月鏡と百鬼夜行
〜異世界小旅行 妖怪編〜



字春が雲外鏡になりまして 01




『大日女じゃなくて、大日霊でおおひるめ、ね』



鏡が光ったかと思えば、鏡のすぐそばに小さな“気”のかたまりがあった。
その塊の正体は、天狐二人の気が混ざり合ったものだった。
鏡を使っているうちに己の気が流れ込み、百年を超えていたであろう鏡にそれが浸透し、鏡が転じたものだろうと、二人の天狐たちは考えた。
そのかたまりはしばらくするとポンとかわいらしい音をたたて、小さな子供の姿になり、自分たちをみてきゃぁと笑った。
始と隼はその小さな生まれたての あやかし をだきあげ、これからどう育てようかと考えをめぐらした。


―――はずだった。

現在、白黒二匹の天狐の前には、小さなおさなごはいない。
鏡を大事そうに抱えながら座っているのは、自分たちと同じくらいに成長したひとりの青年の姿だ。







【01. 月か太陽か悩むよりもっと需要なことがある】







年月を経た鏡が、つくも神となった。
けれどその鏡に宿った魂は不安定で、長い間 妖 としての姿をとることができなかった。
その鏡を二匹の天狐たちが使ったことにより、鏡はついに力を得た。

そうして顕現した鏡は、人で言うならばまだまだ赤ん坊。片腕で抱き上げられてしまうほど小さな姿で顕現した。
生まれたてでまだ歩き方も知らない幼子(おさなご)は、その姿のとおり、はじめはうまく歩けずころりと地面に転がっていた。
それに苦笑を浮かべた黒天狐の始が手を伸ばして、赤子を優しく抱き上げる。
背後で白天狐の隼が「かわいいぃ!!」「あと僕の対がかっこいい!」という歓声を上げていたが、知ったことではない。

『てぇて!かぁー!』

抱き上げた幼子は、始の腕の中から天狐たちを見上げると、しったたらずな口調でそれはそれは無邪気な笑顔でほにゃりとわらいながらキャッキャと始へと手を伸ばす。
何がしたいのか一瞬分からないという顔をした始だったが、 幼子が本当に生まれたてのこどもであることにようやく思い立ったらしく、その視線をたどり納得したように笑みをこぼし、自分の肩にかかる長い髪をこどもの前に持ってきた。
こどもは「きゃぁ〜」とかわいらしいこえをあげると、艶やかなその黒髪を大切そうにぎゅうっと紅葉のような手でにぎった。

「やだっ!!もうキュンキュンするぅ!!なにこの生き物かわいすぎるっ!!!ねぇ、始!始ってばぁ!この胸のときめきはなに!?僕、何かの病気かなぁ?!」
「安心しろただの動悸だ」
「それ病気じゃん!?」
「天狐がそうそう病にかかるかバカ者」
「あ!?それもそうか。・・・それにしても。あーもう!かわいいぃーー!!!始の髪の毛ぎゅぎゅして寝ちゃったよ! 僕もこれhからは髪の毛のばすぅー!!!ぷにぷにしてる!!なにこれ!なにこれぇっ!!赤ん坊ってこんなに柔らかいの!?」
「隼うるさい。あとつつくな」

疲れたのか、満足したのか。幼子は黒天狐の髪をつかんだまま眠ってしまい、白天狐がほっぺをつつこうと全く起きる気配がない。
一度だけ目を開け、うむぅ〜とうなりごえをあげて、隼の攻撃から逃げようともぞりと動いたが、そのあとはやはりスヤスヤと眠ってしまう。

それから天狐たちは、自分たちが使っていた鏡が変じた者だからと、とまどい慣れない手つきでありながらも自分たちだけでこどもの面倒を見ることにしたのだった。
幼子は言葉をまだ知らないようで「かー」と「てー」しか言葉を紡がないが、 鏡の妖ということもあり、どうやらたくさんのことを知ってるようだった。 始や隼の言葉は理解しているが、実物は初めてのようで意味が分からないとばかりに目をまるくさせては無邪気に笑った。
そうして幼子は、目に映るすべてのものに興味をもっては天狐たちをふりまわした。



幼子が生まれてから月太陽が幾度か入れ替わり、細かった月もすっかり太くなった。
ことが起こったのは、まん丸い月がまぶしく輝く満月の夜のことだった。

その日、幼子は普段とは違って大人しく、朝から自分の本体である鏡を抱きしめてぼぉーっと空を見上げていた。
それにしてもなんにでも興味を持っては追いかけたり、いつもの「かー」「てー」と言葉さえ発することもなく、まるで置物のようにそこに静かに座っている。
鏡だったのだから動かないことに慣れてはいるだろう。
しかし普段と様子の違う幼子に、天狐たちは微かな不安を感じ始めていた。
子育てに慣れていないから、普通の子供はこういう状況があるのかもわからない。
天狐たちが住まう社には、今は幼子もいることもあって強力な結界が張ってあり、現状では生き物は天狐と鏡の幼子しかいない。
どうしたものかと様子を一日うかがっていた天狐たちだったが、結局そのまま幼子は一日微動だにせず、縁側に腰を下ろしていた。

「どうしたのかなぁ?ハッ!ま、まさか!?うちの子病気!?どうしよう!?どうしたらいい?大丈夫?!」
「ひとまずなかにいれよう」
「そ、そうだね!僕部屋をあたためてくるよ」

さすがに空に月が昇りはじめると、風も冷たくなり空気も冷えてくる。
心配になった始は「風邪をひいてしまうぞ」と幼子の横に腰を下ろすと、その身体をいつものように抱き上げる。

「こら鏡。すっかり冷えてるじゃないか。つくもとはいえ、その身はまだ弱いんだ。室内に入るぞ」

幼子を本体ごと抱きしめ始が立ち上がれば、室内ではすでに隼が得意の狐火でもって部屋の中を明るく照らしている。
準備がいいことに、囲炉裏にもすでに暖がはいっている。
それに始が表情を崩し――


―― 満 ち  た


始が社内へ一歩踏みだすよりも前に、幼子が口を開いた。

「どうしたんだ?」と声をかけようとした始だったが、幼子の普段との違いすぎる表情に足を止める。
と騒いでいた隼でさえ口をつぐんだ。“それ”を目にした隼までもギョッと目を見張る。

始の腕に抱えられれていた幼子は、腕の中から愛おしそうに月を見上げている。月を見上げるその表情はこどもらしくない妖艶とさえ言える雰囲気が漂い、その口端を持ち上げている。

『きょうは、いのりのこえがよくきこえる』

そこで始は、幼子が抱き締めていた丸い鏡のなかにさらに丸いものが浮かんでいることに気付く。 雲外鏡の名の由来を彷彿とさせるそれは、夜天に浮かぶ美しい月だった。
まるで空の月を飲みこんでしまったかのように、月という名の宝石がはめこまれたように、幼子の腕の中で空の月よりもなお妖しく美しく輝いていた。

「今日一日ずっと月の光をため込んでいたのか」
「月だけとは限らないよ始。この力の気配・・・その子、もしかして陽の光も」

始と隼が表情を真剣なものに変えたところで、幼子は彼の腕からするりとぬけだし、トンと音もなく地におりたつ。
風が子を補佐するように。
それは先日までころころと床に転がっていたのと同じ存在とは思えない動きであった。

太陽の光と月の光をその本体に浴び、妖としての力が完全に満ちたのだろう。

縁側からそのまま庭へと飛び出した幼子は、くるりと振り返えると天狐たちにむけ微笑んだ。
大人が我が子を見るような慈愛にあふれたそれ。幼子のいままでとはちがう表情に、天狐たちさえ思わず言葉を飲み込む。

『ふたりがこえをかけてくれたから、この身はけんげんできた。かんしゃする』

ほんの数時間前まではうまく文法など話せず、あいまいな単語ばかりを繰り返すだけの赤子だったはずなのだ。
しかし最早、そのなめらかな動きといい、表情といい、したったらずな口調でありながらも、数日前までとはもはや別人だ。

持ち上げられた腕が柔らかく波を模倣してくねりとうごけば、それは水の中でゆらゆら動く水草のよう。
流れるようなしなやかな動きは着物の袂をふくらませ、その姿はふわりふわりと風の精が舞っているかのよう。
チラリとたまに向けられる視線は、天女から向けられた流し目のようで、ドキリと心の臓を射抜く。

その若草の目は艶やかな大人の色気を秘めていたが、小さな姿からは信じられぬほど機械じみ淡々としている。
あまりに巨大すぎるナニカ。自分たちをゆうに圧倒するであろうナニカ。そう思わせる存在感がいまのこどもにはあり、 いま目の前にいる相手には決して手を触れてはいけないと魂からわからせられる。そこに佇むだけで纏う雰囲気が有無を言わせない。 圧倒的な力の差と、年の壁のようなものをそのとき天狐たちは感じていた。

とめられないことに満足したのか、こどもはそのまま庭をかけまわる。

こどもは自力で動けるのが嬉しいのか、それともこれはなにかの儀式か。 天狐たちが見守る中、小さなつくも神は己の本体を空に掲げたりと庭先で風とたわむれ続けている。

すでに肉体の動かし方も、この世の条理も摂理もすべて知り尽くしているかのようだった。
これがほんの数日前に生まれたばかりのつくも神とは誰も思うまい。

『物は月のひかりをあびて、あやかしとなる。ならば、陽のひかりをあびつづけたら?』

さぁ、どうなると思う?
その問いの答えを優秀な彼らは瞬時に理解したのだろう。さらに驚き目を見開く天狐たちにこどもはクスリとわらうと、「みていて」と己の本体をポーンと空へと投げた。

丸い鏡はくるくると回りながら空へ――

鏡は重力を無視し、そのまま宙にとどまり、その回転の速度だけを増していく。
それは月光をさらに集め、鏡じたいがまるでひとつの光球のように輝き、日が沈み夜のとばりに塗りつぶされたはずの社の庭を明るく照らした。

その下で、小さな影がひらりひらり蝶のように舞っている。
いつの間にかその両の手には黄金色の稲穂の束が握られている。

 くるりくるり。
シャーン。

小さなこどもの着物の裾が、彼が動くたびにゆれ、その手にしていた稲穂は神楽鈴のようなシャラリとした音を奏でる。
柔らかな白い月の光と、太陽のように明るい鏡の金の光が周囲を照らし出すそこは、もはやこどものためだけの舞台だった。
その台上で、こどもはくるりくるりと弧を描きつつ、地面を踏みしめる。トトンと踵が地面を鳴らせば、そこから若葉が芽吹く。
その動きに合わせるように、彼の踏んだ地面がひかり、緑の線を描いてあとに続く。

『これで、ほんとうにめをさませる』

その小さな呟きを合図に、こどもの歩いた後をなぞるように地面が光輝き、疑似太陽と月の光が降り注ぐ一体に植物が芽を開き、木々が一気に急成長を遂げ、蕾が花開き、若葉は緑を色濃くす。
こどもはまだ足を、手をとめない。
こどもの神楽舞とともに、地面にはさらに複雑な文様が描かれていく。
その紋を囲むように芽吹いた若葉たちから、ふいに黄緑の光がひとつふたつと放出される。それは命の灯だった。

緑の光の粒子はやがて数を増し、金と白いの光に混ざりもはや本流となって周囲にあふれていく。
今が月の美しい夜だというのも忘れてしまいそうなほど、社の庭は日中の太陽の下にいるかのようにまばゆい光に満たされていった。


それは長い年月を生きてきた天狐たちでさえ始めてみる美しさ。
夜空の月の光を集めて、太陽の光が輝いて若葉が芽吹く。神の顕現というのはまさにこのようなものを指すのだろうと、思わずにはいられない。そんな光景がそこにはひろがっていた。
それほどまでに神秘的な光景に千を生きた天狐たちとて、息をするのも忘れてただただその光景に魅入っていた。


シャーン
シャーーー・・ン

鈴の音がどこからともなく聞こえてくる。


木々からあふれ出た命の光は、紋の中心でようやく足を止めたこどものもとに集まり、それにともない鏡からの光が強さを増す。
あまりの眩しさに天狐たちが視界を手で覆った一瞬。すべてが弾けた。否、白でおおわれた。
今まで一番強い光が、庭を、こどもをの小さな姿をかくしてしまったのだ。


『目覚めを』


鮮烈なまでのひかりに目を閉じていた天狐たちの耳にもそれは染み渡るように届いた。

凛とした声が空間に鈴の音共に波紋を広げる。
シャーン!とひときわ大きな鈴の音が響いたかと思えば、突如として空気の質が変わる。

あふれんばかりの“神気”が、場にひろがった。
圧倒的なまでの“なにか”がそこにいるのを感じ、魂が震えあがった。 それはゆうに千を生きる天狐である隼や始を超えるナニカ。
神に最も近いといわれる始と隼でさえ顔をこわばらせ、体の奥底からくる震えをおさえこみながら、どうしようもない力の威圧に額から汗を流す。

強烈な光が消えた後、そこには幼い“妖”の姿はなかった。


ふわり。


二人の天狐の目を焼いた白い光はすでにない。
もはやそこに天狐たちをも威圧するなにかはない。
ただただ、暖かな――太陽のひだまりのような優しい風が吹くだけ。

光と植物でできた陣の中心では、一人の人物がふわりふわりと浮いている。

キラキラと淡く輝く光の粒子がその人物を包み込むように周囲にまとわりつき、白衣に浅葱の袴が朝露にぬれた葉のように光を反射している。
その人物は幼子の本体であった鏡を大切そうに両手でかかえ、光に支えられるようにふわりと地に舞い降りた。
彼が地面に両足を付けたところで、ふっと光は霧散し、周囲をゆるやかに漂うだけのものとなる。

鏡をかかえ、穏やかな笑みを浮かべてたたずむ青年には、どこか幼子の面影がある。
先程の老熟したような鋭利さも華やかさも鳴りを潜め、そこへ幼さと純粋さがまざりあった結果――感情の薄かった部分に幼子の無邪気さが加えれたように、理知的なまなざしは変わらないものの穏やかで優しい雰囲気へと昇華されたかのようだった。

それは先程の機械的なナニカとは違い、誰かが望んだ鏡の姿なのだろう。
ときにあやかしや神仏のたぐいとは“そういうもの”だ。人が望むイメージが姿となり、人の向けられた感情が形となる存在。

この社で長い年月を祀られていた鏡の化身である彼を作り出しているのは、彼を取り巻く数多の祈り。
太陽とも月とも思われ、鏡そのものを神としてまつっていたこの地の人々すべての―――・・・

現にその淡い色の髪は光を浴びた反射し輝く稲穂のよう。
瞳はすべてを映し込むように澄み切り、森をそのまま切り取り宝石へと凝縮したような若葉の色。
青年を取り囲んでいた命の象徴ともいえる草花が、朝露を浴びたように生き生きとし、その至高の存在に歓声を上げている。
かもしだす雰囲気は温かく、草花に囲まれた青年は、まるで春の精そのもの。

その姿はまるで太陽の化身。
あるいは豊穣を約束された大地を常盤のようだ。

目の前にいるのは“妖”ではない。
あれは陽にまつわる“神”――そのものだった。


青年の周囲には、先程の光の波の残りが、白く光りながら霧のようにうっすらといまだそこにただよっている。

再度どこからともなくシャーンという鈴のような音が響けば、彼を取り巻いていた光が白く淡く発光する。
芽吹いた木々たちがそれとともにパチンと音を立てて、暗闇を明るく照らし出していたすべてが水泡のごとく光の粒子となってかき消える。
それはいままでのすべてが泡沫の幻かのように。


呆然としている天狐たちの頬をなぐさめるように暖かな風が撫で、それに隼と始がこわばっていた力が抜けるようにその場に座りこむ。
嫌な汗もひいた。
魂を押しつぶされそうな威圧感もないのにほっと肩から力を抜く。


おさなごから青年へと姿を変えた“それ”は、眠りから覚めたばかりのように、その場でパチパチと数回瞬きを繰り返していたが、 その瞳が耳までたれさせて地べたに座り込む天狐たちをみとがめ、次の瞬間にはハッとしたかとおもえば困ったようにその目がゆっくりと伏せられる。
目を閉じたままの青年が、ふいに宙へ手伸ばし、何かをつかむようなしぐさをすれば、いまにも宙に溶けて消えていこうとしていた彼の周囲をただよっていた光がギュッと凝縮される。
それを青年がひっぱれば、まるで空中から突然布が現れたように光が勢いよく織られていく。
暗闇の空に輝く天の川をそのまま地上におろしたような優しいきらめきを纏った布だ。
そのまま布へと姿をかえた光は、白い薄布となり、風の精がたわむれるように重力に逆らってひらひらとはためく。
青年は羽衣のようなその薄布をふわりとひろげると、それを頭からかぶり視界おおってしまう。

パチリ。長いまつげがゆれ、閉ざされていた瞼がひらく音がきこえたような錯覚をおぼえる。

そこで鮮やかな緑が、薄い布越しにもこちらをとらえていることに気付き、天狐たちは彼が雲外鏡であったことを思い出す。神化をとげてもきっと、雲外鏡という本質はかわらないのだろうと――。

雲外鏡は、すべてを映す鏡。
その眼に映された者の嘘は通じない。真実のみをとらえてはなさない。
それはひとの心の中まで、魂の色さえ。人の目に映らない“もの”まで映す。
そして千里の先まで見通す力を持つという。

天狐たちは衣の様態にいち早く気付いた。
その能力ゆえに、彼は自ら枷をつけたのだと。

『おはようございます父様、母様』

ここまできて、ようやく青年が口を開いた。
それはくすくすと小さな鈴の音のような笑い声とともに、周囲にあたたかく優しく響く。
さきほど一瞬みせた素顔からして、さぞ綺麗な笑顔をうかべているのだろう。薄布越しにもみえるうっすらとみえる笑みは、ひどくやわらかい。
直接その笑顔を見ることはかなわないが、それでも雰囲気だけでもわかる。

いまにも花々が咲き誇らんばかりの満面の笑みを浮かべる彼は、はずむように嬉しげだ。


「それが、本当の姿か」

ふわり。微笑みさえまるで彼の周囲をただよう羽衣のように柔らかい。
人々の願いが、そしてここにいる天狐たちの認識が、彼に“優しいイメージ”と“感情”を与えたのだろう。

『はい。父様と母様が妖力を与えてくださったことであやかしとして顕現することができ、今日の太陽の力をため込んだおかげで、こうしてあるべき姿で現世にて形を得ることができました』

「なるほどな。もしやとはおもっていたが、いままでの"てー"と"かー"は父様と母様と言っていたのか」
「んなっ!?」

一人納得したように頷く始の言葉に、隼の四本のしっぽがピーンと元気にたつ。
何事かと見守っていれば、直後、隼は雲外鏡の青年にかけよると、そのままの勢いでぎゅうと青年を抱きしめた。そのシッポはぶんぶんとふられている。

『父様母様?』
「ああ、もうっ!!!僕らを両親と思っていてくれてたなんて最高!!さすが僕と始の子!!!うちの子がかっこかわいいよ始ぇ〜!」
「やかましいぞ隼」

天狐は神をも超える力を持つ高位の存在であるが、あくまで妖怪が転じたもの。
その彼らが本物の神になることはなく、神気は持ちえない。
そんな天狐二匹の妖気があわさってうまれた“それ”は、すでに神気をもつ立派な一柱神であったが、その根本は天狐二人の力である。そのためか青年は二人を父母と慕って笑みを見せてくる。 ふたりにとっても己の力が元になっているのが感覚でもわかるからか、成長した彼をこどもと呼ぶのに抵抗はない。
なにより雲外鏡本人もそのつもりであるらしく、何を言われても嬉しそうにニコニコしている。

「ふふ。それにしても一気に大きくなっちゃったね。残念。僕の愛しい鏡の小さな姿をもっと堪能したかったけど。
でも神仙、妖、怪異のような曖昧な存在である僕らは、“あるべき姿”でいるのがいちばんいい。それこそ僕らのような存在には力になる。
そもそも君は僕らよりはるかに長く生きてるのだから。そうだね、君に子供の姿は不釣り合いだったわけだ。その姿の君もとても素敵だよ」
「鏡。ずいぶんと大人びたな。ふっ。俺より背が高いんじゃないか?」

隼がしっぽをふりながら雲外鏡に抱き着き、ゆったりと傍まで歩み寄った始がひときわ高くなったあげく布を一枚隔ててしまったがふわふわの雲外鏡の頭を感慨深そうに撫でる。
雲外鏡は撫でることと抱き締められることには抵抗はないようで大人しくやられるがままだったが、だんだんと泣きそうな顔になって、ついには首を横に振った。

『やだ』

「どうしたんだい僕らの愛しい鏡?」
『それ、嫌!』
「それ、とは?」

『父様も母様もずるい!始とか隼って呼ばれてる。オレも、呼んで?』

「名前のことかな?」
「ああ、そうか。鏡にはまだ名がなかったか」
「これはうっかりだねぇ」

「もしかして君は正式な名前がある鏡だったりするのかな?それだったらそこからきちんと名をとらないとね」
「だな。名はこの世で最も短い呪の一つ。名はていを表すとはよくいったもので、名のつけ方を間違ってしまえば力が弱体化してしまうこともある」

雲外鏡は天狐の言葉を必死に理解しようとじっと二人をみつめ、うんうんと一生懸命に頷いている。
その都度、薄布がふわりふわりとゆれる。
再度、名前はあるか?ときかれ頷いた青年は、これで名が呼んでもらえるとばかりに嬉しそうに笑い、挨拶のやり直しをすると告げ――

『はじめまして!』



『オホヒルメノムチの鏡だよ。
ああ、これでようやく、ちゃんと二人の声がきけるよ!これからよろしくね』



直後、名乗られた名前に空間がゆらいだ。

ズンと重い何かが天狐たちの住まう社を踏みつぶそうとしているかのような衝撃がきて、振動が社全体をミシッミシッと揺らす。
天狐たちでさえ、毛を逆立て震えあがるしまつ。

自分たちの記憶違いでなければ、とんでもない“名”が、愛しい鏡から発せられたように思えた。
いや、錯覚だと思いたい。

「お、おほ・・・(口を開けたままガクガク震える)」
「まて。いまなんと言った?(汗)」

『よろしくねって』

「その前だ」
『え、えっと?』
「おほひ・・・(gkbr)」

『あ!オホヒルメノムチの鏡?』

ズシン
結界にさらに重みがかかり、社のきしむ音が響く。

「聞き間違えじゃなかったのか!?」
「オホヒルメノムチだって!?・・・(ガクガクガクガク‥)」
『うん。オホヒルメノムチ。あ、えっと今風に言うと天照大御神だね!』
「「!!!!!!」」

ズン
 ズン・・

メキッ

 ズ ォォォーーーン

「お、おもいぃぃ!!!!あああああぁぁぁ!!!メキッていった!今メキッていたっよぉ!!!始ぇ!・・・潰れるぅ!!!つぶされちゃうよ始ぇ!!く、くうかんがぁ!!!」
「いいから鏡!お前はもうその名を口に出すな!社が!というか俺達の結界が壊れる!!」

『うん?どうかしたの母様父様?ねぇ、オレの名前は?つけてくれるって』

メキメキメキ・・・

「その話はあとだ!!」
「あああああぁぁぁ!!罅ぃ!結界にひびがはいってるよ始ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「隼!もちこたえろ!!!」
「ひぃー!!!むりぃ!!!!」



首をかしげる雲外鏡の傍で、ひびが入り今にも砕けそうな結界の維持に奮闘する天狐たち。
薄布の下から空を見上げた雲外鏡は、ひとめみてすべてを把握したようで、結界のどこを補強したらいいかを的確に指示していく。

それからまもなく、いままでよりもずいぶんと強化された結界の修復が終わる。
それににほっと息をつく天狐たちの横を雲外鏡がふわりふわりと薄布をゆらしてとおりぬけ、はりなおされたばかりの結界まで歩み寄る。
両手には相変わらず彼の本体が抱えられている。
結界に歩み寄った雲外鏡が結界にそっと手を触れれば――そこから一気に結界の領域が拡大され、社だけでなく天狐たちが見守っていた領土一体に広がると淡く光り輝き宙に溶けるように、台地に染み込むようにしてきえた。

『土地の気の性質を母様と父様の気に合わせたから、気の循環が前よりもっと楽にいくよ!』

「僕はもうなにがあっても驚かないよ」
「・・・・・そうだな」

『?』
「ああ、いや。たすかったありがとな」
「う、うん。ありがとうね(苦笑)」
『えへへ( *´艸`)』


そんなことがあってから、しばらくしてようやく室内に戻ることができた。
雲外鏡の正面に天狐二人が座り、ほわほわと嬉しそうな彼に天狐たちはため息をついている。

「それで。ええーっと」
「名前、だったか」
『うんそれ!人につけられた種族名?というか役職をしめすようなものじゃなくて、二人から生まれたオレという存在だけの名前がほしいなって』
「あ、神の名称を種族っていっちゃうんだ」
『あれは母様と父様が“天狐”といわれてるのと同じだから』

名を音として発するだけでそれが力となり周囲に影響を与えることが判明し、 雲外鏡は自分自身に枷をつけるように“音”に力がこもらないように気を付けながら話していく。


「"おおひるめ"といえば、すべての母神父神である弉諾尊様・伊弉冉尊様が自然の神を産んだ後に生まれたあの天照大神かぁ〜」
『ははがみ?あ、えっとアマテラスはあってるよ。たぶん』
「なんで疑問系にした?」
『う〜ん、っと。名称はあってるよ。ただ人間が勝手につけた名称で。あ、あと神々に父母って概念はないかなぁ。って。 思わず、母神と父神って何のことかなぁっておもちゃって。
そもそも神々ってのは、気付いたら発生していたような“存在”だからねぇ。 雌雄もなければ、人型みたいなそれらしい肉体もないし。家族って概念もないと思うよ。感情もあったか知らないけど。
あ、“今”はちがうかも。人間の想像する心が、あれらに自我を持たせた可能性はあるとおもう』

最早天狐たちは、神々を“あれ”よばわりする我が子に頭を抱えざるをえない。

「始、僕はいま自分がなんてちんけな生き物で、まだ千とちょっとしか生きてない若造だったんだろうって実感してるんだけど」
「俺は頭が痛い」
「・・・どうしよう。生きた年数の違いを目の当たりにしたよ」
「自分の力が具現化した存在のはずなのに、子の方が年上・・・世知辛いな(遠い目)」


「そ、そういえば。大日霎貴と鏡いえばたしか逸話があったよね?」
『あるねぇ』
「たしか伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日霎貴が生まれているとされる。――つまりお前は、その白銅鏡が転じた者ってことか」
「うわー・・。僕たち、知らなかったとはいえ、どえらいものをつかちゃってたんだね」
「そもそもそんなたいそうなものが地上にあるとはだれも思うまい」

『正確に言うとそれは間違っているけどね』

「「!?」」
「もう色々とお腹いっぱいだよぉはじめぇ・・・」
「泣くな。泣き言をいうにはまだ早い。鏡との会話が全部すんでから存部に泣け。耐えろ隼」
『?』
「あ、僕たちのことは気にせず。この目から出てるのはただの汗だからね」

「それで、間違っているとはどういうことだ?」

『うーんと。何から説明したらいいかなぁ。まずは、そもそも"つくもがみ"って二人はどういうものかしってる?』
「そりゃぁ、百年生きて変化したものでしょう?」
『なら、そこらじゅうの物が変化してるよ』
「人に大切にされたもの限定だったか?」
『ならオレってとっくの昔に顕現してもいいと思わない?』
「!?まさか」
「どういうこと始?」

『ぞくにつくも神って呼ばれる存在は、二種類いるんだよね。
大切に使われた物が百年生きて変化したもの。そして――』

「年月を経た道具などに神や精霊が宿ったものだ」

『大正解!』
「えっと、つまり?」

「うちの鏡は百年をこえて"九十九神"になったんじゃなく、もとから別の魂が宿ってた方の"付喪神"だ」

「え・・・それって」
「なにかの魂が鏡に“宿った”存在」


『だからオレがアマテラスです!』


「!?」
「そう、なるよな・・・はぁ〜・・」

『――って名乗ったじゃない。さっき。
人の伝説も間違って伝わっちゃってるからねぇ。まぁ、勘違いしちゃうのもしかたないけど』

「えぇぇぇ!?ど、どうしよう!?どうしよう始!うちの子がなんだかとんでもない存在だったんだけど!ねぇ!どうしよう!!」
「隼はまず落ち着け。
鏡、お前はそこまで人間の逸話にも詳しいのなら、目覚めるまでも意識はあったんだよな?
お前がその鏡の付喪神となるまでのこと、詳しく話せ」
『まかせて。
えーっと、そうなると最初からだね。
オレは、最初は名称神の他のひとらと同じように漂うだけの存在だったんだけど、うっかり地上におっこちちゃって。
たまたまそこらにあった丸くて薄い物、あとで鏡ってよばれることになるんだけど。それにはまりこんじゃって、そのまま出れなくなちゃったんだよねぇ。 まぁ、もともと肉体はもってなかったから問題はないんだけどね。
そもそもオレの役目っていうのが、生命をはぐくむことだったんだ。 生命が安心して暮らせるように、大地の管理維持するために、太陽の力を調整していたんだ。基本は植物の管理ってとこかな。
もちろん鏡になっても続けていたよ。
ここだけの話、数千年前に身動き取れないオレじゃぁ不便だからって、別の神々が分配して頑張ってオレの役目を引き継いでくれたのでオレはいまフリーです。(にっこり)
でも、当初鏡のオレをみつけた人間が、綺麗に姿を映す鏡を見て太陽の化身と間違えて。あげくオレの力をみて、色々勘違いしちゃってね。
そこからアマテラスは太陽の神とか、豊穣を司るっていう概念が生まれて――祈ってくるんだよ。そのせいで魂というか存在が、本当に鏡に定着しちゃって。
最初は太陽の化身て言われてたねぇ〜。うん。なつかしい。あまりオレに意識なかったけど。
まぁ、あながち間違ってないし、どうせ人間とは意思疎通できないし。「いっかー」ってなって。そのまま祀られてた。
しばらくしたら、洞窟に入れられたんだけど、そこから夜にしか人間が祈りに来なくなって。
そのころから月の化身っていわれてたね。
そのあと陽の下にでて社に移されたころには、自然信仰が活発で。人間たちは太陽に感謝して、月に祈るようになっていて。
最近だとオレの本体をみて、日と夜両方の恩恵がありそうとかで、どっちつかずで祈られてるかな。
人間の信仰心ってオレ達神にはすごく影響を与えてね。祈りはそのまま力になる。
二人がこの社に来る頃には、オレはすっかり彼らの信仰の中心になってて、“彼らの神様”とやらに昇格してた』

これがオレのすべてです。とにっこり笑う青年に、その彼が言う“しばらく”というのが数千単位ではないかと察した天狐たちは、もはやつっこむべき言葉をなくしていた。
人間の想いがいかに凄いかを真顔で語る雲外鏡の青年であったが、つまりそれは今も社にある鏡に祈りをささげる人間たちがいるからして、 目の前の青年は見かけ以上の力を持っているといっているのと同じである。
日中ひらかれた社には、いまだ鏡を神として祈りに来る参拝者たちは後を絶たない。
いまもまだ神の性質を持っているのかは不明だが、目の前の鏡の力が巨大なのは間違いないだろう。

天狐たちは顔を見合わせると、頷きあう。

もうこれ以上ぶっ飛んだ話が出てくるのは無理だ。
遠慮したい。
どんな答えが返ってくるかわからないのだ。疑問に思ったことをきくなんてとんでもない。

「いまの力がどれくらい」そんなヤボなことは聞くまいと視線だけで会話を完結させると、二人はひきつる顔に懸命に笑顔を浮かべながら雲外鏡を見やる。

「えーえっと、じゃぁ、話を戻そうか」
「お前の名前だ」
『!』

耳と尻尾があったらブンブンとふっているのではないかと思うぐらい薄布のむこうからパァーと嬉しそうな声が響く。
それに疲れたような苦笑浮かべながら始は、鏡のあたまをわしゃわしゃと撫でる。


「春」


『え?』
「お前の名は今日から“春”だ」
「ふふ。君が先程“目覚め”たとき、僕たちは君が季節を司る春の精霊かとおもったんだ。それでね。“春”。どうかな?」

本音を言えば、雲外鏡の本名というか魂の方の名を欠片でさえ口にするだけで、それが力となって世界を揺らすのに天狐たちでさえその余波を抑えるのは無理だと判断した結果の苦肉の策である。
実を言うと本名フルネームも、その名をもじって簡略した名でさえ、世界に与える影響がハンパナイ。
あげくあの本名はやばい。あれは神の名だ。自分たちより上位存在の名を軽々しく口にできるはずもなかった。
とにかく名を口に出すことは色々とまずい。
そのため本名とは全く別の名前を付けてその力をおとし、神鏡としてではなくあやかしの雲外鏡レベルまでに力をおさえさせようという魂胆である。

名とはこの世で最も短い呪。性質全く異なる名は力をそぐ。

だからこそ隼と始は、目の前の存在にその名を与えた。
まったく異なる名を与え、弱体化させるのが一番の目的である。そうして名を呼び続けることで、力を押さえつける一種の封印にしたてたのだ。


『はる、ハル、春・・・季節の、春』

名前をかみしめるようにその音を口の上で幾度も転がしては、やがて“春”はそれが己の魂にまで浸透したのを感じ顔をあげた。

『オレの名前は――春。ありがとう母様、父様!』

それはそれは綺麗な笑顔を浮かべた“春”に、天狐たちはようやく優しい笑みを返した。
結界はもう揺れなかった。


その日、雲外鏡の春はうまれた。





 




 




 




「ところで」
『ん?』

「天照大神の鏡というのはよぉく分かったが」
『うん?』
「さっきのはなんだ」
『さっき?って、なんのこと?』
「重要なことだ。忘れるな」
『えーっとオレはなにか大事なおはなししたのかな?そもそもオレ、いま、うまれたばかりだけど・・・』
「お前が遥かに長く生きているのはわかる。だからはじめに俺たちを最初に子と呼んだのはまぁいい。父母もともかくだ。問題は――」
『ん?んんん?』


「どっちが母でどっちが父だ?」


「あ、それ僕も気になってた(笑) 春ってば、いつも僕らをいっぺんによぶんだもの」
「隼もそう思うだろう」

『えぇ。気にするのそこなの!?オレのこともっと聞きたいとか。世間でなにが起きているとか。オレの千里眼には興味は!?』





「――で。どっちだ?」








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