいんだよ。魂が感じてるだけだからな」
陽「・・・まずは、数珠のことだ。
生きていれば、新たな“業”を背負うことがあるから、生きれば生きるほど数珠の数が増える。
だから長生きした獄族の数珠は、増える。
だけどそれが毎年増えるわけではない。ましてや数珠の数が年齢を表しているなんてことはない」
生きていれば、考える。行動する。それによって自分の責任であらたに“業”を背負うことはある。
だけどそのほかに、ときに他人が負うべき“業”さえ、背負うこともある。
どんどん“業”を背負っていくから、“業”は一定ではない。同時に数珠は増える。
陽「数珠が減ることはないけどな」
陽「増えると言えば、春さんが・・いい例というか悪い例だな。
春さんは長く生きてる分、いくども契約をしている。けれどどれも成功していない。だから人間が背負うはずだった“業”をいくつか身代わりになって請け負ったりしてるから、
たぶん相当あの人が背負っているものは重い。
数珠だって、あの一連だけじゃない。
あのひとの服の下、数珠の模様にしかみえない痣が皮膚の表面覆ってるし」
夜「ようやくわかった気がする。春さんがごまかしていたものがなにか。・・・だから“業”のせいで足が動かないって言ってたんだね。たしかに嘘じゃない。だけど・・・数珠だね」
陽「そういうこと」
夜「肝心なことは告げていない、か」
陽「俺と契約をしたから信用して話した。
いや、ちがうな。
あのひとのことだから、たぶん よる のことを春さん自身が知ってたんだと思う。
それでも詳しく話すと世界の理にかかわってくる。真実を話すには重すぎたか。あるいは、お前に聞かせたくなかったのかもしれない。“業”の存在をしり、辛くならないように」
夜「ふふ。ならその答えだけは簡単だね。きっと後者だよ。だって春さんって、そういうひとじゃない?」
陽「だな。深く考える必要はかったな。
それもそうだよなー。なにせ俺らが自ら追究するまで、春さんは“そういう”俺らにとって悪いものに関しては、教えてくれたことないし」
夜「いいひとだよね、春さん」
陽「いいひとすぎるというか、謎が多い。あと他人のことばかり気にして、自分をないがしろにするのは、さすがに勘弁してほしいとこだけどな」
夜「ほら、やっぱりいいひとだよ」
陽「さて。話がずれちまったな。
数珠は伝統的ファッションというのは嘘。数珠とは“業”の数と、力の強さを示すのが正しい。ここまではいいな?」
夜「うん」
陽「次は、いつから獄族は“業”について理解するか。だ。
これは“最初”からというのが正しい。
俺たち獄族は“業”がなにかを生まれながらに理解している。
感覚で、“業”ってどんな存在なのかってことを知識として、最初から植え付けられて生まれてくる。
春さん風に簡単に言うなら、本能とでもいうのか。
“業”という存在が、世界にとってどういうものかは、自我もおぼろげな段階でさえ把握している」
陽「じゃぁ、そもそも“業”ってなにかっていうはなしだ」
陽「春さんも言ってたが、この世界にあるものにはすべて“運命(サダメ)”が存在している。
それが“業”」
陽「魂が生まれる前から決められた役割のようなもので、存在しているだけで、世界の望む通り“役目”が果たされている。・・・とされる。
だから、さっきも言ったが、どんな“業”を自分が背負っているのかは、誰も、それこそ本人でさえ知らない。
存在してるだけで仕事をしてるってことになるんだから、そりゃぁ知る必要がないしな(笑)
“業”なんてもんはさ、本来であれば目に見えないものだ」
数珠は、あくまで獄族が“業”という存在を忘れないため。
陽「獄族への戒めなんだってさ」
二度と"獄族が同じ過ちを犯さない"ようにするために、世界は獄族の"業"を目に見える形にした――とは〈しゅん〉の言葉だ。
“業”は、生まれながらに魂に刻まれたもの。
それが魂を形成してるといってもいいから、それから逃がれることも外すこともできない。
その刻まれたものをなしとげるために必要な分の力を、世界は生き物に与えてを誕生させる。
陽「そうそう。べつに“業”について語ることが禁止されるわけじゃないぜ。
春さんは「しらないふりをしろ」とみんなに言いきかせるけどな。
人間に数珠についてきかれたら《ただの伝統的ファッション》と、そう言えと教えられてきた。
もちろん春さん以外の年のいった獄族も、みんなそう言えとこどもたちに教える」
夜「それってやっぱり人間が関係してる?」
陽「たぶんな。
数珠は“業”の数を表してるんだ。つまり力の強さも同時にしめてんの。そうとわかると人間は、数珠を基準に獄族をねらうだろう?数珠の数の少ない弱いものから狙われるのは目に見えている」
夜「本当に数珠は“業”をしめてるんだ。
なんだか・・・命を丸裸にしてさらされてるみたいで、こわいね」
陽「そういうこと。だから数珠の真実について獄族は語らない。
業についても語ることをしない。
必要性がないから」
世界がひとつひとつの魂に与えた役目を担う。役目こそが“業”であり、人の言葉で言うならば、それこそが運命(サダメ)。
獄族も人も、世界に生きる者は、その役目を全うするだけの力を生まれながらに与えられる。
陽「それがやっかいなことに、なぜか獄族は目に見える形で現れている。
だから数珠の数が多ければ多いほど背負う“業”は重く、深く。
世界によってかかせられた役目も多い。その分、それをなしとげるための力も持っているわけだ」
陽「力=数珠の数。それが人間に真の意味で広がってしまえば、数珠の数で人間は獄族を判断してしまう。
そうしたら獄族は人間に利用されかねないから」
――だから獄族は、真実を闇で覆い、沈黙の中に隠す。
陽「とはいえ。おかしな話だけどさ、“業”の存在を身近に感じている獄族でさえ、実は自分にかかせられた“業”の内容自体は本当に知らないんだ。あの春さんさえしらないんだ。
世界に存在しているだけでかかせられた役目を果たせるからとかなんとかで、知る必要がないってことらしいだけどさ」
夜「世界に、かかせられた役目・・」
陽「誰にだってそれがあるはずなんだ。だから“業”って何だろうって思う瞬間がある」
陽「たとえば、お前に与えられた使命はなんだろう?俺はなぜ〈陽〉と名を得た?春さんはなんであんなにも“業”が深い?とかな」
陽「ま。二重の数珠をもって生まれたってことは、俺だって実はけっこうな役目を与えられてるみたいが、それがどんな内容なのかしらない。
滑稽だよな。
存在してるだけで役目を果たしてるなら、“業”の知識なんかいらないだろって何度思ったことか。
なのに獄族には“業”の知識がある。これこそが役目を担うってことなのかもしれないがね」
夜「それって、つまり よう って・・・」
陽「そうさ。生まれた時から、俺も しゅん もすでに二重の数珠があった。長生きが理由じゃない。
たぶん俺たちは、他のやつらとはまた違うなにかを背負わなきゃいけないんだろうが。いや、もう背負ってんのかもしれないが。
個人の“業”の中身を知るものはいない。当の本人でさえな。
だから、ま、よる が俺と契約したことを不安がる必要は」
夜「よう って、エライ存在だったんだね!ごめんね。いままで雑に扱っちゃって!!」
陽「おいこらまて。いま、すっげー俺、真面目な話をしてんだけど。ちょっと、なぁー よるさん!?」
夜「・・・ん?あれ?」
夜「ねぇ、ちょっと待って。いまままでの話を聞いてるとさ。すっごい気になることがあるんだけど」
陽「あーお前も気づいた?」
夜「体が動かせなくなるぐらい“業”を持ってる春さんって何者?」
陽「思うよなー。やっぱ よる も思うような!つか、あの獄族の頂点とさえいわれてる しゅん より“業”が多いんだぞ。信じられるか?」
夜「だ、だよね(汗)え・・・本当に春さんなにしたの?」
陽「他人の“業”まで背負ってるのは知ってるけど。
つかさ。おっそろしい話、していい?もちろん春さんのことなんだけどさ」
夜「え」
陽「あ、選択肢はないから。聞け、よる。
たぶんだけど・・・春さんってさ、きっと自分の“業”の正体も知ってるんじゃないかって」
夜「はぁ!?どういうこと!?だってさっき誰もしらないのが“業”だって!!春さんも知らないって」
陽「だから、春さんは例外だっての!
いや、自分のだけでなく、あのひと獄族にかかわらずきっと、それが“わかる”気がする。たぶん目で見えるもんじゃない。ただなんとなく空気の違いを感じられる程度なんだろうけどさ。
よる の名前を当てたのと同じように。
たぶん魂にまつわる“なにか”の情報を、春さんは“わかる”ひとだ。じゃなきゃ、俺とお前で運命なんて言わないだろ」
夜「え。人間にも業ってあるの?数珠はないけど」
陽「ある。言っただろ。“業”は魂に刻まれた役目の重さのことだって。
だから人間も他の動物も、だれもが生まれながらにもってんだよ」
夜「・・・・・ねえ、ちょっと よう。ここまで聞いといてなんだけど。今のって、本当に聞いてよかったの?背筋が寒くなったよ。魂とか・・・なんか俺、怖い」
陽「大丈夫だろ。というか、お前にだけは《世界の真実》っての?言わなきゃいけない気がした」
夜「でも春さんに よう が後で怒られない?」
陽「別に春さんが獄族のまとめ役でも王でもないから、それはないな」
夜「でも・・・春さんっていろいろ“わかる”んだよね?それってもう世界と生き物の橋渡しをするひとみたいじゃない」
陽「あー、それなー。
たしかに俺がお前に真実を話すのは、わかってたかもしんないわ。
なにせ、別れ際にさ、すっげぇー意味深にいい笑顔してたから、俺がしゃべるの期待してた可能性あるな。
うん。というか、言うだろうなとは、わかって見送ったんじゃね?」
夜「え」
陽「おいおいもう忘れたのかよる。春さん、“わかる”ひとだぜ。
夜「あ、ああ。うん。わかってたつもりだったけど・・・ごめん、改めて言われるとちょっと想像がついていかなくて。なんか、うん。でも今のでいろいろ納得できた」
陽「なんというか、春さんってのはあれだ」
夜「もう規格外な驚きはお腹いっぱいだよ!!!」
陽「まぁ、きけ」
夜「うう・・・」
陽「春さんってさ、たぶん長居しすぎて空気読むことにたけたんだろうな」
夜「なにそれ」
陽「なにって」
陽「未来予知的なレベルで空気が読める」
夜「それなんかもう次元が違うから!もう勘弁して!頭おかしくなる!!」
陽「なぁ、世界の真実と春さんの謎。どっちが衝撃来た?」
夜「それを俺に聞くの?」
陽「いやだって・・・」
夜「もう最後の聞いたら、世界の真実とかどうでもよくなったよ。春さんがいろいろ凄いってよくわかった」
陽「あ、だよな。その結論になるよなー(遠い目)」
夜「うん。なるよ」
夜陽「「はぁ〜・・・」」
+ + + + +
〈よる〉は最初のころ、契約した獄族である〈よう〉がふらりとでかけることに何も思わなかった。
ただ出かける頻度が多くて。
いつしかできかける〈よう〉後をつけたことがあった。
その先でであった、淡い色の獄族。
春という名の優しいひと。
はじめてあった日から、〈よる〉はすでに春に興味を持っていたし信頼していた。
それからは〈よる〉も〈よう〉と何度も彼の元をおとずれた。
訪れる日のそのほとんどが、やはり彼は眠ったままではあった。
ある日など、〈よう〉達がいる間、目を覚ますことがなく眠ったままだったこともある。
起きている日は会話をしたりお茶をしたりした。
あのひとは、この世界にはほとんど存在しない“花”を司る。
そのひとがいるだけで、おとぎ話にきいた“春”の温かさを感じられる。
“春”がどんなものかさえしらないけれど。
獄族の春は、晴れた日の大空のようなヒトとでもいえばいいだろうか。
その腕で、すべてを包み組んでしまうやさしいヒトだ。
あのひとが長くいた場所にはあの人の力が染み込み、あのひとを陽射しから守っていた洞は、日もあたらないのに柔らかな色彩で常にあふれている。
見たこともない花が咲き乱れる。あの人が眠る優しい場所。
気付けば〈よる〉も自主的に彼のもとを訪れるようになっていた。
ときには〈よう〉と。
ときには別の獄族と共に。
彼とともにいれる空間がひどく温かく、気持ちを穏やかにさせた。
今日は起きているだろうか?
初めて作ったお菓子は気に入ってくれるだろうか?
そんな話をしながら、やさしい笑顔が迎えてくれると信じて疑わず、〈よる〉と〈よう〉がそこへ足を踏み込んだ時。
そこはいつもと何もかもが違っていた。
暖かい色を咲かす花はある。
だが――
陽「なんで・・・」
〈よう〉と〈よる〉がいつものように、春の様子を見に来た時、そこには誰もいなかった。
あったのは、複数の靴跡と、無残に踏み荒らされ散った花々だけ。
天井を照らしていた色とりどりのあたたかな光もいまはない。
花はところどころ元気がないようにしおれ、部分的には茶色く枯れてしまっているものもある。
年中咲かせていたこの場の花が枯れる姿など、長年ともにいた〈よう〉とてみたことがない光景だった。
平らな岩を机と見立てて、そこでお茶会をしたり、いつも春が腕枕でうつ伏せになってうたたねしていたりする場所。
指定席のような場所には、花はなく、割れた花瓶と靴跡でふみ潰され引き裂かれたクッションだったものがあるだけ。
陽「くそっ!!!」
荒れ果てた光景を見て愕然とした〈よう〉は、力なくその場にひざをつき、踏みにじられたおられた
花の間にあったものを手に取り、悔し気に地面にこぶしをたたきつけた。
洞には、彼の慟哭だけが物悲しく響いた。
〜 Side太極伝記のはる 〜
〜〜の〜夢の終わりに♪
白く〜揺らめく〜君を追いかけた〜
窓の外は〜
雨の音だけで♪
僕らは 僕らは 夜明けに〜溶けてゆく〜♪
夜『わー!やめてください!なに口ずさんでるんですか はるさん!!はずかしい!!』
春「えーなんだかいまのオレたちみたいだな〜って」
昨日は雨でも降っていたのか、かすかに湿る空気をまといながらも青い空をのぞかせる街をあるきながら、ニコニコとして〈はる〉が歌を口ずさむ。
なんだか聞き覚えがあるなと思っていた陽と夜だったっが、すぐにそれが自分たちの歌だとわかり慌てだす。
春「街を歩く〜誰も知らない♪
花の匂いに〜胸を躍らせた〜
独りきりの空が傾いて〜♪」
慌てる二人をおもしろげに目を細めて見つめ、それでも〈はる〉は歌うのをやめない。
〈はる〉にとって、この世界はまるで、夢のようなことだった。
光のなかで街を歩くのも。
花の匂いを感じることも。
青い空を見上げることも。
すべてが叶わぬ願いであった。
〈はる〉にとって、現在目に見て、感じるすべてが、儚い幻のように思えていた。
やがてさめてしまう夢。
いま、この瞬間にも終わってしまうかもしれない。いまにも目が覚めてしまうかもしれない。
さよならを告げるには、短い期間だというのに、この世界は暖かくて。
一瞬一瞬をすべて刻むように。
この世界のすべてを忘れないように。
あちらに少しでもこの暖かさをつたえられるように、〈はる〉は興味が絶えない。
楽し気に街を歩く〈はる〉に、陽も夜も自分たちの世界の春の姿が重なる。
目に見えるすべて眩しい。
この世界は輝いてるようだねと微笑む〈はる〉に、けれどこちらの春とは違いどこか寂しげな微笑みに、陽も夜も「せめていまだけでも」と気持ちを切り替えて声をかける。
陽『はるさんは覚えるのが速いな。俺たちの歌まで完璧だし』
夜『うん。なんかひきこまれそうになっちゃいましたよ。自分たちの歌なのに最初は気づかなくて』
春「ふふ、ありがとうふたりとも。
“淡い花”だったかな?夜が楽しそうに歌ってたから、陽のところの歌詞も教えてもらってね。
できることならもっともっといろんなことを覚えて、“帰えったら”聞かせてあげたいな。って。
本物の光も青空も街も花も温かさも・・・しることのない。むこうにいる“だれか”に」
〈はる〉が本来いるべきなのは、太陽の太陽の代わりに月の光が照らす銀色の世界。
温かい空気の代わりに、冷えた風が頬を撫でる。
花や色などあるわけもなく、陽気なメロディーもリズムもない。
何もないがゆえに美しさと、そして静寂が広がる場所。
だから歌うことできかせたいのだと、〈はる〉は笑う。
隼と始は、〈はる〉が戻るころ、あちらの世界には必ずツキウタのメンバーが傍にいると告げた。
それでもたかが口約束のようなそれは、絶対ではない。
ましてや異世界から来たばかりで彼らと長い付きあいがあったわけでない〈はる〉には、隼と始の言葉に力があるかなどわからない。
ただ今は信じられるのが彼らだけだから。
だから彼らの言葉を信じるしか、〈はる〉ができることがなかっただけ。
〈はる〉は、こちらの世界の弥生春になりきるつもりはない。
はじめのうちはさすがに入れ替わってしまったのだから、春に変な醜聞などをつけさせないようにと必死だったが、
なにやらこちらの自分は特殊な性格らしく、どうしてもなり切ることが不可能だと理解した。
かわりに、この瞬間をもらえた奇跡を堪能することにしたのだ。
〈はる〉がたくさんの歌を聞きたがるのもその一つ。
春「歌といっても一つのリズムじゃないんだね。一人ひとりのリズムも雰囲気も違う。
あの寮にいる人間の数だけ、いやそれ以上にいたくさんの歌があって、世界にはいろんな音が響いていてすごい驚いちゃった。
あっちの世界には、歌もリズムもなかったから」
粉雪舞う静寂がキラキラと舞うなかを星が見守る世界。
人と獄族が住む場所も時間帯も違っていて、契約もできないままであれば、一生知ることがなかった光景を〈はる〉はいま体験していた。
夜『きっとうちの春さんならこの現象を“そんなオレにプレゼントだよ!”とか笑って言いそうです』
陽『だな。むしろあの人ならなんとかできそうwww』
春「・・・・ちょっと待って。なんとかできるって。え?こっちのオレのこと?だって力があるのは霜月くんでしょ?え?ちょっとまって。こっちのオレっていったい」
陽『あーそういえば。花さんは力とか全くないんだった』
夜『でもなんとかできちゃうんですよ花さんって(苦笑)』
春「え〜。本当にこっちのオレっていったい」
あの日 きっと僕ら♪
毛糸のように
小さくなって 見えなくなって
お互いの想い 胸に隠して
笑顔の奥で 泣いていたんだ
踏み出せないまま 飲み込んだ声
小さくなって 見えなくなって
思いがけない言葉がこぼれた
サヨナラなんて 言いたくない♪
陽と夜が〈はる〉に合わせて歌いだす。
けれど〈はる〉にとってその歌こそ。今の気持ちを代弁しているようで―――
『あ゛。おまえ弥生か』
陽と夜と買い物を満喫していた〈はる〉のもとに、ふいに声がかけられた。
顔をあげれば、なんとなく他の客とは違った雰囲気をまとう青年が視界に留まる。
けれど弥生春ではない〈はる〉には、自分が誰に呼ばれたかわからず、首を傾げつつ隣にいた陽に助けを求める。
しかし頼みの綱であった二人も動きを止め、なにやら前方をみたまま固まっている。
春「葉月くん、長月くん・・・あの」
陽『はっ!?あ、わり はるさん。いまちょっとトンデた』
夜『まさかの。ど、どうしよう陽!?よ。予想外すぎるぅ!』
突然頭を抱えて騒ぎ始める二人に、疑問符を浮かべながら首を傾げる。
そうこうしているうちに正面にいた二人組の青年のうち、先程の存在感がある青年が近づいてくる。
顔は嫌そうな表情をかくすでもなく眉を吊り上げてやってくる相手に、〈はる〉は自分が嫌いならなんでわざわざちかよってくるのだろうと不思議に思う。
だが相手から感じるのは、殺意でもなければ、嫌悪のような嫌な視線でも感情でもない。
人間の感情にいまだくわしくない〈はる〉は、自分(弥生春)にむけられているだろうその視線の意味を理解しかねた。
この世界の自分が彼を“いいひと”と評しているのを、〈はる〉はしらない。
陽『おひさしぶりっす朏さん』
夜『こんにちわ朏さん。お元気そうですね』
朏『おう。葉月も長月も元気そうだな・・・・で?』
春「うん?」
朏『あ゛ぁ?』
朏ににらまれつつ、きょとんとしてる〈はる〉。
〈はる〉に首を傾げられ、さらに眉をしかめる朏。
わたわたする陽と夜の横でしばし無言のにらみ合いが続いた。
朏の連れらしい青年は困ったようにしながらも、どこか楽し気に彼らの様子を見守っている。
っと、先に口をひらいたのは――
朏『誰だあんた?』
春「え?えーっとオレは“はる”ですが・・・えっと、そのミカ、ヅキさん、ですよね?オレに、なにか?」
夢見草の舞台以降、本来なら共演者である夜や陽のほうが親しくなってもいいのだが、なぜだか縁が全くなさそうな弥生春と朏が最もしたくなった。
その相手がなぜか目の前にいる。
〈はる〉は相手がどのような人間かはしらなかったが、陽と夜が相手を“みかづき”と呼んでいたので、名前はあっているハズと会話へと持ち込むことにしたのだ。
〈はる〉にとって、人間は獄族を嫌っている存在だ。
殺意を向けられるのもいつものことで、朏の探るような強い眼差しなど、たいしたものではなかった。
ひるむ理由もない。むしろそのまっすぐな感情に、好感さえもてるとさえおもうのは、相手のまとう空気が優しいからだ。
夜『がんばれ はるさん!そうですよ朏さんです!あってます!!』
陽『っというか、“誰だ?”ってもうばれてんじゃんwww』
夜『え、それまずいんじゃ』
春「あの、ミカヅキさんはオレになにか用ですか?」
朏『“みかづきさん”ね。ふーん。
っで、弥生は?』
予想外な言葉は、朏からむけられた。
さすがに自分が外側は“弥生春”のものであるため、中身が別人だと気付く相手がいるとは思っていなかった〈はる〉は、言われた言葉に戸惑い、どう返答を返していいのかわからなくなる。
あたふたする珍しい“弥生春”の姿をみて、朏は小さな子供を相手にするように、〈はる〉の頭のアホ毛をつぶすようにくしゃりとなでた。
春「ふぇ!?」
朏『まぁ、おちつけ。なんかいろいろ大変そうだが、お前が悪いんじゃねぇだろ』
春「!?」
朏『こっちの弥生はまっとうな反応だな。それで?二人のうち一人ぐらいいないのか?』
春「え・・・あのふたり?えっとヤヨイ、さん?は、その・・・あ!あのオレ、やよいはるで」
朏『ああ、もういいって。無理してあの変人の振りしなくて。
お前“3人目”か。ついに分裂したのかあいつ。大変だな』
春「へ!?ぶ、分裂?」
朏『お前は気にするな。どうせ変人がなにかして、ついに人間を捨てて変態になっただけだ』
春「は、はぁ・・・?」
朏『あ、そうだ。弥生が帰ってきたら、「お前の分のラーメンはもうない」っていっとけ』
春「え?あ、はい(あ、らあめんってなんだろ?)」
陽と夜の心配をよそに、朏はそれだけいうと〈はる〉の頭から手を離し、あっさりと手をふりながら去ってしまう。
頭をなでられた〈はる〉はひたすら困惑顔であったが、撫でられた頭に手を伸ばしたりしていた。
友『なー朏。さっきの弥生春だよな?グラビの。実物はやっぱり背ぇたけぇな!つかお前、明日飯食う約束したのってあのひとじゃ・・・』
ツキウタメンバーたちと離れて少しして。
朏の友人が隣を相変わらずの表情で歩く友人をみやる。
怒っているわけでも先程の相手に興味を持っているのでもない、何も変わらないいつもと同じ表情。
だが、“弥生春”の名を出されたとたん。朏の顔が何十個も梅干を食べたような渋い顔にかに変わった。
朏『はぁ?どこが弥生なんだよ。あいつはあんな(性格、言動、服センスが)まともな奴じゃない。あれは別人。明日はお前が付き合え。このまま二人でいくぞ』
友『つか、お前顔!かおひでぇwwwww本当にお前と弥生さんの関係がよくわからないんだけどwww飯食べたり、遊びに行ったりするくせに、その辛辣な態度www』
朏『わけがわからないのはあの変態だけだ』
遠ざかっていく二人のやり取りを聞きながら、陽が「まいったね〜」と苦笑をこぼす。
いまだにポカーンとしていた〈はる〉の服と頭のみだれをと整えてあげた夜も「そうだね」と笑い返す。
陽『さすが演技ではだませないひとbP朏ユヅル』
夜『ふられちゃいましたね〜はるさん』
陽『あのひと、普段から花さんが二人いると信じてるからwwwつか、三人目発言は予想外wwwww』
夜『でもあの調子なら、他の人は はるさんのこと“弥生春”って信じてくれそうですね。よかった』
春「よくわからないけど・・・ねぇ、長月くん。人間ってぶn」
夜『分裂なんかしませんからね!!』
陽『wwwwwwwwww』
春「そ、そうなんだ・・・・・」
〈はる〉にとって、人間というものへの謎がまた増えた瞬間だった。
〜 Side太極伝記世界〜
〈よう〉と〈よる〉がいつものように、春の様子を見に来た時、そこには誰もいなかった。
あったのは、複数の靴跡と、無残に踏み荒らされ散った花々だけ。
陽「なんで・・・」
洞の花畑の中で、〈よう〉の声だけが響く。
荒らされたそこには、いまとなっては本来の主がいた気配すらなく、花が哀し気に朽ちようとするばかり。
拾ったものを強く握りしめていた〈よう〉の拳が、花を散らして地面に強くたたきつけられる。
陽「くそぉっ!!!なんでだ。なんで・・・」
“手の中のもの”をにぎりつぶしながら〈よう〉は、頭を抱えてその場にうずくまる。
慟哭にも近いそれが幾度も洞に響き、そんな〈よう〉の姿にみていられないというように、困惑げな表情の〈よる〉が、不安を取り除こうとするようにそっと相棒の背を撫でる。
やさしくなでるそれに、けれど〈よう〉の表情が変わることはなく――
夜「よう・・・」
陽「春さん、なんで・・・」
《懐かしい眉毛をしたしらないひとがチョコをくれるというのでいってきます。お土産期待してね》
陽「なんで、しらないひとについていっちゃったんですか!!!あれほど言ったのに!!!」
花にまぎれておちていたメモにかかれていた文字をみて、〈よう〉が再び叫ぶ。
〈よる〉は困ったように眉をハの字にしつつ「あはは」と笑うしかないなぁと、ちょっと視線を遠くへ向けている。
懐かしい眉毛ってなんだ!?と、そのメモを見た瞬間、二人の心は一致したほどだ。
さすがに、笑うしかない。
だが、本人からついていったとしても、そうでないとしても・・・歩けない彼のことである。嫌がってでも抱えられてしまえばそれまでだ。
なにより現状からして、これは明らかな誘拐である。
春は間違いなく連れ去られたに違いがない。
たとえ、なんとも言い難いメモが残されていたとしても・・だ。
夜「よう おちついて。ひとまず探しに行こう、ね?」
陽「眉毛ってなんだですかぁ〜はるさぁ〜んorz」
夜「そこは・・・さすがにちょっと俺も気になるけど。
ほら、しっかりして、よう。攫われた春さん(たぶん本人攫われた自覚ないんだろうけど)を助けに行かないと」
陽「そうだった!また無理やり契約させられたら今度こそ春さんがあぶない!」
〈よう〉が〈よる〉の言葉で顔を上げた時、ふいに背後の空間が揺らめき――
ガッシャン
「ねぇ、春は?」
夜陽「「あ」」
高価そうな茶器が割れる音が、洞に響き渡った。
+ + + + +
陽「しゅーん!!しゅん!!大変だ!!!!」
普段はだるそうにしていて積極的に自分から騒ぐようなタイプではなく、獄族らしく足音を立てないはずの〈よう〉が、
バタバタと大きな足音をたてて、〈しゅん〉のもとへと駆け込んできた。
そこは〈しゅん〉の契約者である人間〈かい〉のやっている何でも屋である。
その奥の住居スペースで優雅に椅子に座って、紅茶を楽しんでいた〈しゅん〉のもとへ血相を変えて駆け込んできたことに少なからず予想していなかった〈しゅん〉も驚きの表情を浮かべる。
隼「おやおや、どうしたんだい、よう。君があわてるなんてよっぽどのこ」
陽「春さんがさらわれた!」
隼「とかなゴッフォ!!!ごほごほごほ・・・ご、ごめん。よう。いま、なんて?」
陽「春さんがさらわれたんだよ!」
再度告げられた言葉に、〈しゅん〉は紅茶を吹き出し、そのまま激しくむせる。
こちらもめったにお目にかかれないような姿である。
夜「よ、よう はやいよー!あ、しゅんさん大変なんです!春さんが知らない人についていちゃったみたいで!!」
隼「ごほごほごほ!!!」
夜「しかもそこへ、たまたまお茶をもってきた るい が居合わせて!」
隼「ごほ!ごほごほ!ごほっ るい だうっぐ!!!!」
夜「るい は春さんが誘拐されたのを知るなり、唐辛子とわさびとからしとコショウとセロリとハバネロと・・・・・・・・をすりつぶした団子を作り始めて!洞が今やばいにおい立ち込めてます!」
隼「ぶっふぉ!!!ごほっごほごほごほ!!!!!
ちょ、春だけでも何してるの!?って思ってたのに、現場に るい がいたのかい!?」
陽「いたからあいつ戦闘準備してたんだろ」
はぁーと深いため息を吐いて空いた椅子にどっかりと腰を下ろす〈よう〉に対し、
長い袖で口周りを拭きながらなんとか体制を整えようとした〈しゅん〉は、後からやってきた〈よる〉の追撃によって、もう見るも無残な情けない しゅんさん になっていた。
彼らが言う〈るい〉とは、獄族と人間の血をもつ狭間の子供であり、まだ身動きが少しはできていた春がどこからかつれてきたこどもだった。
獄族は本来自我を持たないものだが、長い年月を生きてきたり人間とともに歩むうちに自我を獲得する。
春が長い年月をかけて育ててきた獄族たちは、見な自我をもつ。
春の手をかりずに自我を得た獄族たちは、本能によせられるせいか自尊心が強い
そんな彼らは本能では、自分たちを消せる「陽」の存在として人を恐れてもいる。
だが、逆に、獄族は人を弱い存在と見下してもいた。
進化に追いつけなかった生き物としてみているのだ。
そんな人間との間に子をなせるなどとわかれば、人間も獄族も同列の種族ということになってしまう。それには自尊心が高い獄族が許さなかった。
そのため〈るい〉は、生まれた時から、その命を狙われていた。
〈るい〉は人でありながら獄族でもある。
だから陽の光も平気だ。
見た目は人間とかわらない。
もしも人間の中で普通の人間と同じように育てることができていれば、〈るい〉が獄族に狙われることはなかっただろう。
だがしかし、彼は外見は人間であるのに、成長速度も寿命も力も・・・すべてが獄族のそれであった。
人間の中で暮らすには特出したそれは、人の世では受け入れられず、獄族の世でもまた同じ。
獄族の中には派閥がある。
人間とも共存をと望む穏便派。
自分たちはただサダメにしたがうだけと傍観を決め込むもの。
そのどちらでもない強硬派のものたち。
〈るい〉を狙ったのは強硬派のものたちだ。
彼らは“狭間の存在”を獄族の尊厳にかかわるとして、“獄族の力を持つ人間の子供”という存在を抹殺しようとした。
獄族という存在そものを動かすほどに、赤子であっても〈るい〉の力は大きかった。
それは彼がこの世に生まれた段階で、獄族にはどこかで“新たな同族が生まれた”と認識させるほどだった。
その力の大きさに惹かれ、または優劣をつけようと挑みに来る獄族が現れ、そのさなか〈るい〉を守って彼の両親は殺された。
詳細はその現場に居合わせた春だけが知っていることだが、あやうく獄族によって命を消されかけた〈るい〉を助け出し、赤ん坊だった彼を守り、襲い来るものを追い払った。
そうして〈るい〉は春によって育てられた。
春が〈るい〉をみつけだした。
彼は愛情をもって赤子を育て、身を守るすべを教え、ときに身を挺してかばい、そしてその巨大な力の制御法をも教えこんだ。
〈るい〉はいまでは、こことは軸のズレた空間に存在する不思議な茶屋でやっかいになっているが、空間に干渉できる能力をすでに手足のように使いこなし、
自由に現世と向こう側を行き来しているほどだ。
弱く守られているだけの子供はもうどこにもいない。
隼「ごほ・・・ふふ、僕としたことがつい動揺してしまったよ」
夜「大丈夫 しゅん?なんか口からいろんなものが出てるよ」
隼「はは・・も、もうドッキリはないよね?ああ、お茶が台無しだよ」
陽「お前の服も台無しだぞ魔王様」
隼「これくらいなら指のひとふりでなおるからいいとして。
それにしても、るい かぁ。まずい子に春の不在を知られちゃったね」
獄族の多くが春に名を与えられ育てられたとはいえ、そのなかでも〈るい〉は特別だ。
彼が春に抱く感情は、名付け親にむけるようなものでも家族に向けるようなものでもなく、
もっと深い情とあつい信頼を見せるそれはまさに恋人――――なんか目ではない『絶対的神』に対する崇拝に近い。
隼「春は、弟子を取った気分でとても楽しそうに るい を育ててたけど。
あれは、結局ただの熱狂的な春信者を増やしただけだったんだよね。
その るい が“春”の不在を知ったとなると・・・・」
陽「まぁ、春さん誘拐したやつが無事であるはずがないな」
夜「そんなに るい ってすごいの?俺、あの洞でしか るい に会ったことなかったら、くわしくしらないんだけど」
陽「あーそっか。“茶屋のるい”しかしらないと、強さとかわかんないか。ましてや人間だと“そういう”感覚はないか。
よる はさ、るい がなんであの茶屋にいると思う?」
夜「それこそどうして?」
陽「あのどこにも存在してなくて、どこともつながってる不思議な茶屋あるだろう?あそこは、まさにこことは違う次元に存在する“異界”だ。
あちらでは時間はこないし、店に望まれた客しか踏み入れることができない。
先代の店主、えーっと いく の祖父さんなんだが、そのひとが受け入れて以降、るい はあっちで暮らしてる。
理由は、るい が獄族だからだ。・・ああみえてな。
それもそうとう力が強い、な。そのせいで身が危うくなって、“異界”で暮らしてんだけどさ」
隼「僕は頂点にいるために、力が強いんだけど。るい はそういうのとは違って、ただ力が大きんだよねぇ」
陽「簡単に言うと、この魔王の次にバカでかい力を持ってるのが るい」
夜「あ、わかりやすい。って?!うそっ!?」
隼「これが本当なんだよねぇ。ちなみに我らが春は、おかしなことにそういった力はまったくないんだよね(笑)」
陽「春さんは特別。規格外だとでも思っておけ。
話を戻すと、そんだけデかい力があると獄族のなかには不満に思うやつがでてくるんだよ。もちろん命のを狙ってくるやつもいる。
っで、それをどうこうするために、るい は春さんから力の制御も教わっている。あと、ひととおり武術もたたき込まれてる。すべては身をも守るためだ。
っで、困ったことに、育児を楽しんだ春さんが、イタズラをするために るい に知恵の使い方を教えてたりするんだわ。
これがえげつなくて、いかにひとの心をえぐり、いかに嫌がる方法を実行し、その結果に得るものは何か。とかな。
地味なのにとにかくえげつない手段とかたくさん仕込まれてる。
・・・・まぁ、あれだ。
春さんが途中から面白半分で るい にはいろいろ教えてるから、ただでさえ力が強くてプチ魔王と言われていた るい が、いまでは違う方面からも魔王化したわけだ。
っで、春さんが大好きな るい は、喜んでそういった知識も吸収してきた。
つまり、るい ってのはめっちゃ強い。
質が悪いのは、能力にしても物理にしても精神攻撃に関してもってことだ」
夜「はは、それって・・・・・・・もう、最強じゃん(真顔)」
陽「だから言っただろ。“春さん”じゃなくて、“春さんをさらったやつら”がやばいって」
夜「だから洞であんな薬草を準備してたのかぁ(遠い目)」
隼「こうなると るい がなにをしでかすかわからないから、周囲への被害が出ないように先に僕たちで春を救出しに行かないといけないかなぁ」
去り際に洞で〈るい〉が作っていた数々のものを思い浮かべ、〈よる〉は思わず窓の外への視線を向けていた。
同じように〈しゅん〉もそちらに視線を向けているが、
その目は空を見ているようで、もうなんだか何も見てはいない。たぶんいろいろ思うところがあるのだろう。もうなぜか泣きそうだ。
隼「あぁ。百年以上前のあれを思い出すよ」
陽「あれなー」
夜「あれ?」
陽「以前、るい の逆鱗に触れた人間がいたんだよ。
っで、そいつの村の周囲がな。ある日突然崖になってたり。と、まぁ、しばらくその村にだれも近づけない状態になったり」
夜「・・・」
隼「まぁ、僕らだけじゃどうしようもないね。・・・・それに。ちょうどいいタイミングのようだよ」
春によく似たペリドットの瞳が、ふいっと扉へ向けられる。
それと同時にコンコンと店の扉がノックされた。
陽「かい、か?」
隼「残念。かい ならノックなんかしないよ。依頼人・・かな」
「あの、すみませーん」
隼「・・・かい の気配が、かすかにするね彼。中まで連れてきてくれるかい?」
陽「よる、たのめるか?」
夜「うん。まかせて」
契約しているとはいえ、獄族を嫌う人間の前に〈しゅん〉たちがでてしまえば、相手を驚かせてしまうかもしれない。
お客ならそれはよけいにまずいだろうと、率先して〈よる〉が店のスペースへ向かう。
残された〈よう〉と〈しゅん〉は、状況が状況であるだけあり、警戒をとかず入口の方へと視線を向けている。
隼「やれやれ。なんだか忙しい一日になりそうだ。僕は働くのが好きじゃないんだけどなぁ」
〈よう〉の横の椅子に座り直しながら〈しゅん〉は疲れたように小さくため息をつき頬杖をついた。
その目は壁をまっすぐ見つめていて、その壁の向こう側〈よる〉が相手をしている“客”らしき存在へむけられている。
ゆるりとした動作がまた様になっている。
ただの椅子が彼が座っているだけで玉座のようだ。
隼「獄族・・・の気配がするよ。それも随分と懐かしい子だ」
陽「そうか?声は、よる と、もう一人分しかしないけど?ありゃぁ人間だろ」
隼「よーう。ここは かい の力で結界が張られてるんだよ。
外に僕ら獄族の気配が漏れない代わりに、中にいる僕らの能力も少し抑えられてるのを忘れたのかい。
それに影にはいりこまれると、人間の子の気配が強くなるからね。この気配の主は、契約して長くその子と一緒にいるのかな。
そのせいでよけいに、獄族の子の気配がわかりずらい。僕でさえ、うっすらとしかわからないしね。
あと。あの子、ああ、人間の方だよ。あの子には、僕らの感覚を狂わせるような術がかけられているようだよ」
陽「そんな怪しいやつ入れて大丈夫なのかよ」
隼「大丈夫じゃないかな。あの子についている獄族の“彼”もまた“春の子”だ」
陽「ああ、“お仲間”ね」
魔王といわれる〈しゅん〉が少しだけ肩から力を抜いたのを見て、客が“敵”ではないと判断し、〈よう〉も相手がやってくるのを待つことにした。
隼「それに、人間の方にかけられたあの術は・・・ちょっと方向性がおかしいね」
陽「は?どういうことだよそれ」
隼「ああいうのは、獄族から逃げるためか。はたまた獄族に挑むときに使うような、いわば目くらましの術でね。
普通は“僕らにむけたもの”なんだけど。今回のはどうやら、効果が“人間に”向けられてるみたいなんだよね。
なんというか、傍にいる獄族の存在を隠したいみたいな・・・ああ、そうあれだ。“獄族と契約してること自体”を隠したいんじゃないかな」
陽「・・・きなくさいな」
隼「それもすぐわかるよ」
しばらくして〈よる〉が、淡い金色の髪の青年を連れて戻ってきた。
ふわふわとした頭頂部は、春とはちがった風にはねている。
空のようなキラキラした明るい水色の瞳。幼さが残るものの整った風貌はどこか品がある。
本来なら柔らかい雰囲気が似合いそうな彼だが、いまはどこかくたびれたような佇まいで、
不安そうに肩から掛けられた鞄のひもを握っているところを見るに、知らない場所であることと獄族が二人もいて緊張しているようだ。
夜「つれてきましたー」
隼「ありがとう、よる」
「あ、あの・・」
隼「その前に」
青年が何か口を開くよりも前に、〈しゅん〉が彼の気持ちをほぐすように人差し指をたててウィンクをしてみせる。
そして
隼「出ておいで―――あらた」
瞬間、ハッとした青年から、血の気が一気に下がる。
彼の影が名前を呼ばれ揺れ動くが、それは錯覚のような一瞬で、〈しゅん〉の声に反応はない。
訳知り顔の〈よう〉だけが、珍しいものを見たかのような表情で「へぇーあいつがねぇ」と、のんきな声をあげて青年を観察している。
“あらた”という名にどんな意味があったのか、青年は握っていた肩掛けを先程よりも強く握りしめ、その顔は可愛そうなぐらいに蒼白になっている。
だがすぐに、その目から不安や焦りとは違うものが宿る。
チラリチラリと周囲を見やる視線にこもるものがかわる。
獄族二人を前に、その目は不安と恐怖が交じりながらも、明確な意思が宿っている。
強い意志の感じるそれは、不安からではなく、別の思考をもってこの場を、この状況を的確に観察されている。
一瞬で思考を切り替え「どうしたら逃げられるだろうか」と、逃げ道を探すように周囲へむけられた視線に、〈しゅん〉は「おや?」っと不思議に思う。
すでに彼が獄族と契約しているとこちらはわかっているのに、なにをそれほど隠そうとするのだろうか。なぜ逃げようとするのだろうか。
背後を気にするそぶりも見せていたことから、なにか慌てる要因があるようだ。
そもそも彼からこの店を訪れたというのにだ。
〈よう〉の言葉を借りるなら「きなくさい」というそれがまさに当てはまる。
名を呼んでも姿を見せない“あらた”のこともある。
彼には何かある。
隼「そう警戒しないで。取って喰いやしないから」
そんな青年に〈しゅん〉は苦笑を返し、「まぁ、落ち着いて」と警戒を解かない人間の青年をテーブルへまねき、〈よる〉の横に座らせる。
人間の横なら、ましてや〈よる〉は穏やかな性格であるし、今この場でもニコニコと落ち着いている。
これ以上の安心剤はないだろうと思ってのことだったが、
青年は〈よる〉があまりに自然体でそこに座っているので警戒すべきなのかそうでないのかさらに戸惑い、少し困ったような表情を見せた。
〈しゅん〉と〈よう〉は、青年がこれ以上警戒しないようにと、距離を置いて、おのれの手が届かない位置まで下がる。
隼「話してくれるかな?君には僕の契約者である“かい”――この店の主人の力の残滓を感じるよ」
陽「あと。あんたたちがここに来たわけもな。そっちから扉をノックしただろうに」
数珠の数が多いのは長生きの証。
しかもそんな獄族が二人もいる。
それに青年は逃げられないと判断したのか、強く握っていた拳をゆるめる。
青年は一度〈よる〉へ視線をむけ、小さくため息をつくと、話をするためか椅子に座りなおした。
隼「ふふ。まずは自己紹介からかな。僕は獄族の しゅん。この“何でも屋”の かい と契約を結んでる。
あっちの赤いのは、よう。そこの よる の契約者だ。
安心して。僕らは君に害をなすことはない。僕は人間が好きなんだ」
陽「いや、それは しゅん だけだからな。俺はあんまし人間とか・・」
隼「ふふ。そうだったね。よう は、春をみてきたからねぇ。その人間嫌いは根深いかな。
とはいえ、今は彼の緊張を解きたかったから、余計な一言だよ、よう。
まぁ、こんな彼でも穏健派で、人間は嫌いでも、人間を傷つけたことは一度もないし、することもない。と僕が保証させてもらうよ」
夜「あ、俺は よる っていいます。この街で医者をやってる家の者で、かい さんがいない間とか、店の手伝いもしてます」
「おれは・・・」
膝の上で握られた拳に力が入り、青年が何かを言おうとしては口を閉じる。
それを幾度か繰り返したところで、〈よう〉が頭をかきながら、懐かしい名を告げる。
陽「あーなんだ。あんたの契約者って“あらた”なんだってなー」
夜「あらた?さっきも言ってたね。ふたりの知り合い?」
葵「それ!?どうしてその名前を!やっぱり あらた を!?」
“あらた”という名が起爆剤になっているようで、また青年が警戒の色を強める。
しかしまるで毛を逆立てた猫のようだと思い〈しゅん〉は笑う。
《落ち着け あおい。このひとたちは大丈夫だ》
葵「でも・・・」
ふいにどこからともなく静かな声が響く。
それに〈よる〉は首をかしげるも、すぐに〈よう〉から「獄族だ」と説明がされ、慌てることなく待った。
陽「いつまで隠れてる気だ あらた。やだねー俺たち兄弟みたいなもんなのにずいぶん信用がないようで」
夜「兄弟?あ、春さんが育てたっていう子?」
隼「ほら、でておいで あらた。ここなら姿を見せてもだいじょーぶ。僕のおまじないは絶対だよ」
新「さすがに魔王をごまかせはしないか」
ぐにゃりと〈あおい〉と呼ばれた青年の影が歪み、それは波打つように揺れ、そのまま膨れ上がるようにして人の形が浮かび上がる。
ふわりと影から分離するように黒い人影がでてくるや、それは鮮やかな色をつけ、数珠がシャラシャラと音を立て黒い髪の青年の姿になる。
隼「ふふ。ひさしぶり あらた。安心して。この店には結界が貼ってあるからね。外から覗かれることも聞かれることもないよ」
〈しゅん〉たちよりも若干若く見えるその獄族は、疲れたようにため息をつくと、〈しゅん〉に深く一礼して、不安そうに椅子に座る〈あおい〉の傍に従者のように寄り添って立つ。
新「俺は あらた。こっちは あおい だ」
葵「あ!?えっと・・よろしく?おねがいします」
陽「よろしくな、あおいちゃん」
葵「へ!?ちゃ、ちゃん!?」
新「・・・・・ちゃん付け。あおい を・・・(遠い目)」
夜「もうなにしてるの よう。初対面の子に〜」
陽「いや、すこしでも気がまぎれないかなぁと」
葵「それでちゃん付け・・」
新「あー・・・なんだかもう気を張ってる方がばからしく思えてきたー。疑って悪かった。とはいえ、いまは・・・人間も獄族も信じられないんだ」
隼「そのようだね。まぁ、少しゆっくりしていくといいよ。何度も言うけど、ここは安全だからね」
陽「それにしてもあの あらた まで契約したのか。お前は面倒ごと嫌って、あのままずっとひとりでらのんびり暮らしてるのかとばかり」
新「俺としては、あんたが人間といることに驚いている」
隼「まぁ、それはいえてるよね」
陽「は?なんで俺よ」
隼「自覚ないの よう?この僕でさえ、あの人間嫌いの極みのような君が契約するとは思ってもいなかったよ。
僕だけじゃなく、君だって、他のみんなも。よう だけは絶対に契約なんかしないと思っていたぐらいだからね」
春のそばにいたのが長ければ長い分、人間不信になる獄族は多い。
それの筆頭ともいわれているのが、〈よう〉だった。
〈よう〉に関しては、その名前と性質のこともあり、獄族も人間も等しく毛嫌いしていた。
隼「春があんなだからしょうがないのかもしれないけどね」
春には、春の願いがある。
そのため、彼が気に入ったりある程度信頼できると、その人間についていってしまうことがある。
願いをを叶えるために、人と幾度も契約を結ぼうとするのだ。
しかしその願いはいまだ叶っていない。
叶ってないから、人間のもとから帰ってきた春は、たいがい“業”が増えている。
しかも相手の負担をすべて引き受ける習性でもあるのか、寿命を縮めるか、身体をどこかしら壊してくることが多い。
春のめんどうをみてきた〈よう〉は、その光景を何度もみてきた。
それがゆえに、春が動けなくなったのも全部人間のせいだと、人間そのものを毛嫌いしていた。
そのため、春をしる獄族は、〈よう〉が人間嫌いを悪化させ人間とは否共存を言い出すことはいつかあっても、人間と契約を結ぶとは、誰一人として考えてはいなかった。
それは同じく春に育てられた〈あらた〉も同じ意見だった。
隼「でもね。春だけは必ず よう が契約するって信じてたよ。むしろ“よる”をずっと待ってたみたいだけど」
新「わぉ。さすが春さん」
夜「あれ?もしかして俺って名乗る前から待たれてました?え、なにそれこわい(汗)」
陽「おかしい。絶対春さんっておかしい。なんで契約相手のことまでわかってるんだ」
隼「もうそこは春だからとしかいえないねぇ。こればかりは」
葵「はる、さん?」
春の話題で、彼を知る者たちが盛り上がる中で、〈あおい〉が困ったように首を傾げた。
隼「ああ、ごめんね。不安にさせちゃったかな。
春っていうのは、僕らの、そこの あらた もふくめてね。その名づけ親で、育ててくれた獄族だよ」
葵「あらた の親・・・初めてききました」
新「べつに言うほどのことでもないだろ。本来獄族は自然に発生して自然に育つ。親なんかいない・・・春さんといたのはずいぶん前に・・少しだけ、だったし」
陽「ま、たしかにな。気づいたらお前いなかくなったしなー。200年なんて早い段階で春さんのもとを去ったのお前ぐらいだぞ」
隼「僕らの中で一番独り立ちするのが早かったんだよね あらた は」
陽「春さんがいつものごとく“はるをさがしにいくんだ”って移動するとき、お前いないから、きりがいいからもう独り立ちしたのかな。って春さんががっかりしてたぜ。
ま、優しい俺はー、お前のことだから寝過ごして、引っ越しに間に合わなかったのかと、冗談言ってごまかしてやったんだから感謝しろよ(笑)」
新「っ?!」
陽「・・・・・え、まじか」
新「そうだよ!寝過ごしたんだ!!かける といっぱい遊んで。疲れて寝床にしてた木のうろに戻って。
気づいたら近くに獄族の気配もしないし!!春さんがいつもいる場所には誰もいないし!約束の日から一年たってたとか!?
昼寝は大好きでも、さすがの俺だって寝すぎたって思ったんだからな!!
あおい に拾ってもらえるまで、まじで死ぬかと思った。あの時ほど、春さんのという保護者の偉大さを思い知った日はない」
葵「そ、それは言いたくないよね。ごめんね あらた」
突然の過去の暴露話にそれぞれが苦笑を浮かべたり顔を赤くしたり、あわあわとしたり。
そんな彼らを穏やかに見つめていた〈しゅん〉だったが、ふいにパンと手をたたく。
視線を集める。
音に惹かれて、その場にいた者たち全員の視線が、笑顔の〈しゅん〉にむけられる。
隼「積もる話もあるかもしれないけど。
いまそのことでちょっとごたごたしていてね。
さて、“このタイミング”で、あらた までも契約者をつれて僕らの前に現れたのも何かの縁、なのかな」
〈しゅん〉の言葉に、〈よう〉にくってかかっていた〈あらた〉が動きを止め、いぶかし気に眉を寄せる。
新「このタイミング?・・・そっちでもなにかあったのか?」
〈しゅん〉はそれには答えず首を横に振り、まずはと怪我をし薄汚れたみなりとなっている〈あおい〉をみやる。
〈あおい〉の怪我にかんしては、〈よる〉がすでに処置をしてくれているが、それでも疲労具合はぬぐえない。
何かがあったのは明らかだった。
隼「まずは君たちだよ。その様子、なにがあったんだい」
新「・・・獄族狩りだ」
陽「なんだって!?」
葵「・・・・・」
隼「・・そう。それで あおい君は契約者だとばれないように術をかけたのかな」
葵「はい・・もう誰が味方でだれを疑えばいいかわからなくて」
夜「それで俺まで警戒してたんだね」
隼「そんな状況で、よく無事でふたりとも。よく頑張ったね」
新「ああ。ほうぼうのていでなんとか逃げてきた」
葵「俺たち旅をしてるんです。その途中で獄族狩りにあって、あらた が狙われたんです」
新「正確には、状況はもっと複雑だ。
俺をねらうために、あいつらは あおい をねらった。獄族より人間の方が弱く、捕まえやすいこと。契約者をつかまえてしまえば、獄族は言うことを聞かざるを得ない。
そういった理由で狙いは俺なんだけど、あいつらが捕まえようと攻撃の対象にしたのは、あおい だったわけだ。
あおい を捕まえて人質にして、かわりに俺にいうことをきかせようとしたみたいなんだ。
しかもその獄族狩りに参加していたのは人間だけでなく、契約済みの獄族までいたんだ」
陽「逃げだしたわりにはずいぶん詳しいな。お前たち、そいつらの触れちゃけない部分を探ってたとかじゃないだろうな。
スパイ行為がばれての逃亡とか・・・こっちに火の粉が来るようなのは勘弁してくれよ」
葵「それはないです!俺たちは本当に旅の途中で。探し物をしていて!それでここまで来たんです。
本当にその途中で、突然・・・。
探しているのも怪しい書類や品とかじゃなくて。その・・・ここから隣の国にあるという茶屋に、よく効く薬があると聞いて!
父が病気で。そこに素晴らしい仙薬があるからと。それで。その薬をもらうために家を飛び出したんです俺。
あ、俺が狙われた原因が判明したのは、連れのおかげなんです。
はぐれた連れが、とても頭の良い方で。少しの会話と彼らの行動から、あらた が狙われてるからと、俺が契約していることをばれないようにと術をかけてくれて」
隼「なるほど、ね」
葵「目的が あらた だとわかった時点で、連れが獄族の気配をごまかす術を俺にほどこしてくれました。あらた には俺の影の中に隠れてもらって。でも相手には強い獄族がいて。
連れは人としては強いんですが、契約は結んでなくて。俺は武器を奪われてしまって、もうどうしようもなく。
本来なら俺と あらた 二人旅だったので、それを思うと・・・本当にふがいないです」
新「一人で旅に出ようとするくらいには、あおい は武術が得意だ。強いことは強いんだけど。今回のは多勢に無勢。しかも俺は手を出せないときてる。完全に不利だった」
葵「状況的にどうにもならなかったんです。逃げるしか…」
新「二人じゃ不安だからとついてきてくれた人間の術師が、逃げる隙をつくってくれた。だけどそれだけじゃぁ獄族の追手までは、ふりきれなかった。・・・だめかと思ったね」
葵「あ、でも通りすがりの方が助けてくれたんです。そのひとがこの店にいけと。そう言って俺たちを逃がしてくれたんです。
でも俺たち、連れとははぐれたままで。彼のこともとても心配で」
夜「あおいくん と あらたくん・・だったかな。
二人を助けにさっそうとあらわれたひと、たぶんそれ、かいさん ですよ。
獄族相手に余裕そうに相手する人間なんて、そんなひと、俺は かいさん 以外しらないかな」
葵「え、えっと余裕そうとは言ってないけど・・・・・・いや、たしかに。思い返してみれば、なんかとてもさわやかな笑顔だったような気も」
陽「あ、それ かい だわ。どうりで かい の力の残滓がついてるわけだ」
新「かい って、たしか しゅんさんの・・」
隼「うん。僕の契約者だねぇ。でもかいなら気にしなくていいよ。たとえ相手が獄族でもうまく帰ってくるだろうし。
彼は自分が不利なことをするぐらいなら、彼は逃げるという選択ができるからね。僕のおまじないもかかってるしね」
新「なんて無茶苦茶な人だ。さすがは魔王の契約者」
隼「それにしても――」
腕をくんだ〈しゅん〉から笑顔が消える。
言葉から一気に感情が消え、まとう空気が硬質な冷たいものへと一瞬で変化する。
それにだれもが言葉を発することもできず、息をのむ。
隼「獄族狩り、ねぇ。人間は本当に面白いことを思いつくよね」
クスクスと楽し気なわらい声が聞こえるのに、間違いなくわらっていない。
それがさらに恐怖を煽る。
陽「お、おい しゅん」
隼「ふふ。ごめんね。ちょっとね。
それにしてもいつの時代にもおかしなことを考える人間ってのはいくらでもいるもんだねぇ。
あらた達 を襲ったっていう人間、どうしてくれようか・・と、ちょっとらしくもなく本気でおもちゃったよ」
陽「まー言われてみればそうだよな。時代が流れてもあいつら結構考えること一緒だよな。
というかお前は何もすんな しゅん。お前が動くと人間の世界がマジで滅ぶわ」
隼「するわけないよ。春に怒られる。
でも人間って本当に物好きだなぁって思ってね。
無理やり術で縛ってしまえば、僕らがいうことをきくとおもいこむのもいい加減にしてほしいよね。
それで未契約の獄族を狙った獄族狩りが、長い年月を開けて忘れたころに、思い出したように浮上する。一番最近でニ〇〇年ぐらい前だっけ?その前にもよくでたよその単語。
たかが人間ごときに、本当の意味で僕らが縛れると思ってるのかなぁ。契約だって獄族からの善意で結んでるのに」
〈よう〉が話しかけたことで緩和されていたものが、また顔を出し、〈しゅん〉の笑顔が冷たいものへと変わる。
なれていない〈あおい〉は、そんな〈しゅん〉をみて目の前にいるのが獄族であったと身にしみて感じたのか顔色を悪くさせている。
その背をいたわるようになでながら〈あらた〉は、言葉にはしないが「わからなくもない」という顔で〈しゅん〉をみている。
この場にいる獄族も春も、だれもが親しみやすくとも彼らはあくまで獄族である。
人間と同じように見えても、ときにその感じ方や価値観、考え方は違ってくる。
この場にいる獄族たちは友好的で、感情をコロコロ動かしては言い争ったり笑ったりしているし、顔なじみゆえか空気が穏やかだ。
攻撃的な性格の者がいないためとはいえ、うっかり彼らが人間と同じだと錯覚してしまいそうになる。
しかしどれだけ優しく穏やかであっても、彼らの根本は獄族だ。
大切な契約者であれ、“人間”とくくって自分たちと分けて考えるところがあるのは、どうしようもない。
そんななか。
夜「もう。しゅんさん、顔が怖いですよ」
クスリと笑う声が、〈あおい〉を怯えさせる現況をぶったぎる。
〈よる〉だ。
〈よる〉は最初に〈しゅん〉が空気をかえたあの瞬間以降は、相変わらずいつもと変わらずニコニコとしていた。
ほわりとした口調が場を和らげる。
それに〈しゅん〉の怒りに慣れていない年下組から、ほっと安堵の息がもれる。
普通の獄族でさえ、たまに〈しゅん〉の放つ威圧に怯えずにはいられないというのに、それに平然と笑顔で立ち向かう〈よる〉に、
〈よう〉はいつのまにか勇ましくなっていた相方をみながら、
額を抑えて涙をこらえている。
いわく「なんだか最近うちの よる が春さんに感化されてきて」とのこと。
もっぱらそれが〈よう〉の最近の最大の悩みである。
隼「・・・」
夜「しゅーんさん。目が笑ってません。春さんに言っちゃいますよー? しゅんさん が人間の世界滅ぼうそうとしましたーって」
隼「ふふ、降参だよ、よぉる。
いやぁ、ごめんごめん。つい、ね。あまりに愚かなことをしてくれるものだからつい」
陽「すっかりこの魔王にさえ応じなくなって。強くなったなぁ、よる」
夜「春さんと話していると、いろいろ価値観が変わってくるんだよ。
それに しゅん のさっきの表情より、はっきりいって少し前に見た春さんがみせた本気の殺気の方が怖かったしね。
俺たちに向けられてないのに、それでも“死”を連想させられた。あれをみて体験したあとだと並大抵のことは許せるし、なんとも思わなくなるよね。
最近、何も怖いものなんか世の中にはない気がするんだ俺」
陽「あーあれな(遠い目)」
新隼「「あの春(さん)を怒らせるって何があった!?」」
陽「ちょ、ちょっとな」
夜「(にこにこにこにこぉ〜)」
隼「ちょっとって」
陽「その、あれだ・・・」
新「誰かが怪我したのか?」
夜「(ニコニコしたまま視線がどんどんずれていく)」
陽「その・・生態の異常で巨大化した・・・・・がちょっと森にでてだな」
新「なにがでたって?」
葵「熊とかですか?そうすると森ですかね。動物が陰のモノ化したことによってその地域の生態系が変わるのはよくありますし。大丈夫でしたか?」
陽「いや、あの・・・」
夜「・・・・・・」
隼「なんだいふたりとも。はっきり言ってしまっていいんだよ?今までと違うものが魔物化したのなら、それはそれで対処しなくてはいけないしねぇ」
陽「・・ぉ・・・」
隼「ん?」
陽「巨大Gの群れがでたんだよ!!!!」
「「「「・・・・・・・・」」」」
陽「春さんて最強っぽいけど、あの生物が嫌いで。いや、俺も大っ嫌いだからな!春さんもあれだけはダメで。目に留まると笑顔のまま固まるんだよ、あの春さんが」
夜「でもしばらくしたら春さん動き出すんですよ。ただ、そのちょっとやばい雰囲気だしてきますけどね。
顔とか表情とか笑顔が固まったままゆらりと・・・あとは一気に殺気を放って攻撃して、一撃で殺します。あのときの春さんの雰囲気は言葉ではもう言い表せないほどで」
陽「一撃で殺せない場合、やつらの二撃目がくるわけ。飛びかかってくるし・・・なんなのあいつら。動いてるものに反応して襲ってくんの!?まじこわいんだけど!!
俺も よる もなんというか色んな意味で死を覚悟したんだが。
そのときの春さんは涙目になって、パニックだったみたいで本気で泣いてたわ。しかも殺気振り乱して“無双”しながら」
「「「・・・・」」」
夜「俺たち、あのときの殺気はわすれません」
陽「あのときの狂ったような春さんの強さも忘れられそうもないな」
隼「い、いちおう聞くけど。その生物の処理は・・・」
陽「動けないはずの春さんが、いつの間にか よる の腰から刀を奪ってて、刀は口で加えて、腕の力だけで倒立やらジャンピングをしてくるくると動き回り・・・そのままめったぎり。
最後はいい笑顔の春さんの背後の地面が突然割れて、とんでもなく巨大でとんでもない量の植物がぶわっとあふれでて。血も肉片も何も残さず地面の下にひきずりこまれて、凄い轟音たてて地面は元に戻った」
「やつらを飲み込んだ?共食いでしょうか。ここまで生態が悪化するとは何が原因なんでしょうか・・・ああ!春さん、大丈夫ですか!?いま背後に巨大な植物が!
かかなり距離が近かったようですけど大丈夫ですか?」
「これ生態の異常・・なのか?そうだったらやばくね。ついに陰の気が植物にまで及んだってことかよ!?植物の巨大化かぁ。植物しょくぶ・・・あぁ!!まさか!?植物って!いまのあんた能力か!?」
『ん?なんのことかかな(^v^)』
『―――ねぇ二人とも。 な・に・か、みた?』
その直後たおれた春には意識はなく、それから一か月は目を覚まさなかったことから、あの能力も多用できるものではないのだろう。
思い返してもあまりいいものではない。
いや、それ以前に。
浮かぶのは、“笑顔”だけ。
いろいろやばげな笑顔にたいし、すべてを悟った二人は、そのとき何もみていないなことにしたのだ。
そのまま黒い襲撃も、生態異常も。誰かが今まで能力出し惜しみしていたとか。腕力だけで曲芸師のごとく派手に動き回る病人とか。そんなものしらない。もうなにもなかったのだ。
とちゅうから「ボクタチナニモミテナカッタンダヨ」と笑う〈よう〉と〈よる〉に、〈しゅん〉を含めたその場にいた全員が、告げる言葉を待ち合わせていなかった。
むしろ視線を途中から外した。
夜「それにしても獄族狩りかぁ。そんなものはやってるんだね」
隼「困ったことに、周期的に人間たちの間で話題になるね」
夜「へーそれはすごいや。“あれ”をみたあとだと、獄族に挑もうとするなんて、“本当によくやるなぁ〜”“勇気あるな〜”って心の底から思えちゃうんだけど」
葵「お、おちついて よるさん!よるさん も顔がすごいことになってますよぉ!!あらた もとめて!」
新「お、おぅ・・・もうなんというか、何とも言い難い顔になってるからなあんた。うん。あれだ。甘いものでも飲むか食べるかしよう。そうした方がいいって」
夜「なんか俺の扱いがさっきの しゅんさん より酷い気がする」
隼「ふふ。本当に強くなったねぇ よる。褒めてるんだよ」
誰もが森の奥から黒いものが出てきたとか。
植物が急成長したとか。
そういったことは話題に出すこともなく、和やかな話題へと戻っていく。
陽「なぁ」
そんななか、何かを考えこんでいた〈よう〉が、おもいついたように口を開くが、どこか重々しい。
陽「まさかとは思うが、“ソレ”に今回はあのひと巻き込まれたとか・・」
その言葉に〈よる〉は先程までの笑顔をどこへやったのか、しょんぼりと眉を下げて今にも泣きそうな顔をし、〈しゅん〉は整った眉をよせた。
夜「そうだったらどうしよう・・・」
隼「それは・・・ないだろうね。明確な意思をもって会いに行かないとあそこへはいけるはずがないんだ」
あの〈しゅん〉ですら、どこか自身がなさげだ。
〈よう〉たちの間でさらさらと進んでいく会話に、〈あらた〉が慌てて割って入る。
新「・・・まった!しゅんさん たちがいうあのひとって。まさか」
勢いのせいでガタンと椅子が倒れる。
あまり表情筋が動かない〈あらた〉であったが、〈あおい〉がみたことがないほどに表情が驚きにあふれ、あせりに満ちていた。
葵「あらた?」
新「はるさ」
ばったーん!!
駆「春さんが行方不明ですぅ!!!うわーん!!しゅんさーん!!大変ですよ!春さんがいないんです!!あと洞がめっちゃくさいです!!!」
恋「ギャー!!!かけるん!かけるさん かけるさん ちょっと待って!早い!!はやいい!!!おちる!!!!」
〈あらた〉が何かを言いかけたところで、扉が壊れるのではないかという勢いで外から扉が開かれる。
やってきたのは小柄な金髪の獄族で、その首に抱き着くようにピンクの髪の少年がはりついている。
泣きながら駆け込んできた少年の首を絞めそうな勢いで抱き着いているが、まったく微動だにしないではりつかせたまま歩いてくる。そんなことができるのは、金髪の少年の方がまごうことなき獄族だからだろう。
突然のふたりの来訪者に、立ち上がったままの〈あらた〉も〈よう〉までもが想定外の登場人物にポカーンとしている。
手の力の限界に達したのか、〈かける〉と呼ばれた獄族が〈しゅん〉の真横で足を止めると同時に、その背からピンク色の少年が転げ落ちドサリと尻もちをついている。
隼「おやおや。驚いた。これは全員・・・そろってしまう感じかな?」
新「やっぱり春さんになにかあったのか!?」
駆「うぇーん!はるさーん!!!」
恋「あたたた。もう かけるさん 酷いよ。俺のプリティーヒップがやばい。
突然飛び出すから何事かと思えば、変なにおいがする洞窟にかけこむし、何も言わずに泣き出すし。っていうか“はるさん”ってだれ?」
夜「あ、春さんの洞がくさいのは襲撃ではなく、るい がちょっと一仕事したからだよ」
新「るい って・・・まじかよ。あいつもいるのか」
陽「まじだ」
やってきたのは、春に育てられた獄族のひとり〈かける〉。っと、その契約者である〈こい〉だ。
〈よう〉にうながされ、二人を落ち着かせ、〈あらた〉が気になっていた事情を全員に説明していくこととなった。
基本的に春については、獄族の間での暗黙の了解のようなものがあり、身動きできない彼のことを獄族たちはひそかに守ってきた。
仲間内でも結界が貼られているような場所でない限り名を口にしないし、契約者の人間にさえその存在を口外することはない。
必要最低限の接触を避けることで、“しらない”ふりをする。
大切だから守ろうとするもの、背負う“業”の大きさを感じ取り恐れをなして近づかないもの・・・春に向けられる獄族の感情は様々だ。
それでも春のことを口にする者はいない。
人間は春の存在を知らない。
しっている人間ははあらかじめ教えられた〈よる〉や、店の客と仕入れ先という関係を持つ〈いく〉ぐらいなものだろう。
〈しゅん〉がなによりも信頼する契約者である〈かい〉とて、春のことは知らされていないのだ。
それは〈かける〉も同じだったようで、彼とて信頼しているであろう契約者の〈こい〉に春のことを教えていないようで、おかげ〈こい〉は絶賛現状に困惑中だ。
隼の呼びかけで集まったのは、春に名を与えられた獄族の子供たち。
なかには契約者がいる者いるが、獄族同士顔見知りであっても、契約者側はほかの獄族を見たのも初めてのものいた。
隼「こんな状況であれだけど。ひさしぶりだねみんな。まさかこうして“春の子”全員と会えるとは思わなかったよ。あ、るい はいまちょっと臨戦態勢でいないんだけどね(笑)」
陽「もしかして俺らがたまたまこうやって集まったのもなにか意味があったりしてな?」
新「獄族狩りといい。春さんの件といい何が起きてるんだ?」
恋「はぁ!?獄族狩りぃ!?どういうこと!?」
葵「すみません。俺もなにがなんだか」
駆「ぐすっばる゛ざぁん゛〜」
隼「順を追って話すよ。よう」
陽「わかってるっての。
まず人間のみんなには、春さんっていう特殊な獄族がいるってことを把握しておいてほしい。ここにいる獄族と、あと茶屋の るい って獄族は、そのひとに育てられた。
そのひとのことは、決して人間の前で口外しない。それは、獄族たちのなかにただひとつある暗黙の掟だ。
今この場でそのひとの話をするのは、春さんに最も関係ある者が集まったこと。そしてその春さんが人間に誘拐された。この場にいるいじょう、春さんを助けるために人間にも協力してもらいたい」
葵「誘拐・・・本当に大変なときにきちゃったんですね俺たち」
新「さらわれた、だと・・」
駆「ぐすぐすうわーん!!!」
恋「ああもう!かけるさん うるさい!そのはるさん?とかいうの探すの手伝ってあげるからいい加減おちつけって!」
夜「来て早々いろいろわからないことが多いのに、巻き込んでごめんねみんな」
新「・・・あんた、いろいろ訳知り顔だな。人間なのに」
夜「まぁ、そうだね。春さんから“いろいろ”聞いてるからね(苦笑)」
葵「人間って、ちょっと あらた 失礼だよ!」
陽「よる のことはいいだろ あらた。春さんが獄族についても話すことを良しとしたんだ」
隼「春が言ったなら、悪いようにはならないよ。だから あらた も落ち着いて、ね。
今はうたがったり、いがみ合ってる暇はないよ。春を助けるために、みんなの力が必要なんだ」
隼「あおいくん だったかな。君も協力してくれると嬉しいな」
葵「はい!俺なんかでも あらた の役にたつなら協力はいくらでもします。いつも あらた に助けてもらってばっかだし俺」
新「そういう契約だから、お前は気にしなくてもいいのに」
駆「こいぃ〜グス」
恋「いうなればそのひとって かける たちの親だよね?家族だよね。ならよけい心配だよね。
絶対助けるよ かけるさん!!
しゅんさん、俺にできることがあれば言って下さい!いつも かいさん や よるさん には、お世話になってますし。かけるさん の家族のためです!何でも言ってくださいね」
隼「ふふ、たよりにしてるよ」
駆「うわーん!こい がイケメンすぎてつらいぃ。こいぃ〜お、俺、おれうれしいぃ(/ω\)」
隼「はいはい かけるさん は落ち着こうね」
陽「話を戻すぞー。・・・まずだ。“あの状態”の春さんが一人で歩けるわけがないんだ」
新「どういうことだ」
陽「あー、そっか。あらた は知らなかったか。
春さんは、もう歩けない」
新「!!」
駆「ぐす・・・はるさぁ〜ん・・ぐすぐす」
陽「あらた が知ってるとき何年たったと思ってる。症状の進行が早くて、春さんはほとんど自力で動けないところまできてる。
身動きがほとんどできないし、疲れやすい。
春さんの両足の感覚はもうない。足に力も入らないほど弱ってる。そのせいでほとんど眠ったままだ。最近だと起きてる方が珍しい。
この段階で、春さんがひとりで動けるわけがないのはわかるよな?」
葵「あの・・・どうして連れ去った犯人が、人間だって断定できるの?足跡があったっていっても、獄族は寒さを感じないとしても俺たちと同じように靴を履いてるよね?」
新「あおい、あおい。俺たち体重軽いから、靴の跡とかけっこううっすらとしかのこんないんだよ」
陽「春さんは獄族のなかの獄族。というかもう“陰の気”が人型を形をとってるだけみたいな存在だから、ぶっちゃけていうと俺たちより体重ないからな」
駆「春さんを知らない獄族はいませんよ!俺たちみんな春さんに育ててもらったんですよ!」
隼「――つまり。そこを狙われたのかもしれない」
夜「どういうこと?」
隼「たとえばのはなしだけど、人間の誰か。それも強欲な、ね。そいつが春の存在を知ったとする。
人間と契約を結ぶ獄族のほとんどが春をしっている。
いま、ここにいる俺たちだけでもそれなりに力が強いものばかり。
なのにその全員が知っていて、全員が手を出すことができない――力が強い未契約の獄族。
なぁーんて言ったら、“世界のルール”をしらない人間からしたら手が出るほどほしがるよね」
葵「ルール?」
恋「なにそれ」
駆「・・・」
新「契約には、できることとできないことがあるって話さ」
隼「“世界のルール”をしらないのは人間だけだ。それ以外の生き物は、魂で、そのルールを生まれた時から理解してる。・・ひとえに言葉にするのは難しいねぇ」
陽「今はその話はなし!関係ないというか種族的に言う必要のないことだからな」
隼「まぁ、簡単に言うなら、春はそのルールを何度もやぶり、その分の罪を背負ってる――ってことかな。だから身動きができないほどの病に侵された」
陽「眠ったままなのもそれのせい。
だから春さんが自分で出ていったわけじゃない。むしろ意識があったとは思えないんだよな。あと獄族はそんな春さんに、近づくことをしない。
ってことはだ。あの足跡のこともあるし、残るは力を求めた人間が、あのひとを連れ去ったとしか現状では考えられないんだ」
隼「さすがに僕たちにも責任はあるね。あまりに春をかまいすぎたかな。あまり近づかないのが習わしだったんだけどねぇ」
陽「あの状態の春さんをほおっとけるか」
夜「だよね。それで心配になって、俺たちけっこうな頻度で会いに行ってるんです。今回はずいぶん久しぶりにいったんですが、そうしたらあの状態に」
隼「ごめんね よう、よる。春の面倒見てもらっちゃて。契約をしたらしたらで、あまり かい のそばを離れられなくてね」
陽「話がずれたけど、いつものように俺が調子をうかがいにいったら。春さんはいなくて、雪の上に複数の人間の足跡があって、春さんの花がほとんど踏みつぶされてたんだ」
葵「はな?」
恋「踏みつぶされるほどあるなんて。想像もつかない」
隼「ふふ。春の住処はそれは見事な花であふれているんだよ。るい のお茶の元もあそこで栽培してたはず。
彼を取り返した暁には、一度見せてもらうといいね。あれは心を穏やかにさせてくれる」
夜「綺麗ですよね、本当に」
駆「さっきは強烈に臭かったよ!もしかすると誘拐犯が春さんに変な薬かがせたのかも!!ああ、心配だ!」
涙「あ、それ僕のせい」
「「「「るい!?」」」
陽「お前・・・きたのか」
郁「あ、どうもみなさんww俺もいますよ(笑)」
声と共に天井にさけめができる。
宙にあいた穴からどさどさっと鈍い音がして、モスグリーンと焦げ茶色の髪の少年がふたり、ボロボロの格好でふってくる。
亀裂は二人を吐き出すと、何事もなかったように閉じてしまう。
二人はいたるところに埃やら泥をつけていたりと服は痛ましい状態だったが、大きな怪我はしていないようで、ケロリとした様子で立ち上がると、埃をはたいて身だしなみを軽く整える。
茶色の髪の〈いく〉がチラリと視線を向ければ、緑がかった髪の少年〈るい〉が心得たとばかりに頷き返す。
涙「よいっしょっと」
〈るい〉が延ばした手の先の空間が一瞬ゆらぎ、そこへ手を突っ込んだ〈るい〉がタオルやら包帯を取り出し、自分たちの手当てをはじめる。
涙「いっくん 痛い?大丈夫?」
郁「はは大丈夫大丈夫www俺、こっちの人間と違って頑丈にできてるから、これくらいじゃぁ血もでないからな」
陽「はー・・・でたな仙界コンビ」
隼「正確には異界だけどね」
駆「それよりあの異臭がるいのせいって、なにしたの?」
涙「春がさらわれたってきいて、きれちゃって。戦闘準備という名の薬草を煎じて春の住処から飛び出したんだけど」
恋「戦闘準備・・・」
夜「あ、こうみえて るい ってそうとう強い獄族なんだって」
葵「なるほど」
恋「まじ?」
隼「残念ながらまじだねぇ」
涙「いっくん が追跡してくれた」
郁「俺がじっちゃんから教わった仙術のひとつで。魂からこぼれる力の残滓を追う術なんだ。
それで春さんが人間のとある権力者の家にいるってところまでつきとめた。なー、るい。」
涙「うん。そのまま乗り込んで春を奪い返そうと、したんだけど」
郁「そうそう、したんだけどこれがちょっと」
涙「向こうの強い結界に阻まれた」
郁「結果がこの有様。特攻をかけた分の力が全部自分に跳ね返ってきて、るい の力でそのまま次元の穴にとびこんでここまで逃げてきたってわけです」
涙「どれだけ陽の気をつかったのかわからないけど、あの結界は陰の力が全部はねかえってくる。僕らだけじゃやぶれないんだ」
郁「俺の術は有効とはいえ、あんなに強固な結界じゃぁ、駆け出しの術者でしかない俺じゃぁちょっと。
じっちゃんでもどうかなぁ〜って感じですねあれは。あ、そういうわけなんで しゅんさん、助けてください」
陽「怒涛の展開だなおい」
隼「とめるまもなく。るい はもういろいろやらかしていたようだね」
夜「まぁ、情報がある程度集まったってことで、よかったじゃないですか・・・いちおう」
涙「あ、たぶん僕らが攻撃したから。あっちの警戒も上がってる・・・と思う」
新「思うもなにもなく、むしろ確定だろそれ」
葵「わ。わーこれから挑もうっていうのに、うれしくない情報だぁ」
駆「俺、みんなより力弱いのに・・・・どうしろと!?」
恋「かける のことは俺が守るよ!!」
陽「そこのコンビだけなんか立場が逆転しないか?」
隼「獄族狩りのことも気になるけど。春をどうやって取り戻すかが先だね。
やれやれ。るい でさえ弾かれるほどの結界ってのは困ったねぇ。
僕も“陰の力”しかもってないから、るい がダメだと、僕だってどうすることもできないよ。下手をすると僕も封じられてしまうね。
ここは契約者のみんなに頑張ってもらうしかないかなぁ」
直接結界に触れた〈るい〉に、詳しく詳細を聞きつつ、獄族と人間による作戦会議が始まる。
同行した仙術をつかう〈いく〉からも意見をもらい、たぶんのあたりをつけていく。
結界の強度、場所の人数。
春のいるだろう位置。
けれど最後の決め手がたりない。
結界を破るだけの術者の存在だ。
そもそも術の核となるものが分かっていない時点で、その結界が壊せるのかさえ怪しい。
〈るい〉がためしに空間を割って入ろうとしたが、自分の手元の空間が裂けておわったらしい。
隼「うーん。なかには影響なしか。なんだかその結界本当に陽の力だけでできてるかちょっと怪しくなるね」
お手上げだとばかりに〈しゅん〉が椅子に深く腰掛けたところで、リンリンと店のベルが鳴る。
そちらをみれば、うまい具合に、この店の店主である〈かい〉がニコニコとして帰宅を告げる。
隼「おかえり かい」
海「おう、ただいまー。
お?どうしたどうした。しゅん がため息とはwww」
隼「うーん、ちょっとね。
ねぇ、るい。僕の契約者様はこのとおり、いい陽の気をもってるんだけどねぇ。どうだい?」
涙「だめ。あれはもっと固い」
隼「この かい にしても決め手にならないレベルの結界かぁ。・・・今回のこと、もしかすると突発的なものではなく、ずいぶん前からねられていた計画だったのかもしれないねぇ。
そこまで結界を強固にするために、何年も何年もかけて術を編み込み力を注いできた可能性がある」
海「それにしても今日はずいぶん賑やかだなぁ。お客さんか?それとも しゅん の友達かな。ま、ゆっくりしてってくれよな。
あ、そこの水色目の金髪の。よかった無事についたんだな」
〈かい〉の登場に、場の空気が和み、すずやかな風がうつうつとした空気を吹き飛ばすようだった。
本人もまた笑顔がまぶしく、とてもさわやかである。
そして“汚れ”も“傷”も一つもない。
新「やっぱり余裕だったんだあれ・・・」
〈あらた〉〈あおい〉の二人が〈かい〉と出会ったのは、獄族狩りのさなか。
獄族であるはずの〈あらた〉でさえ、逃げることを選択するしかない状況だったという。
それほどの追手だったのに。
〈かい〉にはすり傷一つない。
なんだろうこのさわやかな、晴れやかな感じは。
さすがは魔王〈しゅん〉の相方といったところだろうか。
海「あ、獄族が多いな。獄族の集会だったか。なら俺は席を外した方がいいかな」
陽「待て、かい」
隼「そうだね。できれば、かい にも参加してほしいかな」
海「そうか?じゃぁお邪魔するぜ」
夜「いやいや!ここ かい のうちだよ!?家主が遠慮しないでよ」
海「ん?それもそうか。いやーうっかりうっかりwww」
海「こんだけ獄族が集まってるのも。ましてや契約者といる獄族の組み合わせが5組もって珍しい光景だな」
隼「結ばれた縁が、道を織りなす」
隼「僕らは縁を元に、きっと春に“よばれた”んだろうね」
海「はる?が、だれかは知らないが、そういえばさー。ちまたで力が強い獄族たちが守る宝が存在するって。
それを奪って一攫千金狙うやつらがいるらしいから。近いうちにまた獄族狩りがはやるかもしれない。お前ら気をつけろよー」
「「「「・・・・・・・」」」」
隼「ちょっと待って、かい。君、いまなんて言った?」
海「あーなんか獄族狩りが近いうちにあるらしいって」
夜「あの。さっき獄族の、宝?がどうとかいってませんでした?」
海「おう。なんでも獄族のあとをつけないと絶対に入れない場所にあるとかで。獄族の誰もが知っているのにその存在のことは口を開かない・・・とかなんとか」
陽「それだぁっ!」
隼「なるほどねーそれが原因で春がさらわれたのか。かいぃー、できればその情報、もう少し早く教えてほしかったかな。
すべては春につながってたんだ。あーまいったね。誤算だよ。本当にこれは予想外だ」
涙「ということは。この中の誰か。あるいは別の獄族の子が、春に会いにいって、その後をつけられて、春の居場所が見つかっちゃったのかもしれないってことかな」
陽「だろうな・・・あー頭痛い」
夜「は、春さん・・・大丈夫でしょうか?」
隼「んー。まぁ、契約をする程度なら問題ないかな。あの動けない状態で肉体的に暴力とか振るわれてない限りは、春なら大丈夫でしょ。
そもそも君たちはしらないだろうけど、契約って無理やりに行うことは絶対にできないんだよ」
夜「え?そうなんですか?あ、で、でも!チョコレートもらいにいくって春さんが!それが願いの代償として受け取られたりしませんか?」
隼「物々交換しても契約の条件は絶対満たされないから大丈夫だよ。むしろなんでチョコ?」
陽「チョコレートもらってくるて書置きがあったんだよ」
隼「はるぅ・・・きみってひとは」
海「んーなんだかわからんが、大変そうだな。
あ、そうそう。それと人を探してるってやつがいてさー。思わず連れて帰ってきたんだがー」
「すまない。こちらに金髪の・・・」
新「あ」
葵「あぁー!!」
「ああ、よかった・・二人とも無事だったか」
「「はじめさん!?」」
〜 Side太極伝記のはる 〜
始はもとから籠の中に入っていた物を手に取り、手にしていたパーカーをそっと籠にいれると、満足そうに頷き、口笛を吹きながら脱衣所を後にする。
口笛に誘われてか、とちゅう隼と遭遇する。
隼『やだなぁ始wwwまだあんな愉快なものを持ってたのかい』
始『部屋を閉め出した程度で俺がやめるわけがないだろうが』
隼『きゃー。やっぱり始は素敵だねっ☆さすがは笑いに人生をかけるだけはあるなぁ』
始『ふっ。お前だってそうだろう、しゅーん。とめるきは?』
隼『ないね♪」
――〈はる〉が風呂からでてきたとき、脱衣所のかごの中においておいたはずの服がなくなっていた。
服自体はある。
あるのだが、自分が持ってきたものではなかった。
タオルを腰にまき両手をあけた〈はる〉は、なにか異様な圧をかけてくるそれを手にとり、広げ・・・・・・ずに、たたみなした。
春「・・・・・・」
だがそれ以外に着るものがない。
この季節に上半身だけとはいえ半裸で出歩くには、少々寒い。
いままで温度など感じなかった獄族の〈はる〉には、この少々の寒さが身にしみるのだ。
人間が感じる温度差にようやく慣れてきたばかりの〈はる〉にはよけいに・・・。
〈はる〉はもう一度籠の中のそれをみやり、ごくりと唾を飲み込み―――
春「ねぇ皐月くん」
葵『どうしま・・・・・』
髪にかすかに水分をまとわせたまま〈はる〉はうつむきぎみに、仲間たちが集う共有ルームへと足を向けた。
風呂から上がった〈はる〉をみて、葵が言葉をなくして立ち止まる。
入り口付近でかたまっている二人の様子がおかしいことに気づき、ぞろぞろと仲間たちが集まってくる。
そんな彼らに顔を上げた〈はる〉はとてもよい笑顔を向けた。
とても。
とてもさわやかで、キラキラと光輝いているような笑顔で
春「お風呂入って出て着たら服がなくなってたんだけど。これ、どうしたらいいかな?(*´▽`*)」
さわやかだが、といつめるようなそれは、目が笑っていなかった。
そんな〈はる〉が着ているのは、ズボンは普通のジーンズであるのだが、パーカーが常軌を逸していた。
否、パーカーは、スマイルがすばらしい絵柄だった。
とはいえ、スマイルはスマイルでも、とても濃ゆいおっさんの笑顔がまぶしい人面花の笑顔だ。そんな笑顔がついた花が大量に絵が描かれたパーカーは、それだけでも不気味である。
だというのに肩にあたる部分には、まるで人間の手ではないかと錯覚してしまいそうなリアリティをふんだんに追及された緑の根っこのようなものが、ぬいぐるみのような立体感を伴ってはりついている。
第三者視点では、まるでこの濃ゆい顔のスマイルをつけた花に、その根っこに肩を抱かれているようにも見える。
花のかっこうをしたおっさんにせまられて困っている青年の構図にしかみえない。
なんておそろしいデザインのパーカーか。
もちろん犯人はひとりしかいるはずもない。
さわやかな笑顔のまま、周囲に冷気を放っている〈はる〉に、葵が心の底から申し訳なさそうに頭を下げはじめる。
葵『始さんですね。すみません!!本当にごめんなさい!!』
恋『なっ!スマイル強烈パーカーだとぉ!!!!変柄シリーズは全部回収したつもりだったのに…orz』
新『朏さんが嫌がったあの微妙すぎるうさ耳パーカーしかり、バスケのときにきてた怨念Tシャツしかり・・・・新作ををここでだしてくるとは(遠い目)』
葵『そのパーカー燃やしてきますね!はるさん はお風呂上がりでシャツ一枚じゃ寒いでしょ。
俺の小さいかもしれませんが、このカーディガンをしばらく着ててくださいね』
新『燃やすって・・・お、おい、葵?』
葵『着火っ♪ (´v`)』
ボッ
恋新駆『『『Σ(゚Д゚)』』』
春「もーえろよーもえろよ〜♪わーwww良く燃えたね〜」
葵『はい良く燃えましたねー。一瞬で灰になっちゃいましたね(^.^)』
春葵「『イェーイ( ´∀`)人(´∀` )』」
恋新駆『『『・・・(汗)』』』
始『なんだ。もうバレたのか』
隼『そりゃぁ、ああいうのやるのは僕らぐらいだしね〜』
始『あーもったいな。ふたりとも結託して、しまいには燃やすとはな・・・・・・・やれやれ。これじゃぁ、俺が楽しくないんだが』
隼『ちょとやりすぎたみたいだよ始。普段はもの静かなひとを怒らせると後が怖いっていうじゃないwww』
始『お前だってとめなかったんだから共犯だろ』
隼『そりゃぁそうだねww』
始『やっぱり面白さが足りないと思わないか隼』
隼『ふふ。始ったら、こうなるってわかってやったね?それで?なにを“彼”で、“ためした”んだい(笑)』
始『ふっ。わかってるくせに』
隼『なにせ僕は始クラスタだよ。当然始のことなら、な〜んでも!おみとおしさ。もちろん。・・・君の気持はわかるつもりだよ始』
始『なら、お前はみのがしてくれるんだろう?しゅーん』
隼『そうだねぇ。あまり大声では言えないけど。“君の願い”が叶うことを祈ってるよ』
始『それは心強いな』
始『はやく俺を笑わせてみせろよ――――なぁ、《花》』
ふわりと意識がなにかにつつまれてもちあげられるような感覚がして、長く閉ざされたままだった瞼を開く。
じゃらり。
金属が地面とこすれる音が耳につく。
まどろみのなかにある意識とは異なり、その硬質な音はひどく重々しい。
―――― ― ・・― ・・・―。
なつかしいような。
何かを感じた。
よばれているような。
大切なだれかに・・・名前を呼ばれた気がして目を、ひらく――
『・・・・はじ・・め・・?・・・』