も し も 話
[花悲壮] → ツ*キウタ



字春が軍人になりまして 03

 


『あれもこれもすべてお前のせいだ』
「そもそも全部君が悪いよね?」

「『だからさ――』」


それは懐かしいような、それでいてとてもいい笑顔で“彼”は言った。





 

【一発殴らせろ】
 〜 side 睦月始 〜






 

自分にとって、世界を変えた存在というのがいる。
睦月始という存在を「睦月家」と同一視せず、ごく普通の、ただの子供でいさせてくれた――ハジマリ。
つまらなくて、楽しくなくて。灰色がかったそんな世界に、色を吹き込んだ。
暖かな春の日の穏やかな風のようのな・・・を吹き飛ばす突拍子もない気相奇天烈なおかしな奴。
その名も

弥生春。

――というのは芸名で。
己が出会った頃には、彼は「花」とよばれていた。
俺と出会った当初の花は、それはもうあのほんわか容姿が嘘のように口も悪く目つきも鋭く、とにかくよくぶっ倒れていた。
口調は小学校半ばには彼の父親をまねはじめずいぶんと穏やかになり、目つきの悪さも眩しすぎるせいということで眼鏡をかけてからはすっかり鳴りを潜めた。

最近は「春」と呼ぶこともおおくなったが、花と呼んだほうがあいつが喜ぶのを俺は知っている。

どちらの名前にせよ、その外見にしろ、いまではまるでマシュマロのように甘く、優しく、ふわりほわりとしたイメージを周囲に与える存在だ。
そんなやつだが、そのフンワリさを裏切るように辛党である。
そして極度の甘いもの嫌いだった。

そんな花と新、葵を連れてカフェに行った。座り方は俺の正面に花。俺の横に葵、その正面に新といった具合である。

楽しみにそれぞれが注文したメニューが来るのを待って、それまではたわいのない会話を楽しんだ。のだが。
案の定、花が死にかけた。
注文したものに大量の生クリームがのっていて、それを眺めているうちに花の顔色は青くなっていき、しまいには吐きそうになっていた。
それは当然というもの。
そもそもなぜ辛党が、スイーツオンリーなこの店までついてきたんだ。と思わず呆れていれば、「それでも人間には糖分が必要なんだ!」と言ってくる始末。
その際に、人のことを妖怪呼ばわりするので、アイアンクローをかまそうとして――いつもよけられるので、かわりに軽く頭をはたいた。
アンクロであればよける気満々だったと言われた。お前のその異常なまでの勘の良さは、もっと“別のこと”で役立てるべきだと思うぞ。
ぞくに超直感とさえ呼ばれるその勘の的中率は、花の頭中同様に花畑とかしているようで、たまにおかしなところで、変な方向にずれてものを警告する。
じゃんけんなど、負ける方に直感が働いているようなのだ。これはもうだめだ。
その後もなんだかおかしなことを考えているようなので、デコピンでもすれば冷静な思考が戻ってくるだろうかと、実行に移したのだが。
そのとき、事は起きた。

なにげないことだった。
いつもと同じように「軽く」ビシッと指を弾いたら――


『『『あ』』』


勢いがつきすぎたのか、花は椅子の背もたれの限界までのけぞって――椅子の背に跳ね返って、ゴィン!!と良い音をたててテーブルに突っ伏すようにうつ伏せで顔面から倒れ込んだ。

『『『・・・・・』』』

あまりのことに、新は食べていた生クリームを吹き出してゴホゴホよむせた。
葵は驚きに目を見開いたまま、手にフォークを持ったまま固まっている。


跳ね返った勢いで机の上にぶつかり、その音が店内に鳴り響く。
ゴィーーーーン。インインィンィン・・・・という感じで、その音がまだ店内に木霊(コダマ)している。

店中からはざわめきが消えた。


ち、ちがうぞ。いつもと同じだ。いつもと同じように、軽く。そう!軽くしか弾いてないんだ。
まてまてまて。俺はゴリラじゃないぞ。
ひとをふっとばすなんてそんな・・・・・・・あ、花の周辺は重力異常があったか。
それでか!?それでふっとんだのか!?

なんてことだ。


視線が集まってくる。

しかし視線は俺ではなく、机にうつぶせのままの花に向けられている。

誰もが固唾をのんで見守るなか、ふいに視界のすみに青いなにかがよぎった。 それは本当に瞬き一瞬にすぎなかったが、青い光りを纏う小指の爪にも満たないほどの小さな黒い蝶だった。蝶が音もなく滑空すると、机に力なく載せられている花の指先にとまるや、そのまま溶けるようにかききえた。
その幻想的な光景を目にしたものが何人いたかはわからない。
ただ俺はそれがなにかのきっかけになるのではとおもった。いや、むしろ。せめて止まったこの空気が流れろと。


チクタク
 チクタクチクタク・・・


が、しかし

時計の音がどれだけ響いたか。
しばらくまっても・・・
待っても


花は起きなかった。

まだ店内は物音一つないカフェにあらざる静けさで満ちている。
どれだけ大きな音だったかこれでよくわかるだろう。


そのまま起き上がらない春をみやり、それから俺をみる年中組の視線が鋭い。
思わずそらした俺は悪く・・・・いや、いまのはたぶん俺が悪いのだろうが・・・。

いたたまれない。



早く起きてくれ花っ!!






* * * * *
 





「いい加減にしろっ!!」



地の底から這うような、そんな低い低い声が訓練場をゆるがす。


あいつはそんな声も出せるのだなと驚いた。
それと同時に、なぜ俺が弥生に怒られなければいけないのかがわからなくて、「お前のためだった」そう言えば、あいつはよけいに怒りをあらわにした。 烈火のごとく燃えるような炎があいつの目に宿ったのを見た。
弥生の表情から、俺は何かを間違えたのだとわかった。
そう思ったから、口がとっさに「ちがう」「違うんだ聞いてくれ」「そうじゃない」と言葉をこぼす。そうだ。もっと何か・・・なにかを言おうとしたはずだ。
だが、その何かを俺が理解する前に、そのときには弥生から怒りがいっきにひいていくかわり、冷めた眼差しを向けられる。


この世で唯一気になる相手というのがいる。
それが俺にとっては弥生春という存在だった。





ここは〈帝国〉にある兵士を育成するための機関。
その訓練場だ。


訓練のさなか、可哀そうなぐらいに怯えてなみだ目の男と俺の間に割って入ったのは、“氷の人形”と綽名されるほど冷徹で有名な男、弥生春だ。
その彼が人をかばうなんておかしなことだ。

弥生春は〈帝国〉と〈彼ら〉の戦いへすぐにでも送られてもおかしくないほどの実力の持ち主で、この訓練施設で彼を知らない者はいないと言われるほど。
現状のbQ。
bPは気付いたら俺がとってしまっていたので、彼はずっと俺の後を追いかけ続けてくる。
容姿は、整っているとよくいわれているのを小耳にはさんだことがあるから、あれは“綺麗”という部類なのだろう。
ふんわりとした質の髪は淡い髪色をしていて、短く切られているせいかふわふわしている。
整った顔立ちは、大きな目のせいか実年齢よりも少しだけまだ幼さが見える。だが、全体的に肉付きが悪く薄く、この場にいる訓練兵の誰よりも細い。 今にも折れてしまいそうなほど脆くみえる。
けれどその表情は“感情”がないかのように変わることがなく、この場の誰よりも凍てついている。
弥生の口から出るは氷の刃たち。その淡い色の瞳に感情はなく、ただただこちらを映し反射するだけの鏡。
誰に対しても淡白で、感情のこもった言葉も態度も見せたことはない。
だから“氷の人形”なんて五の頃からかいわれるようになった少年が弥生春だった。


かくいいう俺は睦月始。
生まれながらに“心獣”とリンクをしていたという。
物心がついたころには俺は政府の特殊な施設にいて、この年になるまで“心獣”の「玄武」と共に育った。
普通はこの研修施設で訓練をつんだとに、“心獣”との相性を図るのだそうだ。
俺がいた施設には、何人もの子供や大人がいて、かれらはみな“心獣”との実験を繰り返された。“心獣”と相性のいい子供たちは、10歳にも満たない段階でもすぐに戦場にかりだされた。
つい最近までそこで暮らしていた俺は、すでに〈彼ら〉との実戦も経験している。実績だってすでにかなりあるだろう。
だからいまさらこんな“訓練”をする学校で何を学ぶのというのか。まるでお遊びのようなこの場所で。
だが俺達のいた施設は、人とのふれあいに関してはまったく触れなかったのだ。
人と触れ合う機会はほぼないに等しく、会話も事務的なものしかしたことがない。それで十分だと思っていた。 そのままに、なんどか政府から部隊を任され出陣したが、やがて部下たちはやめていくか散っていくだけ。残る者がおらず、それでは指揮官として任せられない、と政府のやつらが言ってきたのだ。
何を期待されているのか理解はできなかった。
ただ唯一の話し相手であった“研究仲間の子供”に、それをつげれば「当然だろうね」と言われた。
俺からすると随分と遅れて研究所にやってきたのは、どこかの国の王子だという白い子供、隼だった。
あいつもまた幼いころに“心獣”と仮契約をしたとかで、研究所に能力制御の訓練に来ていた。
「大人になったらちゃんと契約するよ」と何でもないことのように笑っていた。
“心獣”を武器ではなく感情がある生き物のようにあつかう隼に疑問がわき話しかけたのが始まりだった。
“心獣”は彼にとって家族で仲間なのだという。
「契約を保留なんてそんなことできるのか?」と思ったが、それは隼だからできたのだろう。

あとできいたところ、できるできないの問題ではないらしい。
「さぁ?でもやるしかないよね。今じゃ無理なんだ。僕の体はまだこの子の力に耐えられないもの」
と、言ってきた。
そのときのあいつがなにを考えていたかなんて、いまでもわかりはしない。

あれ以来、隼は俺にやたらと絡んでくる。

俺に感情のようなものがギリギリあり、他人となんとか会話ができるのも隼のおかげだ。
しかし、世の中それでは生きていけないらしい。
俺のように感情が欠落していると後々軍を従えることはできないと、駒(兵士)を無駄に殺してしまうだけだ。と判断され、期間限定でこの訓練施設に入れられた。
目的はもちろん、俺がいることで「兵たちの目標となってもらうため」というのと、俺に人の生活を学び「情緒を育てよ」とのことだ。
当然、軍事施設であろうと、そこはまだ訓練所。学生と呼ばれる子供たちの集団がいる場所だ。そこでは、“心獣”とリンクした者はいない。普通であればこの施設を出た後に“心獣”との適合をみ、配属が決まると同時に戦争の前線に送られるのだ。
当然すでに適合者がこの場にいるのはおかしいことだ。そのため俺が“玄武”の適合者であることは、完全に秘匿された状態での入学だった。それでも実戦経験のある俺と彼らの実力差などわかりきっていた。

困ったことに、訓練所にいれらても俺も俺の周りもは特にかわりばえはなかった。
誰も話しかけてこないのだ。
「待っているだけを会話なんて言わないんだよ!」とは隼の言葉であるが、何を話せと?
そもそも俺がリンクしていることは隠しているというのに、なぜ誰も話しかけてこないのだろう。研究所と同様に、遠巻きに眺められているだけだ。これをひとは「さけられている」「ボッチ」等と言うらしい(隼談)。
だが政府から指示は絶対だ。頑張って人を学ばねばと、話しかけようと視線を向ければ、勢いよくそらされる。
声をかけようとすれば、ガタガタと怯えられる。
よくわからない。
話しかけ方がダメだったのだろうか。「おい」という のはダメなのか。なら、どう声をかけるんだ?
名前か?名前を知らないから 今度全員の名前を憶えてから、もう一度話しかけるとするか。

こんな感じで話しかける方法さえしらないから、俺から声をかけることもない。
逆に声をかけられることもない。
隼やその相方である海ならば、俺と他人の間を持ってくれただろう。しかし彼らはすでに適合者として表で有名だ。そんな彼らが今更、適合前の訓練施設に通うはずもない。

それに、こういっては何だが。この学生しかいない訓練施設では、“実戦”ではなく“訓練”だ。
常に死の恐怖があるわけでもなし。
その分、彼らは戦場に出た途端、役立たずと化してしまう者が多い。己の無力さをしり、ときに実戦についていけず、あるいは誰かの死を前にして…狂気に飲まれそのまま落ちてしまう者がどれだけいたか。
どれほど良い成績を残そうとも命がけの過酷さを知らないから、ここの“生徒”たちはあまったれが多いのだ。
そんな彼らに、はっきり言って教わることなどないように思う。
俺からすると、なぜこの程度の訓練にさえついてこれないのか、わからないほどだ。まぁ、隼や海からすると、“わからない”とこが俺のダメなところなのだという。
俺が威圧するだけで、戦う気力をなくし気絶するようなやつらばかりの空間で、あいつだけだった。

あいつ、弥生春だけが、俺に“言葉”をくれた。
あいつだけが何時まで経っても闘志を失わない。
あいつだけが俺の実力についてきた。
あいつだけが俺に応えてくれる。

俺に感情のままに意見してくる・・・唯一。

だからこそ弥生と仲良くなれないかと思ったが、弥生はとても強情な奴だった。
数少ない知人たちからロボットのようだと言われる俺だが、弥生はそんな俺をはるかにうわまわる鉄仮面だ。感情の起伏が感じられず、淡々と日々を送っていた。ついた綽名が“氷の人形”となってしまったのもしかたがないレベルだ。
感情がないのではなく、抑え込んでいるようだ。というのが、俺の見解だ。
俺にはないものを持っているのに。どうして弥生はそんな面倒なことをするのか。
俺にはいまだよくわからない。

ここにきて一番に驚いたのは、弥生春の存在だけだ。いや、ほかにもあるにはあるが…「“訓練生”ってなんて弱いんだ」「こんなの戦場に連れていく方が怖い」と思ったのが最初の驚きだが、まぁ、それを凌駕して好奇心を刺激してくれたのは彼一人といういうことだ。
“普通”が欠如しているらしいそんな俺よりもはるかに人を寄せ付けない空気を纏ったやつがいて、それに興味がわいたのは必然だった。
そのせいだろうか。気付けばいつの頃からか、俺は弥生のことを視線で追うようになっていた。
これが「話したい」ってことなんだな。ってあとあとで思ったものだ。

しばらく弥生を観察して分かったことだが、弥生春と初対面のやつは、ふんわりとした外見からまず「弱い存在」だと騙される。 そうやって見下されることをあいつは嫌うから、見下されたら倍にして叩きのめしてるところはとても勇ましかった。
弥生春は名前のとおり穏やかな性格で、やわらかな外見通り弱そう。…で、あれば、誰の心もダメージをうけなかっただろう。残念ながら、あいつの本性はそんな生易しいものではなく、外見を裏切るほどに冷徹で、苛烈で、そして強い。それこそグツグツ煮えたぎりすべてをその業火に飲み込んでしまいそうなマグマのように。

以前からの知り合いである隼や海のおかげで、俺は最低限の感情というものを知り、彼らがいたから人でいられた。
その状態でも戦地に出たら隊との協力が必須。まだお前には人が何かわかっていない。足らなすぎる――そう言われ、もう少し人を学べと放り込まれた訓練施設。ただ敵を葬るためだけの俺の人生だったが、この訓練施設に来て、初めてみる人形の振りをする生き物に驚いた。
感情を持ちながら、それを自ら封じている同い年の子供。

感情については今でもよくわからない。 自分はそれを得れたのかそうでないのかもよくわからないもの。
自分が望んでも今だ手に入っていないそれ。それをすでに手にしているのに封じてしまうなんて、そんなもったいないことをどうしてするのか知りたくて、声をかけようとした。

けれど弥生には睨まれたあげく「貴様のような奴は嫌いだ」「オレに近寄るな」の二言しか言葉を返してはもらえなかった。
弥生と話したくて、いまだに何度も挑戦するも結果に変化はない。相変わらずゴミを見るような目で見られて終わりだ。
ちなみにこのことを隼と海に話したら、「始にそんな態度とれるやつがいるんなんて凄いな」と海は顔を引きつらせ、「そういう子は貴重だよ」と隼には爆笑された。
あの二人がこう言うぐらいだ。弥生はやっぱり俺よりすごいやつなのだろう。
ところでなんであの時隼は爆笑していたのだろう?どこに笑う要素があるのか知りたいところだ。


時間が経過しても弥生の態度は相変わらずだ。
怪我をしようが、逆に誰かに怪我をさせても。 それによって表情が動くことはほとんどなく、氷のように冷え切った表情や冷たい態度は、溶けることのない永久凍土といわしめるほど。
気付けば弥生の綽名は進化をしていて、“氷の人形”から“氷の女王”と異名が変わっていた。

いつだか隼に、いつものように弥生の愚痴を話をしたとき、隼が言っていた。「なにを見たら、自分の心を殺してしまうのだろうね」と。

そこでふと思った。
周囲からも「氷の〜」と言わせるほどに、あんなになるまでに、あいつはなにを見てきたんだろう。
それを共有することはできないだろうか。
それをしれたら、弥生は俺と話してくれるようになるのだろうか。

たぶん弥生は、感情を殺さざるを得ないほどの“なにか”をみたのだろう。
〈彼ら〉との戦いにおいて、もはや望まなくとも戦力と見られれば年齢も性別も関係なく徴兵されるこのご時世。俺はすでに“心獣”とリンクしているためずっと軍の機関にいたが、あいつは違う。弥生春は、志願兵だ。
あの凍てついた氷の向こうの緑は、きっと俺のしらない“外”をしっているのだろう。
その目は戦場を見ているのか、それともなんらかの過去のことか。


弥生は、俺にだけみせる感情がある。

“普通”と“常識”を知らない無知な俺に、あいつは苛立ちを見せた。
それが弥生のみせた初めての感情だった。
その時の弥生の目の中には、「冷たい」「氷のようだ」と言われる普段のあいつからは信じられないほどの、燃え盛る炎のような熱く煮えたぎった激情があった。

だが、悲しいかな。
弥生が俺にむけるそれは「嫌悪」「軽蔑」「不満」「嫉妬」「憎悪」ばかり。
あとは基本無視だ。
ちなみにこれらの感情に名前を付けたのは、言わずもがな、隼とその仲間たちである。

ただ、あいつだけは、他のやつと違ったんだ。「畏怖」や「憧憬」、「絶望」とは違う感情を俺に向け続けてきた。
それが心地よかったんだ。

俺の実力はここでは意味をなさない。けれど、それでも実力差と「現実の戦場を知っている」ことによる経験の差は明白だった。
しかし弥生は、それでもくらいついてきた。bQといわれるがたぶん俺のようなイレギュラーがいなければ、彼が1位であっただろうほどに。いつも弥生の実力は俺のすぐ傍に近い場所にあった。
いつも必死で実力を近づけようとする弥生。しかし逆に俺から近づこうとすれば離れていくばかりだが。

こんな扱いのわからない相手は初めてだった。

そんな相手に俺が興味を持ったのはそう遠い話ではない。
いつしか弥生と話したいと思うようになっていたんだ。

かなうことならば弥生がもつあの炎のような感情の意味を知りたくて。
いつかいま以上の、そしていまとは別の感情を向けてはくれないかとも思うようになっていた。

そんなことばかり思うようになっていて、気付けば最近は俺の方から彼にからみにいっていた。
まぁ、当然のように嫌がられている。
最近では、いつものように冷めた目で見つめられた後「ストーカー容疑で訴えるよ1位さん」と、ついに名前さえ呼んでもらえなくなった。
通信機越しに、隼だけではなくついに海にまで爆笑された。だから笑う要素はどこにあったんだ?俺はショックを受けていたというのに。

しまいには弥生に授業でさえ避けられている。
訓練は実力が最も近い相手とやるのが好ましい。だから俺の相手として弥生を指名して、剣術稽古の相手を申し込んだ。 しかし弥生にけちょんけちょんにふられたあげく、追い払われた。
しかもオマケのように鋭利な言葉の刃によって俺の未成熟な心はめった刺しにされたあげく、「もう相手はいる」と傍にいた学生を引っ張って去ってしまう始末。
なぜそこまで避けられているのかわからない。

きっと今日も隼や海にこのことを愚痴って一日が終わるのだろう。


そう、思っていた。
実際は、それでは終わらなかった。





弥生が、いつも以上の苛立ちをあらわにして俺をにらみつけてくる。

接近戦を想定しての剣術稽古の時間にそれは起きた。


「その態度が気に食わないんだ!」
「やよ」
「オレの名をきやすく呼ぶな!」

俺が怒りにまかせて相手を殺そうとしたからか。だから弥生は怒っているのだろうか。

俺の目の前で声を荒げ、肩を大きく揺らす弥生のその片目からは赤い血が流れていて、どこが傷ついたかはわからないが、きれいなその目は今片方が閉ざされている。
その状態のまま弥生が俺に剣をむけてくる。
弥生の模擬刀には血は一滴もついていない。
その背には、かばうように、一人の訓練生がいる。
お前の刃を向ける相手はその地べたに尻もちをついている男の方じゃないのか。なぜ俺なのか。

だって、そうだろう?訓練生の男は怯えたように弥生をみつめ、全身が震えている。その手には赤い色の模擬刀。弥生を傷つけたのはその男だというのに。なぜ?

ポタリ・・・

男の剣の切っ先から、緋色が地面に滴り落ちる。

弥生の血だ。
それに、胸の中がまたブワリと黒く染まっていく感覚。変な気持ちになる。
これはなんだろう?

わからない。

一つ言えるのは、斬られたのは弥生。
弥生の背後で震える男を被害者であるあいつがかばう価値もなく、むしろその男に弥生は怒る権利があるということ。

だというのに、弥生は、怪我をおわされても怒ることさえしなかった。


そいつはたまたま横にいたからと弥生に付き合わされただけの男だ。
男は、弥生のことを嫌っていた。
彼は対戦相手となった弥生に対しなにかこうるさく騒いでいたが、その訴えを弥生に一蹴され、直後怒り狂ったように飛び出した。
荒々しい動きだった。男には周囲が見えてないのか、なにかを叫びながら振るわれる一撃一撃は重く、刃を潰した剣といはいえ人間を殺すぐらいはたやすいだろうほどだった。
だというのに、なぜか、とめに入ろうとしたものはいなかった。
はじめの頃は問題なかった。冷静な弥生が、大ぶりの男の攻撃をすべていなしていた。勝機はどうやっても弥生に傾いていた。
たぶんそれがいけなかった。相手は弥生におちょくられたと思ったようで、さらに怒りを爆発させた。
それでもいつもの弥生ならば問題なかっただろう。

しかしその瞬間、弥生が一瞬だけなにかに興味をむけた。

気がそがれたその一瞬のすきに、なぜか弥生が体勢を崩し、向かってきた男の方へと倒れ込むかたちとなった。
前へ出るようなかたち。まるで男をなにかからかばうようにもみえる不可解な動き。
弥生の目戦の先、そこになにがあるかとはまったくわからなかった。
ただ、本当に一瞬にも満たない瞬間、なにかが弥生と男のあいだをよぎった。
幻覚だったかもしれない。ゴミだったか、風が通り抜けただけだったか。本当に何もなかったのかもしれない。
ただ感覚的に、そう、それはまるで視えない何かが通ったのを直感的に感じた―――そう表現するしかないのだが。

弥生も、対戦相手の男も何が起きたかわからないとばかりの表情で、互いに同じような驚いたような表情をしていた。

次の瞬間、赤が舞った。
弥生の顔に男の刃がかすめた。

体制を崩したもののすぐに我に返った弥生が、とっさに身体をそらした。そのまま弥生が行動を起こさなければ男の剣はそのまま弥生の顔面を貫いていただろう。
男は血をながしそのまま地面に倒れ込んだ弥生に顔を青くして、血の付いた自分の剣をみて顔を蒼白にさせた。
弥生の顔の傍の地面に、赤黒いものがジワリと広がっていく。

そんな弥生の姿をみて、俺のなかでなにかが音を立てて壊れた。

弥生が怒らないから、弥生がどんな言葉にもきにしたふうもないから。なにをしてもいいとおもっているのか?

気が付けば、俺は剣を抜いていて、男に切りかかっていた。
なんだかわからないが胸の中がモヤモヤする。どす黒い何かでおおわれていくようで。
先程の男じゃないが、男しかいま目に入らなかった。怯えに目を見開き身動きできないでいる男は、このままあっけなくその首を取ることができるだろう。感情のままに斬ってしまおうと思った。

ガキンッ!!!!

振り下ろした剣が、重く鈍い音をたてて誰かに止められる。
俺の剣をとめられるなんて、そんな相手はこの学園でひとりしかいない。
俺をとめたのは、顔面の半分を真っ赤に染めた弥生だった。

「なんでとめた?」
「・・くっ!・・そりゃぁ、とめるだろ」

そいつはお前を傷つけたんだぞ。
血を見て怯えているようななさけないやつにやられるおまえじゃないだろう。
なのに――

「いいかげんにしろ!!」

力なら負けるきはしないと弥生の剣を剣で力任せに押しのけようとしたところで、弥生が一括のもと、勢いよく腕を持ち上げた。
虚を突かれた下から上への動作に、俺の剣が弾けとばされる。

「力技とはそれでも睦月始か」

憎しみのこもった黄緑の瞳がこちらをきつく睨んできた。
怪我のせいか、無理をしたせいか、感情がたかぶっているせいか、弥生は肩で荒く息をつき、男と俺をかばうような位置に立ったまま、いままでみせたことがにほど感情を限界まで詰めたように声を荒げた。

弥生は、何を言っているんだ?
俺はただ・・・。

「ただ。なに?」
「お前が怒らないから」
「へぇ」

「それで代わりに殺そうとしたと・・・・・・・・ほんとうに、ふざけるなよ!!!」


――オレがずっと望んでいた座を奪っておきながら。
他の人間なんか、いつもみくだしてきいるくせに。
気に食わなければ仲間さえも殺すのか。

どう答えたらいいかわからない俺に、弥生がふいに顔をうつむけてしまう。
誰に聞かせるわけでもないだろう弥生の小さなつぶやきが聞こえた。それはきっと弥生の心の声なんだろう。


「オレをバカにするのも大概にしろよ」


お前を馬鹿に軟化するはずないだろう。
弥生のことをなめてなんかいない。
弥生が怒らないのならばかわりにやり返してやろうと思っただけで。
それにあいつは弥生より弱くて、他のやつらと変わらなくて、変わりはいくらでもいて・・・。

どう言えばわかってもらえるのだろう。
言葉を探して悩んでいるうちに、顔をあげた弥生に思いっきりきつく睨まれる。
その片目は赤の中に沈み、瞼は閉ざされ隠れてしまっている。痛々しい。

だが心配して伸ばそうとした手は一瞬ではたかれる。

「触るな」
「だが」
「興覚めだ」

弥生はいつもと同じ言葉を吐き捨てると、もう一度俺をにらみつけると俺が何かを言おうとしたのをさえぎるように言葉をのべ、ギリリと歯をかみしめ、その拳を握った。
血が出るのではないかと思うほど強く握り込まれた拳。それがそっとほぐれ―――


「命の重さもしらないやつが戦場にでるなっ!!!!」



パァン!っと音が響いたと同時に衝撃が来た。
痛みに顔をしかめつつ、何が起きたのだろうと弥生を見れば――

驚いた。

弥生はみたこともないいまにも泣きそうな顔をしていた。その右手が大きく持ち上げられている。どうやら平手打ちされたらしい。
頬があつい。というか痛い。そう認識し始めたころには、もう弥生はこっちをみていなかった。
その表情はもういつもと同じ感情のないものに戻っていて。
血の流れる左側を片手で覆いながら、弥生は痛みにも苦事ひとつ言わず、その表情一つ変えず、背を向け歩き出してしまう。

弥生を刺した男は、俺達のやり取りを呆然と見ていてたが、ふいに自分の手に血がついているのを見るなり恐慌状態になりガクリと力が抜けたように地面にしゃがみ込んだ。
その手から剣が転がり落ちる。

弥生はその男の傍まで歩み寄ると、「刃がつぶれていようと武器は武器だ。次から気をつけろ」と、感情のこもっていない冷たい声を一言投げ、顔を濡らす血を軽くぬぐうと今度こそ訓練場を去ってしまった。
残されたのは、地面に点々と残る赤い痕だけ。






* * * * *
 





医務室にはいかずそのまま片手であふれる血を抑えつつ、弥生春は自室へとすべりこむ。

《ごめん。感情的になっちゃって》

聞こえてきた頭の中で響くようなもうひとりの自分の声に、春は苦笑をうかべる。
さきほどまでこの体を動かしていたのは、別世界からやってきたという“自分”だった。

もう一人の自分は、“死”に過敏に反応する。

命の重さをしれ。武器を持つ覚悟をしろ。と彼はよく言う。
それは彼が本当の命の尊さを知っているからだ。

だから春は許してしまうのだ。
“自分と同じ”思いを知っている彼だからこそ。

「いいよ。オレは、“オレ”が武器がどういうものか知ってるのを“知ってる”から。気持ちはわかるつもり」
《オレもね。〈オレ〉がどうして志願したのか“しってる”から》

《痛みは大丈夫?》
「血はいっぱい出たけど瞼の皮膚一枚かすっただけだよ。ひとまず“みせつける”ために、大袈裟に明日からは眼帯でもするよ」
《まさか“アオサ”がかばってこようとするとは思わなくて・・“巻き込んで”ごめん》

心獣は本来リングと呼ばれる指輪のような物に心も体も情報もすべては言っているのだという。その指輪をもらえるのは、この訓練施設を卒業した後だ。そのあと契約の儀が行われてようやく顕現するのだ。
しかし春はすでに己の相棒をしっていた。
これは“もう一人の別世界からきた春”がきたことで、呼び起こされた新たな能力。肉体のないものを“視る力”。
それにより春は、意識体でしかない“アオサ”と出会ったのだ。
だから心獣のことを知っている。そして睦月始が契約者であることも。
今回の事件は、春を心配したアオサが暴走したせいでおきたともいえる。
それは“もうひとりの春”が、この世界に来なければ起きなかったできごと。

「誰が悪いなんて言葉はいらない。誰かを攻めようとも思わない。ただ、自分の行動に無責任な奴が許せないだけ」
《うん》

心獣は肉体をもたないせいか、同じように体を持たない“もう一人の春”に反応することがある。
げんにいまも落ち込んでいる彼を慰めようとするかのように、閉ざされた部屋のなかにキラキラと黄緑の光がどこからともなく集まりだし、なんらかの形を取ろうとする。
しかしいまだ契約も結んでおらず本体であるリングさえ存在しない今、心獣は明確な姿を得ることはかなわず、光は一度霧散する。

それでも光は、せめてもとばかりに、傷ついた春の瞼をそっとなでるように流れていく。
キラキラキラ。
黄緑の光が春の瞼に零れ落ちる砂時計の砂のように流れ落ち、一筋の流れをつくる。
光の粒子が瞼をなでるたびにスッと痛みが引いていく。

「ありがとう“アオサ”。もういいよ」

血はどうやらとまったようだ。
春が触れた場所はまだデコボコとした凹凸がある。傷跡までは消せないのだ。
だが痕が残るぐらいでちょうどいい。
なにせ春は普通の人間だ。数分で完全に傷が治ってしまう方がおかしい。


《はじめ・・・》

集まっては散って、集まっては・・・と、ふわふわしている黄緑の光の粒子たちへ手を伸ばして戯れていた春の耳に、寂しいという感情を伴った呟きが届く。

彼が自分と肉体を共有してからそこそこたつが、いまだ彼が元の世界に戻れる気配はない。
帰れないことで、郷愁の念にかられたのか、それが彼にあんな声を出させている。
自分の声で、情けない声を出すな。なんてことは、言えなかった。

もう一人の自分が生きるあちらの世界では、弥生春と睦月始は親しいのだという。
今日のようなやり取りなど、本当はしたくはなかったに違いない。

なにより、春は知っていた。

“帰れない”寂しさも。
“ひとりきり”の孤独さも。

知っていたから。
春はよわっているもうひとりの自分に、強く言うことができない。

「だめだよ“オレ”。この世界のあいつは、ただの胸糞悪いだけの王様(上からしか人を見れない奴)だ」

先程の訓練の情景を思い出しただけでもはらわたが煮えくり返りそうだ。

自分が知る睦月始というのは、ああやって仲間を殺そうとするのに躊躇もない。
自分の感情にだけ任せて人に優劣をつける。
その行動が許せない。
命を何だと思っているのか。

そもそも研究室で育てられたせいか、アレはたぶん本物の“世界”をしらないのだ。

「“一位”さんは、どうせそれより下のことなんか見えてはしないよ。だってあいつはずっと、生まれながらにして“第一位”なんだから」

あんなやつが“第一位”の心獣持ちだというのだから、余計に腹が立つ。
彼が第一であれば、そのほかの心獣持ちや兵士たちはあいつの下につかなければいけない。
あんなやつになど命を任せたくない。
自分自身もよく心がない氷のようだとは言われるが、睦月始のそれとは異なる。睦月はないのだ序著と言う人間が本来持つべき感情が。
だからあっさり気に食わないものを切り捨て、殺そうとさえする。

訓練の時、春はアオサが“ひと”を殺しかけたのをとっさにかばった。
この目はそのとき剣がかすったせいで傷ついたのだ。

だが、オレは弱くはない。助けてもらわなくてはいけないような展開ではなかったはずなのだ。
オレを侮ってもらっては困る。
ああ、そうとも。睦月始を引きずり下ろすことができないのなら、オレがあそこまで行ってやる!
あいつの足元にも及ばないままなんかで、たまるか。

あんな直情的な感情に流されただけの大ぶりな剣なんか、“オレ”でなくとも。自分だってよけれた。
それを・・・

オレが怒らないから、オレの代わりに怒った?
そんなふざけたことを睦月始はぬかしやがった。
人を殺す理由が、オレだとか。人を出汁に使うのもいい加減にしてほしい。オレを言い訳にしないでもらいたいものだ。

つまりオレはあいつにとっては弱いということだろう?オレをいかに下の存在と見ているか。
それらすべてがいかにオレに対する屈辱かわかってない。

だからオレはあいつが嫌いなんだ。


オレはこの足を止めない。
とめるわけにはいかないんだ。
誰が何と言おうと。
例え世界を敵に回したって。

その邪魔をするなら、睦月始だろうが“第一位”だろうが、心獣だろうが〈彼ら〉だろうが、この目の怪我でさえ利用してやる。

誓いを新にすれば、拳に無意識に力がはいる。
それを止める者は誰もいなかった。



《――この世界では、誰も笑わないんだね》

寂しげな声。

こいつはもうオレの過去をしっているのだろう。春は思わず目を伏せる。
目を閉じれば、オレの記憶がよみがえる。
一面真っ赤なそれ。

同じようにその記憶に重なるように、違う情景も流れてくる。
光あふれる世界で、たくさんのひとを笑顔にするのが仕事のもう一人の自分の記憶。

こうして望まないままに、たまに記憶と感覚が共有されてしまう。
だからお互いの過去は、もう知っている。

もう一人の自分のいた世界はとても平和なのに、いつも生きるために必死だった。
仲間たちと模索しながらも歩き続け、始と世界をだまして、そうやってようやく居場所を得たことも。
彼の職業はアイドルという歌って踊ること。そして人を笑顔にする仕事をしていたということも。

「戦争中だから、当然だろうね」
《・・・戦争なんて嫌いだよ》
「そうだね。ねぇ、オレ。戦争が終わったら、みんなを笑わせる方法教えてよ。お得意の歌でもいいよ」
《笑える歌はさすがにしらないよ?》
「笑いと歌は別で」

何気ないたわいのない会話一つでも、言葉とともにイメージが流れ込んでくる。

向こうの世界では血や武器をみることなく、人が平和で安心して生きていられる世界。
――いいなぁ。なんて、あたたかい。
あちらのオレは、人を笑顔にする仕事をしていた。歌って踊るだけでたくさんの人を笑顔にさせる。
まるで魔法のようだ。

彼の記憶の中の人々は、誰もかれも楽しそうで。
あの睦月始の表情筋が仕事をする世界なんて到底信じられないし想像も全くできないけど、たしかに、彼の視点で見た人々はわら・・・・・・ん?

「えがお・・・・って、ちょっと待って!!!“オレ”。ねぇ、“オレ”!ひとついいかな!?」
《なぁに》
「“オレ”のイメージする“笑う”ってソレなの?え。笑うってそういう意味の笑うなの!?」

流れてきた向こうの世界の睦月始のイメージがヤバかった。

「あれ笑うってレベルじゃないだろ!?どうみても爆笑って言うレベルだから!!!」
《だって、うちの始いつもあんなもんだよ》
「あの睦月始が腹筋いためるほど笑い転げるとか・・・・ないわぁー。あとみたくないんだけどそんなの」

向こうの世界の睦月始が、笑い上戸とか。いろいろおかしい。
普通はね、あの睦月始だよ。例え並行世界でもクールなキャラなんじゃ!?え?笑い上戸な睦月始とかありえないだろう!?
あいつがくったくもなく笑いまくる姿なんて、誰が想像する? そんな残念過ぎる睦月始なんて、想像できないんだけど。
やることなすこと非常に残念なんだけど。
どこの悪ガキですか!?どこの怪力ゴリラですか!?

しかももう一人のオレの回想では、なんだか睦月始以外にももう一つ分の笑い声が重なっていて。
そのけたたましい笑い声がほぼ二重和音となって響くので、脳裏にそのけたたましい声がこびりついて離れなくなってしまった。



結果、笑い声がずっと脳内でこだましていて、あまりの不快さに、ついに寝不足になった。
誰か責任を取ってくれ。

翌朝、出合い頭に睦月始に襲撃をかけたオレはきっと悪くない。










「ああ、そうだ。お前に言いたいことがあったんだよねぇ」





「ねぇ、睦月――」






* * * * *
 





一方、元の世界。デコピンをくらって動かなくなった春はといえば。



『は、始さん。いま...春さんごぃーんって・・・むしろ、春さん起きないんですけど・・・』
『あ、ああ・・・なんだか余韻が響いていたな』(視線そらし)
『ごっふぉごふ...始さん、自分の力の強さ理解しましょうよー』
『あ、ああ。“次”はそうしよう』


『つぎ・・・だとぉー』


ふいにどこからか地を這うような低い声が、ギリギリギリというなにかを削るような音と共に聞こえてきた。
ハッとなってそちらを見やれば、花が顔を机に突っ伏したまま、その手がテーブルをえぐらんばかりに爪を立てている。

『起きたのか』

『起きてない。死んでる』

『・・わるかった』

花が行動を起こしたことで、周囲からほっとしたような空気があふれ、緊張が解けるようにざわめきが戻ってくる。
どうやら客人たちは、俺たちのことを"アイドルが騒動を起こした"という風にはみず、今回はみのがしてくれるようで、誰も声はかけてこなかった。
いや、店員がそっと花の横に冷たいお冷と氷と、濡れたタオルを置いて、「ごゆっくりどうぞ」とニッコリした笑顔で去っていった。
このタオルはどういう意味だろう?俺の顔を冷やせばいいのか?春のデコか。どっちをだ!?むしろ今すぐ冷やすべきなのは俺の脳だな。

それから花はしばらくブツブツ言いながら、机の上でもがいていたが、しばらくすると不機嫌そうな声が聞こえた。

『・・・・・どうして、くれる』

『その・・・跳ね返るとは思わなくてだな・・・・・』
『まぁ、普通は誰も思いませんよードンマイ春さん』
『た、たしかに(苦笑)』

顔をいまだ机に張り付けたままだった花が突然動き、その手がぬぅっと伸びる。そのままガッシ!と胸ぐらをつかまれ、机にたたきつけられんばかりの勢いでひっぱられる。
すわ、仕返しでもされるのかと思ったが、そうでもないようで。

『どうしてくれる?今の衝撃で意識が飛んだぞ』

花が、周囲に聞こえないようにか小さめの声で話しかけてきた。
視線をむけても、花は少しだけ顔をあげるもうつむき気味なせいで、前髪におおわれ“いつもの鮮やかな緑色”は隠れて見えない。
代わりに耳元で囁くように告げられた言葉に「?」が浮かぶ。

『そう、だな?さっきまでとんでたな』
『ちがう!ふっとんだんだ』
『うん?あ、ああ。だからわるかったと。もう目が覚めてるからいいだろ』

眉をしかめながら首を傾げればパッとつかまれていた襟元が離され、ブンブンと首を横に振る。
その表情はなにか焦りを帯びたように必死で・・・

『“俺”の話じゃない!』

『は?』
『『ん?』』

『花の意識だ!』

『俺は《花》じゃない』


『『『・・・』』』


なんだかまずいことになってる気がした。

そもそも花が自分のことを「花」と呼ぶことはない。
周囲に「春さんだよ〜」「花って呼んでね」というような言い回しはするが、こういうときに自分の名前を一人称として呼ぶようなことはない。
つまり目の前にいるのは、本当に花ではない誰かというわけだ。
その誰かが、花の意識がないのことに焦って、彼の体を借りて表に出てきたという状況だろう。

『あ、春さん・・目が!?』
『ほうほう。これはこれで・・・・あ、いまなら葵とならぶと、まんま二人、兄弟に見えますねぇ』

よくよくみれば、顔をあげた花の目の色は、緑のなかに青が混ざり込んでいて、じわりとその色を変えてきていた。
いつもと違う目は生きた森をそのままはめ込んだ宝石のような緑とは違っていたが、それでも嫌な色ではなく綺麗な色をしていた。
深みを増すその色はまるで光によって色を変える海のよう。

『なるほど、別人だな』

花は寮でもいろいろやらかしている。あげく、花には魔女の呪いのせいで副作用てきな心配事が多い。と、周囲に認識させているせいか、さすがに新も葵も“まずいことが起きた”というのは敏感に察したようだ。
二人ともその表情をひきつらせ、周囲の客に聞こえないような小声で慌てた声をあげている。

『うわーこれ絶対まずいやつー』
『っていうか、じゃぁ今喋ってるの誰ですか?!』

『俺は俺だろ』

『「何言ってんだお前」みたいな顔を春さんの顔ですんなあんた。春さんが人を見下すときはもっとこう!角度はこう!』
『わーナイスつっこみ新。似てる似てる・・ってぇ!?つっこむところそこなの新!?』

『いやそうじゃなくて、俺は俺で』
『俺俺詐欺のようだな』
『だから俺は俺で、花じゃなくて。ん?花じゃないのはもう理解してもらってるのか・・・あ!ウン千年ぶりだから忘れてた!そうか、人間はまず名乗るんだったな。名前。名前・・・・えーっと、お前ら俺のことなんて呼んでたっけ。花は俺のこと「セカイ」か「爺様」って呼ぶんだが。他人の話はあまり聞いてなかったわ』

首をかしげて悩み始める花・・・のなかにいる人物の言葉で、スッと謎が解決する。
先程幻想的な光景を見せて、俺の中からでていったもの――

『お前、ロジャーか』

『あ、それだ』
『え?』
『ほぉー、あのヤマトの牙にも洗濯機にも勝ちきったあの』

『で?どういう状況なんだ?花がいないってのはどういことだ?』
『・・・詳しく話したいところだが、ここではあれだな。ひとまず俺が花の振りをするからお前たちもさっさと食え』
『あ、はい』

『そういえばーロジャーさん、じゃない。春さん、生クリームだけ俺がしっかりもらったんで残りのガトーショコラたべます?』
『“うん。ありがとう新。これならオレも食べれるよ”』

『ぶっ』

『“始ぇ〜、人前ではやめてっていつもいってるよね?”(ジトー)』
『なんのことだ?(キリ)』

『・・・・・・この切り返しの良さよ。花と相性がいいのがよくわかるぜ(ボソリ)』

『で?どういうことだ?“これ”と関係あるのか?』

そう言って俺の服の裾を掴んでいる花の腕をとって持ち上げる。

『そもそも魂は花と俺はふたりで一つだ。だから魂というか、意識というか。なんだろうなぁ。まぁ、「意思」としよう。この体の中に花の「意思」だけがいまはないってことだ。 たぶんお前のデコピンの衝撃で、体から意識だけどこかにふっとんだんだろうな。
以前のように魂まるごとスッテンコロリンでないから、まぁ命に別状はない』
『そうか』
『それだけでもほっとしますね』

『ただし俺がこの体から出ると、肉体の中に意識はないんだ、当然花は起きないし動かなくなる。
で、問題なのは、俺がいままで端末の代わりをして始にくっついていたことで、花への魔力供給を遠隔で行うことが可能になっていたわけだが。俺はいま花の中に戻った。つまり』
『俺の半径5メートルを離れたら魔力供給ができないと』
『そのとおり』

いちいち大袈裟な身振り手振りでもったいぶって語る時の表情はコロコロとよくかわり、いつもニコニコして過ごしている花とは全く違ってみえる。
そういうところが花が今本当に“別人”であると俺たちにみせつける。

『俺だって花だって死にたいわけじゃない。
だが、魔力がないものはないからどうしようもなくてな。この肉体を動かしつづける魔力供給手段が今は少ないことを理解してもらいたい。
たとえば一番の安全地帯は、寮だ。常にお前がいたおかげで寮にはお前の魔力が満ちている。その中であれば、始と離れていても魔力は供給され続ける。
外であるならば、始と5メートルの距離を必ずたもつ。そうでなければ、“春”という存在そのものが死ぬと思ってくれていい。
始の傍にいるか、寮にいるか。どちらかを守っていれば、いままで同様に魔力は常に供給され、世界もごまかせる。
あと、ひとつ。俺がこの体からでてしまえば、魔力供給もできず眠ったまま死ぬだけだなだ。さぁ、どうする?』
『はぁ・・ややこしいことになったな』

『『『いや!ややこしいことにさせたのは始(さん)だ(です)!!』』』

いや、花にどうこうなってほしくないのは、俺だって思っている。
面倒だって言ったのは、外でも手をつないで歩いてないとまずいんじゃないかと思ってであって・・・。

『春さんがいないからって、怒られないヒャッホーとか思ってるんじゃないですよね?』
『思うわけないだろ』

まぁ、言い訳けしたけどちょっと白い目で見られた。
それから「俺が春さんの代わりに始さんをしつけます!」っと、葵がやる気満々で、嬉しそうなロジャーに誓いを立てていた。
おい、待て葵。そんなとこまで春に似なくていいんだぞ。
チラリと助けるように新を見やれば、肩をすくめて首を横に振られた。

な、なんだとぉ!?これは帰ったら説教コース確定か!?
なんてことだ。





『ああ。まぁ、なんにせよ。寮についたらひとつ頼みがあるんだがいいか?』

帰り道、ふと思い出したようにロジャーが話しかけてきた。

『かまわない。できる範囲ならな』
『なぁにちょっと話をしたいだけだ。お前は座ってればいいだけさ。用があるのは俺の方だし』
『そうかそうか。それはよかった』




『話し合い・・・ねぇ。なぁ、葵、今のどうとる?はるさ、じゃなくてロジャーさんの顔見たか?始さん気づいてなかったけど』
『うん。春さんの怒った時と同じような素敵な笑顔だったよね』
『あ。話し合いじゃなくて、“おはなし”か』
『あ・・・』

『始さん・・・』
『骨は拾いに行きますんでーぞんぶんにやられてください始さん』

『『ご愁傷様です』』





 




 




 




 




 




  「『というわけで、睦月始。いっぱつ殴らせろ』」





それはそれはいい笑顔で“弥生春”たちが、“俺達”にむけ、拳をボキリボキリとならして迫ってきたのは・・・・・まぁ、言うまでもないだろう。








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