02 古市左京に運命を感じた |
※魔法の国(春成り代わり字の世界)…『漢字名称』 【弥生字】 ・真名は《字》 ・芸名「春」 ・私生活では「花」 ・魔法のある世界の春成り代わり主 ・二つ前の前世は【復活】XANXAS成り代わり ・一つ前の世界は【黒バヌ】の花宮成り代わり ・前世から変わらず、見えてはいけないものが視える ・転生しすぎで魂が徳をつみすぎたせいで生き物に逃げられる。なぜか猫にはすりよられる ・ロジャー(蝶)は魂の片割れで、夢主の端末のような存在 ・転生得点:自分が不幸になるとすぐそばのだれかにラッキーが訪れる体質 ・とある世界で呪いがかけられたため、自分に向けられた術・ウィルス・毒などを無効化してしまう ・“超直感”があり、異常に勘がいい ・長く生きすぎてネジが吹っ飛んんだ精神年齢仙人な天然ボケ ・生命力が0のため、始の魔力で生かされている ・Growthとは恥ずかしい時に遭遇率が高いという謎の関係 ・志季、朏とはランチ仲間 【睦月始】 ・夢主とは小学生の時出会う ・双方の家族親戚公認の夢主生存装置 ・どでかい魔力を持ち合わせているのに、さらにどこからか魔力は湧き出つづける ・夢主と出会ったことで極度の笑い上戸に進化した残念なイケメン ・おもしろいことに全力投球しちゃう愉快犯 【霜月隼】 ・夢主とは始経由で小学生の頃からの知り合い、実際に会ったのは中学半ば ・家の関係で始とは既知の仲 ・始クラスタ ・愉快犯と面白いことに挑む確信犯 ・魔力量はそれほどなく、周囲の自然から魔力をとりこんで自分の力として使っている魔王 ・夢主のことがとっても大事 【ロジャー】 ・夢主と魂を同じくする、守護霊 ・顕現すると蝶の姿 ・基本的には“力”の操作などはロジャーの得意分野 ※この物語は3部構成です。そのうち字視点は、とあるひとのリクエストによりガッツリシリアス風味です。 嫌な方は、吹っ飛ばしてコミカルサイドの始視点までお飛ばしください。きっととばしても・・・・・まぁ、問題はないハズです。 その子と出会ったのは、その子が生まれてすぐのこと。 生まれたばかりのその子は、母親の腕の中でまるで命を削るように必死に泣いていた。 ああ、これがそうなのだとおもった。 これぞ運命にちがいない。 魔女は運命などこの世には存在せず、すべての物事は必然だといつも言っていたが、 たまにはこんな衝撃的な胸のトキメキに運命という名を与えてもいいんじゃないかと思えた。 それほどに・・・ この出会いにオレは感謝したのだ。 その子から手を離した彼女にかわって赤ん坊を受け取り―― この瞬間、オレは生涯をかけてもいいと思える出逢いをしたのだ。 「約束してね」 『約束はかならず』 【必然ではなく運命があってもいいだろ】 〜side 春成り代わり主〜 それは高校一年。 オレが16歳の――11月のことだった。 オレの名前は弥生字。 もろもろの事情から、戸籍も普段も「字」ではなく「花」と呼ばれている。 そんなオレは風邪をひいたことのない病に対しては負けなし転生者であるが、この世界に生まれてから病院があまり好きではなくなった。 むしろ好んでは絶対に行きたくない場所bPともいえる。 けれども腐れ縁の友人たちや家族たちが心配するから、数か月に一度は強制的に行かされてる。 別に体のどこにも異常はないんだ。 例え、魔力供給を受けるようになってから重力のベクトルがおかしくなり第三者からすると体重を感じないという現象がおころうが、体力がなかろうが、体に肉がつきにくかろうが。 だって、それらはオレが生きていくため。すべて生命維持の代償なのだから、異常と呼べるようなものではない。 体に問題なんてないのだ。 すべては魔力がゼロなことが原因。 問題は肉体ではなく、魂と魔力にある。 この世界では、生命力と魔力はほぼイコールである。つまり世界中のどんなものにも魔力は宿っているのが当たり前の世界なのだ。 オレにはなぜかその魔力がない。まぁ、“なぜ”なんてことはわかりきっているのだけれど。 そのため体にうまくエネルギーが循環されない。ない魔力を補うように、オレの場合は本来は体力や筋力や脂肪にいくエネルギーのすべてが、命を動かすために消費されてしまう。 それだけのことだ。 つまりこれらの現象は病ではない。 これはあくまでエネルギーの還元が別の方向に向いている余波であって、肉体が弱いとか、病弱というわけではない。 なにせオレは転生の影響で、術やウィルスや毒といったものが効かない体質だ。 そんなオレが病気になるはずないだろう。 ここ数回の転生は人間だった。 その間もこの体質のせいで、まったくといっていいほど病とは縁がなく、風邪さえひかないので、最近では病の辛さがいまいちわからなくなってきてる。 それぐらい健康体で生きていた。 はっきりいって、病で具合がわるくなるひとの気持ちがわからないレベルで健康体だ。 だが、さすがにそれはそれで、ちょっと人間として不味いよなぁとは思うけど。 オレにはどうしようもないことなので、何か手を打つことはできるはずもない。ただ「辛いんだろうな」って、気付いてあげるのがせいぜい。 感覚が分からないくせに他人のそういうことに気付けるのは、たぶん異常なまでの勘の良さと、始と隼のおかげでようやく人並みにすごせるようになったけどオレはほんの数年前までは病院が自室だったから、そのせいだろう。 オレは世界に嫌われてるせいで、魔力もなく、すぐに存在が希薄になる。 存在し続けるために、生命力を消費しないようにと身体は眠り続けることもざらで。 まぁ、激しい運動なんて無理だった。なにせ沢山動くとその分魔力の消費が激しく、つまり生命エネルギーが魔力の代わりに削れていくのだ。 隼のアイディアにより、オレの魂の半分であるロジャーを始にいつも貼り付けておくことで、ロジャーを端末として魔力を始から供給してもらうという手段を今はとっている。 おかげでオレは始から離れても魔力補給に困ることはなく、ひとりでも平気になった。 だが、それを可能としたのはつい最近の話。 隼、ロジャー。そして魔力製造機という世にも珍しい体質を持った始のおかげで、高校に入ってからは病院いらずだった。 とはいえそれもまだ半年もたっていない。所詮、実験期間は継続中なわけだ。 そのせいもあって、数か月おきに魔力測定はかかさずされ、魔力不足を補うための薬を常にもたされる。 『もう、大丈夫だよ?』 そう言っても聞いてくれる者はいない。 わかっては、いるんだ。 それはみんながオレを心配してくれている証拠だって。 大切に思ってくれているのもわかる。 でもね、それが嬉しいやら申し訳けないやらで・・・オレはいつもごちゃっとした気分になる。 ありがとう。 でもね――もう元気なんだよ? わかってる。そんなはずはないってことは。 いつでも“もしも”が有り得てしまう――いまだ不安定な状況であることは。 オレの充電器である始は、完全無敵の睦月君とよく言われるが、始だって普通の人間でしかない。 だからオレにとって人工心臓のかわりである始がいつ魔力を供給できなるか、あるいは病に倒れるか・・・そうなることも想定し、彼らは過保護に磨きをかける。 もう。彼らの諦めない、優しすぎる“そういうところ”、オレ自身は諦めている。 最近ではあまり言い返すことはしない。 ――その日も。 いつも検査の日で、オレは憂鬱になりながら結局いつものように病院にきていた。 プランプランと待合室の椅子で行儀悪く足をゆらしながら、始の検診が終わるのを待っている。 始も一緒なのは、始との魔力バランスをはかるためでもある。 波長が少しでもずれはじめたら、オレは始の魔力を受け付けれなくなり、そこで生存できなくなってしまうから。 それにしてもいつも思うけど、検査服ってすぐに脱げるようにってのは分かるけど寒いよね。 子供用のワンピースみたいなのとは違って、上下にわかれていてしっかりズボンがあるだけましなのかもしれないけど。 あ、安心してください!ちゃんとパンツはいてますから! 病院の建物内部は暖房がきいてはいるけど・・・。 『上着だけでも・・とってきちゃぁだめかな』 はぁーっと思わずため息が出る。 いや、だって夏は冷房が効きすぎてると寒いし、冬は冬で廊下や待合室の寒いこと。 つまるところ、この検査着とやらは年中無休で寒いのだ。 このあと全身撮影や、脳の撮影するからこのままでいないといけないけど。 どうしようかなぁ。 始の検査が終わるのを待っていたいけど、今回は魔力供給を可能にしたことでいつも以上に検査が細かくて時間がかかっている。 少しだけ席を離れても平気だろうか。 その辺をはかりかねていたら。 ふいにパリン!と何かが割れる音が、検査室の方から響く。 続いてボフン!バリンバリンバリンバリンバリン!と何かが連続で割れる音もして、音に驚いて肩をすくめる。 どうやらまた始が、魔力測定器を破壊したようだ。 『あちゃ〜だから振り切れる前に器具を離せて言ったのに』 例年割れる音の激しさが増してる気がする。 音の数からして、前回より始の魔力が大きくなっていのがわかった。 この様子だと始も含め医者もこちらには当分戻ってはこないだろう。 『まったく、機材をいくつ壊したんだか』 オレは検査服をもう一度みおろし、上着を取りにいって、ちょっと休憩でもしようと席を離れることに決めた。 ――それはきっと運命。 カーディガンを羽織って、そのまま戻りたくなくて、なら迷路ごっこをして遠回りをして帰ろうと思った。 迷路ごっこというのはオレが今命名した。ここを迷路と定めるという脳内妄想だ。 本来であれば超直感のあるオレが迷路で迷うことは絶対ない。 けれど迷って出れなくなったという想定で、この病院をふらふらすることにした。 制約があれば従わなければいけない。つまり超直感は無視だ。その方が散歩も楽しみがいがあるでしょう?(笑) 『なら、片手を壁について、進むのがいいよね』 これはいい遊びを思いついたぞ。 これなら直感が囁こうが無視して、壁伝いに進んでいけばいい。 傍にあったからという理由だけで、右手側の壁ではなく左手側の壁を目印に進むことにする。そもそも日本は左通行が主流だ。これならば流と逆流して無理やり進むこともないので、問題ないだろう。 実際にはここは病院なので、モンスターがでてきたり、ダンジョンが突然変化したり隠し通路を発見することもない。看板を見ればすぐに元の場所に戻れるのだから、手をつかずとも進める。 それでもなんだか楽しくなって、鼻歌でも歌いそうな気分で、左の壁が続くがままに進んだ。 「あら弥生くん、検査はいいの?」 『始の魔力がまた暴走したみたいなんで、ただいま迷路ごっこ中です』 「迷路ごっこ?」 『病院(ここ)はオレの中では今ダンジョンなんですよ。なのでオレはこの中を探索しなければいけないんです』 「そう。なら始くんの後始末が終わるころには戻ってきてね」 『はい、わかりました。いってきまーす』 「ふふふ。気を付けて。ラスボスのところで宝箱を見つけたら中身を教えてね」 『了解です』 左へ左へと進んでいたらナースステーションの前を通った。 無断でいなくなるのもどうかと思っていたので、顔見知りの看護師さんに自分の様子を伝えてもらうことにした。 これでもう気兼ねなく散策ができる。 どんどん、どんどん進む。 けれどしばらくすると廊下の壁はあっさり途切れ、外に出てしまった。 ならば同じように左へ左へと外側の壁伝いに歩いていくことにする。 この病院にはもう十年以上通っているけど、そういえば基本的には病室がメインだったし、外に出れるようになるとすぐ病院から脱走か退院をしていたから、建物の裏側は探索していないことに気付く。 うん。オレ、この世界に生まれてどんだけ病院嫌いなんだろうね。脱走って・・・って、いまならいえるよ。もちろん、またいつか病室と縁があるようなことがあれば、大丈夫と診断下った瞬間即“脱走”する予定だけどね!!! それぐらい最近では病院の「び」の字だけでも嫌なんだ! さぁて、嫌な話はこの辺にしておこう。 この先は行き止まりだろうか? それともちゃっかり表にでれるような細い道とかあるのだろうか。 どこまで続くかわからないことに少しだけワクワクする。 そうして進んで、ふと気配があることに気付き足を止めた。 そのときは、ただ中庭にでも出たのかと思った。 けれど、直後超直感が、なにかを訴えた。 “いそげ!”と―― 全速全霊で走れ!と、警鐘に従い体が無意識に動き出す。 超直感の曖昧な指示に戸惑いつつ、なにもわからず焦る心にとっさにふたをして、思考を切り替える。 気配は人のものだった。そして脳裏にひらめく建物の地図と照らし合わせてもこんな人気のない場所に裏庭はなかった。 そう思ったときには、超直感の警鐘の正体がわかっていた。 駆け出して、茂みをつきって――“そこ”にいたひとに「待って!」と声をかけていた。 人が来たことに驚いたのか、そのひとは手にしていたものから手を離すと、すぐに“扉”をしめようとした。 これをしめてしまえば、ロックがかかってあかなくなる。 今、行かなければ失われてしまう。そんなのだめだ!その衝動のままに、すべてが終わってしまう前に、手を伸ばす。 ガッ!と音がして一瞬痛みが腕に走るが構わない。扉が閉まるのを抑えることができた。 慌てて飛び出した勢いで、そのまま抱き着くような体勢になってしまったが構ってるゆとりはない。身をひるがえして逃げようとしたそのひとを離さないように、手をつかんでおさえこむ。 なんとか間に合ったのだとほぉっと肩から力が抜ける。 でも、そう長くは安堵していられない。 “行動”をさまたげられたそのひとが暴れ始めたのだ。 「離してよ!」 『お願い!待って!』 「あなたには関係ないでしょ!!!」 『あるっ!お願い!どうかっ!どうか!!お願いだから!待ってほしい!閉めたらもう会えない!!』 オレが抱き込むようにとらえているからか逃げるのはあきらめたらしくそのひとは、キッ!とオレを睨むと体当たりをするようにオレを押しのけ、そのまま先程の扉へと手を伸ばす。閉めようと必死になる彼女と、しめさせないとするオレのせいで、扉がガタガタと音を立てるが知ったこっちゃない。 そうやってしばらくの押し問答の末、彼女がさきに折れた。 オレの必死さが伝わったらしい。 「諦め悪い」「君もね」そんな会話の後に、「・・・すこしだけなら」と彼女は諦めたようにため息をついた後、開け放たれたままの扉のなかから“それ”をとりだし、だきあげた。 よかった。間に合った! “そこ”は、赤ちゃんポストとシールの貼られた壁の扉。 こうのとりのゆりかご。というやつだ。 この病院の地図や案内所にはその存在は書かれていない。 それでもこの場所のことは、本当に必要とする者たちには伝わるのだ。 もろもろの事情があって、赤ん坊を育てられない。“もてあまし殺してしまう”――そうなる前に救うための場所。 『はぁ〜・・・よかったぁ〜』 短い距離だとしても、久しぶりの全力疾走は結構耐える。しかも激しい押し問答。 おかげで魔力の消費は激しく、ちょっと身体がふらついた。 けど、このくらいなら始の傍にいるロジャー(オレの魂の半分)が補ってくれる。 『怪我はない?その・・オレ、めいいっぱい力をこめちゃったし』 「平気よ。あともないし。思ってたより力はかかってはなかったから・・・・あなたこそ、大丈夫なの?」 『えへへ。だい、じょうぶだよ。ありがとうね』 凄い心配げな声が聞こえてくる。 突然現れて、とめに入った男が、病院の検査着を着て、しかも肩で息をついていたら、そりゃぁ驚くよね。 それに・・・「思ってたよりかかってない」か。 エネルギーがすべて生命維持に回されてしまうから、筋力もなければ、握力にもエネルギーはいかない。きっとオレが全力で押さえても彼女の腕に痣一つ残すことはできないのだろう。 それは男としてどうかとも思うのだけど。そもそも女性にけがを負わせる男になりたいわけじゃないけど! うむ。ちょっと痛いところを突かれた気分になるなぁ。 まぁそのことはこれ以上深く突っ込んでほしくなくて、笑ってごまかした。 オレがとめたそのひとは、オレと同じぐらいの年齢の女の子だった。 まだまだあどけなさが残る顔立ちは、下手をすると学生だろう。 いまはその腕には、淡い髪色の赤ん坊がふわふわのひざかけ(かな?)につつまれ眠っている。 赤ん坊をしばらく眺めつつ、ゆっくり息を整えていく。 それから改めて目の前の彼女を観察すれば、なんだかついさっきまで傍にいた始を彷彿とさせる色が視界に飛び込んできた。 彼女の瞳は、始によく似た紫色をしていた。 馴染んだ色に安心感を覚え、思わずほぉーと息がこぼれでてしまう。 傍に始がいるみたいでちょっとだけ落ち着いた。なんて、口が裂けても言えない。 「どうしてとめたの?」 赤ん坊をあやしながら、彼女がきいてくる。 それに思わず、わらってしまう。 だってその赤ん坊を見た瞬間、有り得ないことに運命を感じたなんて。 そんな有り得ないような事実を聞いてくれるだろうか。 赤ん坊へ視線を向ければ、いまでもこうして超直感が大きく喜びの鐘を鳴らす。 おかげで頭の中が、一瞬、わけのわからない歓喜で機能を停止してしまう。 ああ、なんて幸せな警告だろう。 触りたい。 傍にいたい。 一緒にいたい。 これこそが―― 『本当に、宝箱はあったんだね』 迷宮の終着地には宝箱があるもの。 まさにその通りだったようだ。 病院はダンジョン。赤ちゃんポストは宝箱。赤ん坊は――― その赤ん坊をみたとたん、“会いたかった”って思ったんだ。 「あの・・」 『あ、ごめんね。ちょっとだけ話、できるかな?』 声を掛けられハッと我に返る。 超直感の感覚に身をゆだねすぎて、彼女の質問に答えを返していなかった。 そのことについてもきちんと話すからと、彼女に会話を持ち掛け場所を移動する。 こうのとりのゆりかごは匿名だ。そして捨てた親の顔が映らないような位置で、赤ちゃんの命を守る(病気で苦しんでないかなど判断する)ために監視カメラがついている。 ひらかれたままのそれからへたをすると映ってしまう可能性も危惧したための移動だ。 彼女が絶対に監視カメラに映らない位置に、そっと誘導する。 けれど人目につかないように広場や別の場所に移動するでもなく、この場にはとどまったまま。 彼女のもとから赤ん坊を手放させることを止めようというわけではない。 少しだけ赤ちゃんポストにいれるのを待ってほしいだけ。 彼女が凄い覚悟を持って、ここにきたのは分かりきっていたから。 赤ん坊を置いていく――オレもそれを止めるつもりはないんだ。 『立ち話でごめんね。君も早く、人がこないうちに帰りたいとは思うんだ。でも、ちょっとだけ話を聞いて』 彼女がなぜ赤ん坊を捨てようとするのか。とか。 赤ん坊ができた経緯とか。 赤ん坊の父親がだれか。とか。 本来は聞くべきだろう。普通は気になるものかもしれない。 けど、オレにはそういうのはいらない。 オレに必要なのは――― 『捨てるなら。どうかオレに未来をくれないかな?』 「どういう・・?」 『君がもてあますほどの未来を、オレは物凄くほしいんだ。いますぐにでも』 「もてあます・・・この子のこと?」 『うん。その子をオレにゆずってほしいんだ』 「・・・・」 『自分が生んだ赤ん坊だ。当然、見ず知らずのオレより、目の前の公的機関に頼りたいのは分かる。 でも、まずはオレの話を聞いてほしい。 見てわかる通り、オレはこの病院の患者だ。生まれてからずっと通ってる。あ、今は健康体だよ、いちおうね。 でも健康になってもね、人よりすごく死にやすくてね』 彼女の過去も、赤ん坊の経歴も何も聞いてはいない。 きくきはない。 オレには超直感がある。はっきり言うと、少しそっちに意識を向ければ、それだけで知りたいと思うことの大概のことは“わかってしまう”から。 たとえ彼女がこの子が病気で自分たちには背負いきれないとか、そういう理由で捨てに来たとしても。うん。そういうのもどうでもいいんだ。 そもそも超直感は、赤ん坊は健康体であると告げている。 “そんなこと”より――と超直感がずっと訴えているんだ。 今、この瞬間。この出逢いこそが、もう二度とない廻り合わせだ。 と、赤ん坊の出自や体調うんぬんや、彼女がなぜここにいるか。なんてことより、超直感が“そちら”を重視して叫んでいるんだ。 けっして、この出会いを逃すな。と。 だからオレも必死だった。 この出会いをのがしてなるものかと、オレもこの世界で・・・ 『お願い。オレを、“父親”にしてください!』 本当は ずっと・・・ この世界で生きていていいのだと。 そういう存在意味が、欲しかった。 明確な証がほしかった。 その子を育てれば。 その子から愛情を返してもらえれば・・・ そうしたら本当にオレはこの世界に認められるような気がして。 だから、彼女と赤ん坊の事情などそっちのけで、オレも理由や詳細さえはぶいて、彼女に頭を下げていた。 どうか、このあやふやな存在のオレをみて。 人に忘れられてしまうような希薄なオレでも。 しっかりとオレ自身をみていてほしい。ここにオレが今存在していると。 みてほしい。 いま目の前にいる彼女にも認識してもらいたい。 この瞬間だけでもオレを認めてもらうために――。 その目で、しっかりやきつけてくれ。 赤ん坊を抱く彼女の腕に、ギュッと力がこもる。 そうしてオレをみてほしい。みて、認めてほしい―――赤ん坊の父親にふさわしいか。 だから聞いてもらった。オレのこと。 彼女の事情は聞かない。そのかわり、オレのことを聞いてもらった。 今はもう大丈夫なのも、健康体なのも、ぜんぶ本当のこと。 遠隔魔力供給の実験は成功している。このままいけば始が元気でいる間は、きっとオレも生きていける。 けれど、もし始が病気になったら? 一番に影響を受けるのは、魔力供給を受けているオレだ。 始とオレは一蓮托生。 始がいないと生きていけない。 けれどもし、始とは全く関係ないところで、この繋がりが途切れてしまったら――オレはきっと死ぬのだろう。 誰の記憶にも残らず。 オレという存在は、なんてもろいんだろう。 オレは・・・・ 『オレにはこどもはできないよ。こどもを作れないんだ』 「・・・」 『それに、ほらオレは男だから、作れないならうめばいいとかいうのも無理でね(苦笑)』 好きな子がこの世界にいないから、彼女をつくりたくない。結婚したくない。というのもある。 実はそれ以外にもあって、この魔力がない体質が、子供に引き継がれる可能性もあったからだ。 引き継がれることはない。と断言できるけど、100%じゃないから遺伝子がどうといわれると強くそれを否定できないんだ。 そして、もし子供ができたとして、1%未満の確立があたってしまって、このおかしな体質が遺伝してしまった場合――その子は、オレと同じように波長の合うひとと出会えるだろうか? そもそも始のように自分以外の人の分の魔力もおぎなえるだけの力を持つ人なんて、現実問題いないのだ。 なにより 『ダメ、なんだって・・・。オレが子どもつくったら、オレが死んじゃうって言われてね』 まったく。病弱な母体のように扱わないでほしいよね。 オレは産む方じゃないのに。こどもを辛い思いして産むのは、女性の方なのにねぇ。 『それでもダメだって言われててね』 赤ん坊はオレの命を奪う。 隼と医者はそう言う。 オレが魔力を誰かに分け与えることは、オレには死を意味する。 子どもなんて、自分の分身を作るようなもの。そんな行為をしたら、ロジャーの補助でさえ保たないときつく言われてる。 ロジャーを端末として始に張り付かせる――その方法が確立されるまでは、生きたくても、半分以上人生も未来も諦めていた。 ほんの、数分前だって。 そうはみせないようにしてたけど、いつも不安とあきらめは心のどこかにあった。 超直感があっても。 未来なんか今でも見えてはいない。 将来のことや未来の話をキラキラ顔を輝かせて話す人たちを見ると、羨ましくて、怖くなって・・・・つい、うつむいてしまっていた。 最近ではうつむくまではしないものの、それでも情けない顔でしか笑えない。 そういう時は「誰かが口にするような定番の夢」をさも自分の本心であるかのように語って、周りに会話を合わせるしかできない。 未来なんてものは“憧れでしかないもの”で、オレには想像することもできないものになり果ててしまったのだ。 ついさっきまでのオレにとっての未来はそういうものだった。 「・・・さっき、未来って」 『うん。実はオレは生きたいとは思ってなかったんだ。ついさっきまでは。 ちょっとマイナス思考だったんだ。 支えてくれる家族や友達はいるんだよ。でもね。すぐ死ぬとわかっているとき、そう簡単に前向きなんかになれるはずもなくてね』 『その子を、オレにください!絶対に幸せにするよ』 「・・・でも」 『こどもができたら、オレも顔をあげて、まだまだ生きたいって思えると思うんだ。だってその子の未来を見たいし。オレもその子の横を一緒に歩きたい。一緒に歩くってことは、ずっとずっと生きていたいって思えることだから。 だから』 その未来は、オレの未来でもあり、“君の腕の中”の未来でもある。 腕の中――それは彼女の腕の中にいる赤ん坊の未来であり、同時に彼女自身の(赤ん坊のいない先にある)未来でもある。 『君の腕の中にあるのは、オレにとって“たくさんの未来”なんだ』 今の彼女には、オレの言葉の意味は半分ぐらいしか理解できないかもしれない。 こんな言葉では、オレだけの未来のはなしをしているようだけど、そうじゃない。 赤ん坊も彼女もオレも。そしてオレたちに関わり感情を向けてくる周囲の人たちの未来もすべて含むんだ。 「・・・・本当は、ちゃんとした場所にあずけるべきなのは、わかってるの」 『うん』 「でも、そこでこの子が幸せになれるとは保証できないのが不安だった。・・・でも貴方なら。ねぇ、貴方はこの子を最期まで幸せにしてくれる?」 『もちろん!オレの命を懸けて』 「うん。なら、貴方がこの子を育てて」 認められた。 「あまりに貴方が力説するから」「私の負けだと思わざるを得なかった」負けちゃった。と、彼女は笑うと、腕の中の赤ん坊をそっとなでる。 その様子を見て、ああ、やはり彼女は母親なんだなって思えて、そんな彼女に対してオレは見ず知らずの通りすがりの貧弱な通行人なわけで。 きっとそんなオレなんかに大切な宝物を渡すのは嫌だろう。不安でしかないだろう。 それでも彼女が「あなたなら任せられるから」と信頼を返してくれたのが嬉しかった。 『うん!うん!!幸せにする!』 「この子がいたらあなたも幸せになれるんでしょ?」 『うん・・・ぐす、あの・・ぐすぐす・・・ありがとう』 「なんで貴方がなくのよ」 嬉しくて。 この出会いに。 この縁が繋がったことに。 未来を夢見てもいいのだと、生きていいのだと、そう、言われたようで。 思わず涙がこぼれおちた。 オレが泣くから、彼女は笑ってティシュをくれた。 ああ、そういえばオレっていまなにも持ってないや。カーディガン一枚だし。 嬉し涙は、結局しばらくとまらなかった。 「じゃぁこの子を」 『その前にこの後どうするかなんだけど』 「?」 あ、もちろん正規の手続きもちゃんとするし、彼女を困らせるようなまねはしないつもりだよ。 そのあたりもきちんと説明しないとね。 うっかりうっかり。 うーん。でもそうなるといろいろ手段があるけれど、正解なのは何だろうなぁ。 法的におかしくない養子にする方法・・・ でも説得するために手段の説明っているよね? 「ねえ」 『ん?』 どう説明しようか悩んでいたら、赤ん坊をそっとゆらしてリズムをとっていた彼女が、おそるおそるに口を開いた。 「今更だけど。あなたは、この子と未来を望んで、それでどうするの?みてわかるけど私は高校生だからお金ないし。貴方だって同じくらいでしょう?」 『望み?そうだなぁ、手続きの申請だけちょっと手伝ってほしい。かな』 「!?」 『あ、君が考えてるのはちょっと違うよ。育てるのもお金も。君は関与しなくていい。オレ、がんばっちゃうし。両親もオレがずっと子供ほしいって言ってたの知ってるから大丈夫。 そういうのは気にしないで。母子手帳に父親も母親の欄にもこのまま名前をかかなくていいから。 そうじゃなくて、もしこの子が将来ドナーがいるほどの大きな病気をしたとき、その保証がほしい。ドナーにれる血縁関係がある。そのことだけを覚えておいてほしい。それだけでいい。 そうなったときだけ、君にわかるようにオレがどうにしかしてメッセージを送るから。 あとは・・・将来結婚した相手やこどもに、兄弟がいるって―――』 そこまでオレが言ったとたん、そこまでの未来予想図は想像さえしていなかったのだろう。彼女ははハッとしたような顔をすると、うつむいて、抱きしめていた赤ん坊の布をぎゅっとつかむ。 何かを耐えるようなその仕草に、彼女の緊張を解くようにそっと手を包み込むようにして、そこから力を抜かすおまじない(言葉)をかける。 『別に教えなくていいからね』 「え?」 顔をあげた彼女を落ち着かせようと笑いかける。 大丈夫。 君が悪いようにはしないから。 オレは君の味方だと、その気持ちが伝わるように、極力彼女と赤ん坊の包まれたおくるみを優しくなで、しばらくしてからそっと手を離す。 『だってオレたちは他人。オレたちは一度も会ったことはない。会ったことないんだから、ここで会話もしてないんだよ』 「それって」 『オレがきたときには【人はいなかった】。ただし【人影が走っていくのを見た】。 そんなオレが目撃したのは、“ポストの中ではなくその傍に置かれていた【赤ん坊だけ】”だ。 きっとポストに入れようとした人が、誰かがくるのを察知して慌ててしまったんだろうね』 “そういう筋書”を二人で貫くのだ。 これなら、他のこうのとりのゆりかごにいれられた子どもたち同様に、親の名前も戸籍もわからないままに――それでも生きることを許される。 『だめならオレと一緒にきて! もっと正規の手順をたどる。たとえばこれをやると、この赤ちゃんポストの特権である匿名性は完全に失われるし、どこまで法が適用されるかわからないけど、策はある。 【この子は君が前に付き合ってたやつの子供、でもオレといまつきあっていて、オレのこどもにしたい】そういう設定で、どうどうと正面からいこう! 結婚している場合だと、ある一定の期間の間に生まれた前の相手の子供は今の相手の戸籍に入れることができないけど。運がいいことにそもそもオレも君も結婚前だ。もしかすると法をかいくぐることができるかもしれない』 「あはは、おかしい。なにその茶番。お互い名前も知らないのに?」 『茶番だけど。この子のためならどんな茶番でもまじめに演じるよ! 二つ目の設定でいくなら、設定はこう――オレたちは結婚する気はある。親も認めてくれている。でも日中は家には誰もいない。学生だからどうしても家で面倒を見れない。しばらくあずかってほしい。って理由で、育児施設にあずけるんだ。孤児院とか乳児院とかどこに連れていけばいいのかわからないから、その辺はもうちょっと調べないといけないけど。 君もある程度は調べてると思うからわかるけど、こうのとりのゆりかごというのは、事件性がなければ赤ちゃんは児童相談所の判断により乳児院へ移される。 さっき言った正面から行く手順を踏めば、まったく事件性がないアピールにもなるから、乳児院へいれてくれるかもしれない。もちろんすぐにオレが引き取れるようになったら、君とは別れることになって赤ん坊はオレが引き受けたことにすればいい』 さすがのオレでも育児施設などはいままで縁がなかったから、そのあたりの法律や施設などの詳細は分からない。 この世界では法律で“結婚前の男女”の間に生まれた子供のあつかいはどうなっているのか。 少しばかりあいまいすぎるプランだけど、もう少し調べたらうまくいく気がするんだけど。どうだろうね。 他のファンタジー色が強い異世界だったら、結婚ウンヌン期間ウンヌンで戸籍ができないとかそんなややこしい法律なかったんだけどなぁ。やれやれだ。 でもたぶんうまくいかなくても、オレのことをよく知っている睦月家や霜月家がいろいろ手を回してくれそうな気もするんだよね。 こういうときは、身近の頼れる友人がいてよかったと本当に思う。 オレの説明に彼女は一度腕の中の赤ん坊の様子を見ると、何かを考えるような仕草をし、少し考えたあとに・・・・オレの提案をのんでくれた。 「なら―――・・・・番目の選択肢を」 そうして赤ん坊は、正式にオレが引き取ることに決まった。 方法は、まぁ、また今度機会があったときに話すとしようかな。 彼女が選んだ手順。それをさらに細かく話し合い、それから今後のこと、赤ん坊の話を少しした。 『もしこの子が本当の親に会いたいと言ったらどうする?』 オレは君の意思を尊重するよ。 そう思いを込めて笑い返す。 「一度だけ、ね。・・それなら会ってもいいわ」 『うん』 「いまは子供を育てるとか無理だし、この先がどうなるかなんてわからないけど・・・その頃には私も別に家族がいるかもしれない。それでもいい?」 『オレの未来は、他人が支えてくれないと成り立たないけど。君の未来は君自身で選んでいいんだよ。誰の手もない自分だけの意思でつかみ取っていいんだ。 その選んだ選択肢をみて、その子が傷つくような育て方をするつもりはないよ。むしろ喜んで背を押してくれるような子にして見せる。 君に別の家族がいても。そっちが羨ましいと思うことがないように。 「君と暮らしたい」なぁ〜んて言わせないぐらい、大切に育てるよ。 ふふ。こうみえても花さんは、妹もいるし、意外と子育て経験は豊富なのですよ(笑)』 「そう。それならいいわ。私も・・今はこの子をうまく想えないけど。大きくなったこの子に、興味がないわけではないから」 「ねぇ・・・貴方、“はな”っていうの?」 『花が咲き乱れる春に生まれたから、草冠に化けるで花。弥生花、だよ』 「綺麗な名前・・・私は・・・名乗った方がいい?」 『オレは必要ないと思うんだけどね』 「・・・それでいいなら、助かる」 なにせ、ここは赤ちゃんポストの前だ。 赤ちゃんポストは匿名のルールがある。そんな場所で名を訪ねるのはルール違反だろう。 自ら名乗るのはともかく(笑) ん?オレは名乗ってるって? ふふ。オレはいいんだよ。 ほら、超直感があるしね。 でも彼女はオレを勘では探し当てられない。 だから告げた。 それはきっと、いつかどこか。遠い未来での「出逢い」のための、細い細い―――縁。 たとえそれが“再会”と言うことができないものでも。 『ねぇ、生まれたのはいつ?』 「昨日。一日かけて、電車を乗り継いでここまできたの」 それからオレと彼女は、たった一つの約束をした。 オレからは、大切に育てること。 彼女は、オレの名前を忘れないことを。 弥生花――それだけが、彼女をこの子へ導くチケットとなる。 なにせその赤ん坊には、まだ名前もないのだから。 『ありがとう。オレに未来(希望)をくれて』 「・・・私も」 『ん?』 「この子がいたら、このまま学校に通い続けることはできなかったし、親にもばれちゃうところだった。だから私も花くんに未来をもらった・・・ことになるのかな」 『この子は、オレと君の未来でもある』 「・・いまなら、その意味も少しわかる気がする」 「どうか幸せに」 『まかせて。この子はしっかりオレが育てるよ』 「お願いね・・でも、幸せになるのはこの子だけじゃなくて、花くんもちゃんと幸せになってよね」 『!?・・・ふふ、そうだね。オレも、生きなきゃね』 「当然でしょ」 『うん。オレもこの子も。そして君も。 三人でちゃんと未来をつかもう。たとえ別々の道をすすもうと』 この瞬間、オレは生涯をかけてもいいと思える出逢いをしたのだ。 ああ、これがそうなのだとおもった。 これぞ運命にちがいない。 魔女は運命などこの世には存在せず、すべての物事は必然だといつも言っていたが、 たまにはこんな衝撃的な胸のトキメキに運命という名を与えてもいいんじゃないかと思えた。 それほどに・・・ この出会いにオレは感謝したのだ。 その子から手を離した彼女にかわって赤ん坊を受け取りれば、オレはこの子の父親になる。 「約束してね」 『約束はかならず』 さぁ、赤ん坊が眠っているうちに、ひきとろう・・・ かとおもいきや、「う〜」と声をあげるなり、赤ん坊は大きな声で泣き出した。 それはもはやお別れのあいさつなんて生易しいものではなく、なんだか彼女の新しい門出を祝うように、その背を押すように元気いっぱいで。 生まれたばかりのその子は、母親の腕の中でまるで命を削るように必死にないていた。 けれどその小さな手を彼女に延ばすことはなく赤ん坊はただた声をあげていた。 その声に引き寄せられ人が来てしまうかもしれない。 慌てた彼女がさっとオレに赤ん坊を手渡してきて、瞬間「ぶーあー!う!」となきごえがとまった。 二人して思わず顔を見合わせてしまう。 どうやら別れがさみしくて泣いたわけではなかったようだ。 オレの腕の中にうつってきた赤ん坊を見れば、しわくちゃの顔がさらにくしゃりとなっていて―― 本来であればまだ目もあかないだろうに、かすかにうすい瞼をひらいて笑っていた。 そこにあったのは、彼女と同じ色の宝石がきらりと涙でかがやいていた。 「もしかして、わかっているの?」 『きっとお母さんを元気づけようとしてるんじゃないかな』 きゃぁと嬉しげな声があがり、その手が見えていないだろうに、覗いている彼女にのびる。 彼女は一瞬を息を詰まらせ、その目に涙を浮かべながら、そっと赤ん坊の握られたままの手をとるが、すぐにその手を離し顔をあげ、まっすぐにこちらをみてきた。 「ありがとう」 彼女はそれだけ言うと、もう振り返らなかった。 彼女は人が来る前にと、人通りの少ない道を走って去っていく。 その後ろ姿を見送り、オレは腕の中の赤ん坊をみやり、よしよしと体を揺らしてあやしてやれば、赤ん坊は見えてないくせに嬉しそうにわらった。 ――その子と出会ったのは、その子が生まれてすぐのこと。 オレの腕に来る前のその子は、すごく元気よく泣いて、それでも笑っていた。 もしかすると君は何も考えてなかったかもしれないね。 今は考えていたかもしれないけど、大きくなるときっと忘れてしまうかもしれないね。 『ああ、そうだ。・・な、まえ、きめなきゃ、ね』 オレのゆすり具合が気に入ったのか、赤ん坊はさっきの大声は何だったのかきゃらきゃら「あぶー」と笑い声をあげている。 腕の中に温かいぬくもりがある。 ある。のだけれど・・・ 『・・・ごめ・・もう、むり・・・・・』 眩暈がして、体をささえてられなくて身体が傾く。 “こういうことか”って思ったよね!!! 周囲がオレに子供をつくるな。触るな。っといった意味がいまならわかる。 生まれたての赤ん坊って、魔力があまりないみたい。というか凄く不安定なんだ。 たぶんまだ自分では魔力を作成できない。 その分を母親や食事から魔力をゆっくり吸収することで、体内魔力を増やしていき、そうして空気に漂う力にゆっくり身体を馴染ませていくものなんだろう。 だから生まれたての赤ん坊は、色んなものに対しての抵抗力がない。 つまり、生まれたての赤ん坊は、物凄く魔力を吸う。 だけどここにはそのエネルギーを補佐する母親も食料もなにもない。 そのせいで抱っこをした瞬間から、ものすごい勢いでオレのなかの何かがごっそりと減っていく感覚に見舞われていた。 魔力不足は赤ん坊の母親たる彼女の姿が見えなくなるまでは、なんとか耐えられた。 けれどいまだ赤ん坊から吸い続けられているのはかわりはない。 頑張ったけど、もう身体には力が入らない。 力がぬけていく足ではふんばることなんてできなくて、立っているのも限界で、視界もぼんやりとぐらついている。 そのまま倒れそうになったけど、腕の中には赤ん坊がいる。なんとか先に赤ん坊だけでも安全な場所にと思う。しかし、それより先に、力が入らない足がガクリと折れる。 とっさに赤ん坊をかばうようにして、背中からその場にくずれおちる。 『・・・っ』 肩を打った。 その痛みはあるけど、これからくる痛みに比べればこんな青痣ができていそうな痛みぐらいたいしたことはない。 赤ん坊は無事だ。 『はぁ・・はぁ・・・もう・・・元気、だなぁ・・・』 地面に転がっても腕の中の赤ん坊は無傷で、いまだに元気よく笑っている。 何がそんなに楽しいんだか。 生まれたてだからか。赤ん坊はあいかわらずおかしいぐらいの魔力を消費し続けては、その都度オレの身体がズンと重さを増す。 『ッ!・・・ぐ・・・』 肺からゴホリと空気だけの塊がこぼれ落ちる。 思わずむせて咳き込むが、何か出るわけでもなく喉と肺が痛くなっただけだ。 この体の魔力はもはや底をつきかけている。 あまりに魔力が不足すると、オレの場合はその分のエネルギーをよこせとばかりに今度は魂が削れていく。それはとんでもない苦痛を伴うもので。 出来ればそうはならないでほしい。 けれどもはやそれも時間の問題だ。 これが新しい命を生かすということだ。 それだけのエネルギーを赤ん坊は消費しているのだ。 地面に転がったまま息を吸おうとするが、過呼吸のように息は荒く出るばかり。 限界の近い体からは、もはや力が入らなくて、赤ん坊をくるんでいた布ごと引き寄せた気もするが、感覚がわからなくて本当に手繰り寄せられたかわからない。 ああ、ここが地面でよかった。 赤ん坊をこれ以上落とす心配だけはない。 そのまま無茶を承知で、それでも赤ん坊を抱きしめ返そうとしたが、手をもちあげることもままならなくて。 ようやく普通になれたと思ったのに。 ようやくみんなと一緒にいられるようになったのに。 ようやく・・・ またあの恐ろしい感覚が、すぐそばまで迫っているのに泣きそうになる。 もう、自分がちゃんと息をしているのかもよくわからなかった。 じわりじわりと減っていくなにかにともない、細胞が消えていくような、体の芯からの痛みがじわじわときて、 そのせいでいつもより心臓へ行く脈が速くなり冷たくなってきた指先が無意識に心臓を服の上から抑え込む。 しっかりしろオレの体! まだだよ。 だめだよ。 だって、彼女と約束したんだ。 約束したばかりなんだ。 なのに―― ドクンとひときわ大きく心臓が大きな音を立てたとき 「あぁぁぁぁぁ!!!!」 いままで笑っていた赤ん坊が、大きな声で泣き始めた。 すぐそばで泣いているはずなのに、遠くに聞こえる。 でもオレのかわりとばかりに大きな声で泣いている赤ん坊をみたら、少しだけ意識がしっかりしてきた。 まだ、大丈夫。 嫌な汗はあふれてくるし、痛みがひろがってきているせいで心臓の音はうるさいぐらい早いし、無理やり起き上がらせた身体は震えが収まらない。指先はじわりと痛みが熱となってひろがっていて。 それでも赤ん坊を冷やしてはいけないと、布の塊っぽいものに近づこうとして。 ぼやけた視界は、酸素不足によるものか、それとも痛みか、涙のせいか。 耳にはただ自分の荒い息だけが響いてるなか、視界が白く塗りつぶされていくのを必死で這ってすすんで、手になにかが触れたというところで、もう起き上がれなくて―― 「はなぁっ!!!!」 『ハァハァハァ・・・ぅ・・・はじ・・め・・・』 ノイズばかりの耳に、色を映さなくなった目に、唯一その声と鮮やかな紫が視界に留まる。 ああ、よかった。 これで。 これ、で・・ 彼女との約束を果たせる。 * * * * * 次に目を覚ました時。 そこはツンとした薬品のにおいが染み込んだ白い部屋だった。 薬のにおいは・・・居心地が、悪い。 どうやらあの後、病室に運ばれて、そのままベッドの上で寝ていたようだ。 見慣れた白い天井をみて、眉をしかめてしまう。 見慣れたこの白い世界は背筋に悪寒が走るのをとめられない。 天井も壁も、かけ布団も敷布団も、頭を置いているマクラだって、食器だって、自分の寝ている場所を囲むカーテンも、窓からの風でゆれるカーテンだって・・・なんだか吐き気がしそうな白さだ。 あの子はどうなった? 迎えに行けないまま? 約束も果たせない? ああ、それよりも問題があった。 あれから何日たったんだろう? また・・・誰かのなかからオレは消えてしまっただろうか。 高校に入る前までは何度も何度も消えかけて。 何度も・・・ 何十回、もう数えきれないほど・・・誰かの記憶からオレは消えてしまった。 これでは、約束したはずの彼女も覚えてないかもしれない。 ああ、あの子もきっと今頃は別の人の腕の中にいるのだろうか――― 自分の考えがいつになくマイナス思考だ。 それはきっとあんな素敵な宝物をみつけて、それを手に入れて心が高揚したそのあとだから。 『っ』 何かを確認するなんて頭は働かなくて、目の前を覆いつくこの白さがすべて悪いと、そのまま布団を頭かぶる。 腕に刺さった2種類の点滴が邪魔をしたが、布団をあげるのには問題ない。 そうして目も耳をふさげば、これは夢だったと、それで終わらないだろうか。 ふいにベットをおおっていたカーテンがひかれる音がする。 誰かが来たということは、その誰かにはオレの存在は忘れられていないのだろうけど。 顔をあげる気にはならなかった。 だってその人物に「あんた誰だ」なんて言われたら。 ああ、限界だ。 もう泣いてしまいそうだ。 そう思って布団にもぐったままでいたが、ふと、なんだか本当に耳をふさいでしまいたくなるような不協和音が聞こえてきた。 一応ここは病室で、なんでこんなへんてこな音が聞こえるのかなと思って、そぉっと布団の隙間からそちらを見やれば、オレが横になっているベッドの傍に始と隼の姿があった。 ただし始は隼の頭をおもいっきりしめている最中で、不協和音だと思ったのは継続的に響き続けている隼の悲鳴だった。 なにがどうしてそうなったんだ。 その周囲をキラキラと青い光を纏いながら黒い蝶が飛んでいる。 なに?ロジャーさん、隼をかばってるの?それとも始を応援してるの? どっちでもいいけど、ロジャーも始も元気そう。 よかった。 なによりここいるということは、ふたりにはオレの影響はあまりなかったようだとわかる。それだけで少しだけ気分が上昇した。 とりあえずだるい体に鞭打って、ひょこっと布団をずらして顔を出す。 声をかけずとも目的の物はしっかり見えるようになったので、そのまましばらくボォーっと二人のやりとりを見ていたけど、ふいにバチリと隼と視線が合う。 瞬間、隼は目を大きくひらき、嬉しそうにパァ!と笑顔を浮かべると 「は、はははなったぁ!!!あたたたたた!あ!はじめぇ!だっ!あ!いたたたたた!いやきいていよ!みて!あ!い!いだだだだだだだあだあ」 「笑う余裕があるとは。まーだ懲りてないのかお前は!あれほどいつも言葉を濁すなと言ってたのに、おかげで今回どれだけ大変だったか」 「そ、それはわるかったと!いっ!?いだだだだ!」 「反省が足りないな」 「ち、ちが!いっだー!!!あっち!あっちみて!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁあぁあぁ!!!あ、あたまが!!わ、われ・・・・」 「あっち?」 いつもの隼なら「始が僕を見てる!!」とか騒ぐからか、「花が目を覚ましたよ!」と言いたかったのだろう「は」の羅列は始に笑い声と勘違いされ、可哀そうなことにさらにきつめのアイアンクローをかけられ、それによって言葉を封じられていた。 それでも隼は涙を目にためつつ、懸命にオレがいるベッドをみるようにと指さしたりと行動で示した。 これによりようやくオレが目を覚ましてるのに始も気付いたらしい。 始と視線が合うと、あからさまにホッとしたように彼は息をついた。 「花・・・起きたか」 『うん。おはよう始・・・っと』 「ああ、安心しろ花。隼なら責任とらせようと、今、しめていたところだ」 いい笑顔ありがとうございます? いや、それはわかるけど。そろそろ頭にこめた腕の力緩めてあげた方がいいような。ほら、だって近所迷惑になっちゃいそうだし、悲鳴が大きすぎて。 あ、なんか隼からSOSとばかりにウルウルとした視線が向けられてるけど・・・ うん、そうだね。 『もっとやって始( *´艸`)』 「そ、そんなっ!?Σ(゚Д゚)」 「ああ、もちろんだとも(*´v`*)」 そこからもう一度だけ隼の絶叫が病室に響いたのは、言うまでもない。 薬のにおいの染みついた白い病室。 右腕にツナ会ったチューブはたぶん栄養剤。 反対の腕につながったチューブから、色がない気がするのに沢山の色が混ざっているようにも見える不思議な色をした淡く光る液体が入った点滴がポタリとおちては、光の雫となってチューブをとおっていく。 よくある魔力増強剤だ。 この世界ではたまに熱中症のように身体的に弱った者も魔力が減るとかで、体力回復時に治療と同時にこの魔力増強剤を与えられる。 水滴はすぐに気化というか、光に還元される。本当に不思議な物質だと思う。 その薬が光に変換されていく音を聞きながら、ベッドの上に上半身だけ起こせば、換気のために開けられた窓から冷たい風が入り込む。 外をのぞけば、冷たい風が吹く中を外で遊ぶ子供たちの姿が目に留まる。 少しでも羨ましいという気持ちが伝わってしまったのか、ベッド脇で騒いでいた隼が始の腕から逃れて抱き着いてきた。 「たすけて花!う、ううぅ・・・ひ、ひどいめにあったよぉ!」 『大丈夫、隼?あたま変形しちゃった?』 「してるかもしれない!?みてよ花!僕のキューティクルな頭は無事かい!?」 『いいこいいこ。うーん、髪が乱れてるけど大丈夫みたいだね。始も手加減を覚えたのかな』 よしよしと綺麗な隼の髪をなでつつ、始を見やればぶすっとした表情をしていておかしくなって笑ってしまう。 怖いと思うような白い部屋でも、彼らといるなら大丈夫。 もう少ししたら、退院してもいいという。 始はオレが目を覚ますまで、毎日のように魔力をくれにきてくれていたのだときいた。 『起こしてくれて、ありがとう』 これだけは伝えたくて。魔力をくれようと伸ばされたその手を自分からとって、「もう怖くないよ」とその気持ちを言葉にする。 いつも目覚めないことの不安を抱えて目を閉じるのだ。 今回もこうやって起きてこれたのは、この暖かな手が導いてくれたからだろう。 オレのための行動だと思っていたけど、後半からはただ甘やかしてほしかっただけらしい隼が、始によってひっぺはがされる。 真面目な話だ。と始が一言おいた。 チラリと始が隼を促せば、隼が少し申し訳なさげに声をかけてくる。 「説明しなかった僕も悪かったけど・・・」 「ねぇ、花。どうしてあんな危険なまねをしたんだい?君なら、すぐに“やってはいけないこと”も察せられたでしょうに」 「自分の命がやばいことぐらいすぐ分かっただろう。赤ん坊なんてとっとと離せばあんなことにはならなかった」 ああ、やはりその話か。 でもね。 どうしようもないほどの瞬間ってたまにないかい? 心臓がはねて、頭が真っ白になるほどの衝撃。超直感さえ歓喜以外の警告を忘れてしまうほどに、そんな抑えきれないほどの衝動に見舞われたんだ。 手放してたまるかって思えてしまってね。 それに、ふふ。だって――迷宮の奥にあった宝物は持って帰るものでしょう? つまりさ 『運命を感じたんだ』 『そうしたら手に入れたくなちゃって。絶対に手放したくなくなっちゃったんだ』 「うーん、あまり良いとは言えない判断だったけどね。君自身のためにもできるならもう少しだけ早く手を離してほしかったかな」 「きかなくともなんとなくわかるが、なんの運命だ?」 『そりゃぁね』 「運命、ね。物事はみんな必然だと豪語する君が・・・・・いい、出会いだったってことだね」 『そうだね。だって“そう”思ったんだよ』 『オレの残りの寿命をかけるだけの運命・・・を( *´艸`)』 腕の中に暖かな温もりが収まった瞬間、暗くて怖いだけの未来に光が差したんだ。 それが凍える世界からようやく抜け出せたみたいで。 そんな感覚――もう手放せないよね。 オレはあの子と出会えて、嬉しかったんだよ。 でもオレの身を案じてくれる大切な友人たちは、今日あったばかりの見知らぬ赤ん坊よりもオレのことを気にしてくれる。 だから赤ん坊を“なんか”と言い捨ててしまえる。 ふいに眉間にしわを寄せていた始が、何かを言おうとして言いよどむ。 その言葉を口にするのをためらうかのように。 察してしまう。 その言葉を言わない限り、始はきっとあの子を認めてはくれないのだと。 「大丈夫だから」そういう意図を込めて笑顔で、始を促した。 そんなオレに始は苦虫を百匹でもかみしめたような顔をして、さらに口を堅く閉じてしまう。 隼が心配そうに始を見ている。 オレは“次にくる言葉がなんとなくわかる”から、泣くのをこらえるのに必死で、それでも「言って」と笑って見せる。 始はさらに皺をよせて、あげく無表情になると、怒ったように。 ゆっくりと口を開いた。 紡がれた言葉は―― 「・・・あと、何年だ?」 とてもこたえた。 それはオレの命の刻限。 そういう言葉が来るだろうとは超直感が悟ってはいたけれど、実際音として世界に零れ落ちると、その衝撃は計り知れない。 こんな胸が詰まるような思いはいらないのに。 年数を聞かれると、困ってしまう。 改善策が実をむすび、ようやくひとりで自由に動けるようになった身。 けれど、いつなにがあってもおかしくない。 今回のように。 この世界では、そんな明日もわからない不安がいつも付きまとう。 でもオレだって生きていきたい。 いや、生きなきゃいけない理由ができた。 もっともっと・・・ もっと生きて生きていたいから。 あの子と未来を見たいんだ。 あの子の未来も見たい。 ああ、どんどんやりたいことが浮かんでくる。 こんなに生きることに貪欲になれる日が来るとは思わなかった。 だからこそだ。 明確な日数など応えることはできなかった。 だってそれを告げてしまったら、それが本当になってしまいそうで・・・ 拒否することも断定する言葉もこの口から言うことはできない。 でもあの子と一緒にいたい。 この言葉に答えを返さないと、始はきっとあの子と生きることを許してはくれない。 不安材料を残してああん坊を引き取ることなんか無理だ。 きっと少ない明確な日数を言ったなら、すぐにでも始は赤ん坊をオレから引き離すのだろう。なにがあっても。 そんな始の言葉も始の行動も、すべてがオレのためというのはわかる。 だから、真実を伝える。 真実であるけれど、これは同時に願望だとわかっている。 それでも言わずにはいられない。 もしも神がいるなら、どうかこれから言う言葉をゆるしてください。 たとえそれが君に、 始に すべてを押し付けるものだとしても――― 『始が元気な間は、ずっと』 〜 side 睦月 始 〜 「左手に進んでいきましたよ」 魔力測定の検査の最中に機材を壊してしまい、それの片づけをしている間に、花がいなくなっていた。 どこに行ったのだろうと少しうろつけば、すぐにあいつの手掛かりを知る看護師が笑いながら花が向かった方向を教えてくれた。 「あいつはなにをしてるんだ?向こうは――っ!?」 外じゃないか。 その言葉がでることはなく、かわりにでたのは息。 突然体から力が奪われる感覚に、肺が一瞬息の仕方さえ忘れてしまったためだ。それはあまりに突然すぎて、対処するなんてできずに思わず膝をつく。 数回咳こみ、深呼吸を繰り返せば、すぐに調子は戻ってきた。 「ぐっ!・・ハァ、ハァッ・・なんだ、いまのは」 ナースステーションからは見えない位置でよかったと思う。 そうでなければ今頃大事になっていただろう。 こんな感覚は今まで一度も覚えはないが、膨大な魔力が一気に消費されたのは分かった。 自分の身体に異常はない。 自分にかかった負荷の分の魔力は取り戻したのか、俺はすでにいつもどおりだ。 先程息が詰まってしまったのはとっさのことだったせいだろう。なにせだるさも不快感も本当にもう感じないのだから。 ただ確実に“自分の魔力がどこかへもっていかれた”という感覚だけが気持ちの悪さとして残る。 俺自身に違和感はないのに、魔力が消費された何とも言い難い感覚――察するに、人間二人分は余裕で補える俺にまで影響がでるほど花が魔力を消費したと考えるのが妥当だろう。 一人分はいまだに俺の中に残っていること、俺の魔力の性質が増え続ける力というものゆえに、俺には違和感がないのだ。 魔力と言ったら、花だが。 だが、花が消費して、無事でいられるはずがない。 「チッ!」 今もまだ魔力が消費され続けてる気配に思わず舌打ちがこぼれる。 下手をしたら、俺まで体に影響がでかねない。 そんなことになったら花は・・・ 本当にあいつはなにをしているんだ!? 看護師は左へ向かったといっていた。なら、このままあいつは外にでたのだろう。 壁に沿うように走っていけば、すぐに建物の裏手に出る。 そこまできたところで、誰かの声がきこえた。 それは存在を主張するように大きく、そこで俺はこの先に“あるもの”の正体に思い当った。 赤ちゃんポストというやつだろう。声は泣き声だ。そこに捨てられた赤ん坊が声の主に違いない。 声を導に邪魔をする茂みをおしのければ、すぐに花はみつかった。 「はなぁっ!!!!」 かけつけ、地面に倒れたままの花の傍にしゃがみ込む。 息はある。心臓も動いている。 それに少しだけ肩の力が抜ける。 「赤ん坊・・・」 地面に倒れた花は、死にそうなほどに青い顔を苦渋にゆがめ、痛みに耐えるように歯をくいしばって身体をまるめるようにしている。 その腕の中には、わんわんと泣き喚く赤ん坊。 周囲を見回しても母親らしいものの姿はない。 一通り見るが、花が急激に魔力を消費した理由がわからず思わず首をかしげる。 あるのは開け放たれたままの赤ちゃんポストだけ。 それをみるに、赤ん坊はきっと、そこの扉が閉まる前に花が見つけたのだろう。 きっとポストにいれるまえに人の気配を察知した母親が逃げだし、地面にでもおかれていたのかもしれない。 優しく子供好きの花は、それをみてきっと放っておけなかったと考えるのが妥当だ。 しかしいまはそんなものにかまっている暇はない。 状況は急を要する。 とにかく一刻も早く魔力を花に渡す必要があった。 「は?・・これは、どういうことだ?」 花に直接触れて魔力を渡しているというに一向に安定しない。それどころか花の呼吸はさらに荒く、肩は震え、先程より血の気が引いている。“魂が削れる痛み”とやらが増しているのか、花の手が無意識に心臓の上の服を鷲塚む。 ちょっとやそっとの運動程度なら、不足分の魔力は俺に貼りついたロジャーからすぐに補給できるはずだ。 その補給が間に合わず俺にまで影響が出る程。 いまだに魔力は吸われたままで―― 「あぶぅ〜!」「あぁぁぁぁん!!」とまた赤ん坊の泣き声が耳につき、それでハッと我に返る。 一瞬焦りに意識が飛びかけていたようだ。 何度か深呼吸を繰り返し、花へ魔力を供給しながら、状況をもう一度丁寧に確認していく。 周囲には人目を避けるように植物が植えられている以外何もない。 そう“あるべきもの”がないのだ。 魔力を失わしているだろうアイテムか、アイテムにかわる“もの”が、どこにも見当たらないのだ。 ふいに天啓のようにひらめいた。 もしも花の命を奪っているものが、“物”ではなく“者”であったならば? 「まさか」 それには思い当ることがあり、ギリリと奥歯に力が入る。 以前、魔力に詳しい隼が「赤ん坊はダメだよ」と言っていた。 当時は意味が解らなかったが、現状を顧みるに、“これ”以外に正解が思いつかない。 「生まれたての赤ん坊は魔力を自分で生み出せないと聞いたことがるが」 “そういうこと”かよ! 思わず脳裏に「テヘ☆」なんてしている隼の姿がありありと浮かんだ。 脳内笑顔がやたら憎たらしく思えた。 隼!「詳細」って字はな、詳しく細かくって書くんだよ!!重要な話はもっと細かく説明しておけっ!! あいつ、あとでしめる。 つまり花は赤ん坊に生命エネルギーをうばわれているのだ。 生まれて間もない様子から、赤坊は空腹もあり、こちらもいろんな意味で“飢えている”。魔力の制御なんかされていないはずだ。 とっさに花の腕の中から赤ん坊を奪うと、力の抜けた腕からはす赤ん坊はあっさりとぬきとれる。 花の意識がないことから考えるに時間はあまりない。 花から赤ん坊を離しただけで、魔力の供給がスムーズに循環をはじめたのを感じる。 先程まで俺の魔力を受け取っていたロジャーのざわつくような気配がいまは落ち着いていることからも、やはり原因は赤ん坊にあったのだとわかる。 俺が赤ん坊を抱いても何の不都合も感じない。 魔力の枯渇はやはり花だからおきたようだ。 このまま赤ん坊を放り投げ地面に捨ておきたいほど焦燥感があるが、相手は赤ん坊。生き物だ。 「これしか方法はないか」 赤ん坊の力が花に届かない範囲へおしやるように、傍らに設置されていた赤ちゃんポストの開いたままの扉の中に赤ん坊を押し込め、扉を閉める。 カチャンとロックのかかった音が響き、それと同じようにようやく地面の花から大きく息を吸う音が聞こえはじめる。 どうやら魔力供給範囲外からでたようだ。 「はぁー・・・かんべんしてくれ」 思わずこわばった身体から一気に力が抜けでて、扉がしまり壁となったそこにずるりとよりかかる。 今回は本当にやばかった。 だからこそよけいに力がぬけてしまった。 腐れ縁の友人が倒れるところも、苦しむところも、ましてや死にかけるところも――そんなもの何度も見たい光景ではない。 『・・ぅ・ぅん・・・・・』 「ああ、気づいたか」 『いき、て・・る・・・』 「大丈夫だ。まだお前はここにいる。まだ記憶の干渉までいってない」 『うん・・』 以前までは、花が倒れると、その後数日は目を覚まさなかった。 それを考えると今はすぐに目を覚ますし、周囲への影響も少ないからずいぶんマシになったほうだ。 以前は、体力と生命エネルギーを温存するために、省エネモードにはいっていた。いわば冬眠のようなものである。 その眠りから目覚めるころには、遠い存在から、こいつのことを忘れていく。 その記憶は“思い出せない”のではなく、本当に“消える”のだ。 ロジャーという手段を使うまで、それこそ俺たちが出会った頃、花がまだよく倒れていたころは、次に学校に登校したときは何人があいつのことを覚えているか怪しかった。 覚えているやつを探す方が難しいほどだった。 俺が見てる限りでも、昨日まで遊んでいたやつに「はじめまして」を何度繰り返したかわからない。 そんなかでも花にとって本当にユジンと呼べる者たちもきちんといた。 そいつらはおかしなやつらで。 ねばりにねばって「花のことを絶対忘れてたまるか!」とお互いの顔を引っ張りあったり、いろんなことをして、とにかく記憶をとどめようと奮闘していた。 彼らとは高校から別々になってしまったが。 一応発作を起こしたあとだ。念のために彼らが花を覚えているか連絡はしておこう。 だが連絡を取れる端末は今手元にはない。服も服だ。 一度着替えなければいけないだろう。 しかし花が峠を越えたことで、気がぬけすぎたようだ。 俺の身体も力がはいらず、ずるずると這いつくばるようにして花の方へ近寄る。 花はまだ力がはいらないのだろう。ぼぉーっとしたうつろな緑の目が空を見上げていた。 もしかするとまだ意識が夢現をさまよっているような、寝ぼけているような状態なのかもしれない。 「花」 花の傍まで到達すると、すぐにその手を握る。 それと同時に俺の首元付近からふわりと蝶が現れ、ロジャーは俺から離れ、花の上に舞い降りる。 ここまで魔力が枯渇するのはずいぶん久しぶりだ。たぶんロジャーもそれを察して、遠隔的魔力供給をするより直接触れていた方が判断したのだろう。俺もそう思う。 「はぁーな」 もう一度ゆっくりと名前を呼べば、花の視線がようやく俺を捕らえる。 「大丈夫。大丈夫だからな」 『はじ・・・・・ぉこは?』 「ん?」 『あのこ、は?』 やれやれ、うちの花は困ったやつだなぁ。 こんな状態の自分より、あいかわらず他人を先に気遣うんだ。 「赤ん坊ならさっきゆりかごにつっこんだ」 『だめ』 「と言われてももう遅い」 すでに入れてしまったあとだ。 なにより花の調子がよくない。このまま早く先生の所まで行った方がいい。 『さ、きょう・・・を・・・とらな、い、で』 うつろな目がコチラを認識しているとは思えない。 けれどその手が必死に俺の服をつかんでくるので、意識はあると思う。 そのあいつが、何かを頼んできた。 「さきょう?」 聞き返せば、縦に首が降られる。 「それが赤ん坊の名前か?」 訊ねれば、幸せそうにふにゃりと笑った。 長い間一緒にいるが、花のこんな微笑みは見たことなかった。 いつもどこか引っ掛かりを残すような、心の中で諦めているような、悲しみを押し殺すような――そんな笑みばかりで。 ならばこいつにこんな笑顔をさせるものを必ずこいつの手元に置いてやりたいと思った。 「漢字は?体調が戻ったらすぐにお前の所に連れていく」 こうのとりのゆりかごがあることから、母親がつけたのだろうか。 そうおもっていたら 『ひだりに今日。・・今日、ずっと・・・・左をあるいていて・・・それ、で・・それで・・・みつけた・・・宝物、だから・・・・いい、名前。でしょ』 そのままガクリとおちた。 いい笑顔で。 「聞きたくなかった!」と思わず訂正を入れたくなった俺はきっと悪くない。 え?左に今日でさきょう? 左方向に今日歩いていたから、さきょう。 さきょうって、まさかの「左今日」か?! まじかよ。 おいおいやめろよ。なんだその当て字感がハンパナイネーミングは。 せめて「左京」にしろよ。 あるいは「タカラ」とか!見つけた宝ものなんだろ! 何かもっといいのはあっただろう!!! っというか。 左に歩いたからって・・・ 「誰か嘘と言ってくれ」 思わず腕の中のやつの顔を見れば、色は青を通り越して白くて、汗とかかいてるが・・・やり遂げた感がハンパナイとてもいい笑顔で。 『さきょ〜・・・・むふふ』 涎まで垂らして何かつぶやいた。 え、やっぱり子供の名前は“さきょう”で決定なのか!? 「おいまてこら。おきろ花ぁ!!!」 お前のそのネーミングセンスはなんとかならないのか!!! いや、なるわけなかったな。 そもそもこれのネーミングセンスは元から最悪だった。 例えばポ●モンには、「らんかく1」とか、乱獲した番号をつけていく花だ。 あげくこれの母親命名の弥生家のペットたちの名前が、もう悲惨だ。 大型犬ゴールデンレトリーバーのオスは「はるまき」。 シベリアンハスキーのオス「しらたき」。 猫一匹(マンチカン)のメスは「ちくわ」。 弥生母は何の料理を作りたいんだ?とは、内心ずっと疑問に思っていた食べ物オンリー名称。 家族そろって、疑問になるような名前を付けるような一家だ。 期待をしてはいけなかった。 せめて赤ん坊の母親よ!捨てる前にあの子に立派な名前だけでも与えてやってくれ!!! 見ず知らずの母親さん、あなたの赤ん坊の名前が凄いことになっています! 今日、左に歩いてたから・・・って、あんまりだろ。 花も花だ。そんな適当感あふれる愉快な名前を赤ん坊につけるんじゃない!!! 「いい名前じゃないから起きろ!花っ!!」 やりとげたあいつは、その後どれだけ揺さぶっても起きなかった。 いい笑顔で。 あまりのことに呆然としてしまったのは少しの間。 俺はきっと悪くない。 どれだけ騒いでも、動転して人を呼ぶのも忘れたが人影も一切ないまま時間は過ぎ――人気もなければ周囲の音もほぼ聞こえてこない、用がない限り訪れる者さえいない本当に建物の裏なのだ。 我に返った俺は、花の顔(は、とても幸せそうだった)色が悪いのに気づき、花を抱き上げ慌ててきた道を戻る。 相変わらず人の重みではない異様なまでの花の軽さに、腕の中のこいつがそのまま消えてしまうのではないかと不安に襲われる。 花を助けられるのは今は俺しかいないとわかっていながら、花を助けてほしくて建物に入るなり必死になって大声で医者を呼んだ。 いつもとは違って俺らしくもなく、分量やめどなど考えず自分で魔力練り上げて、やけくそのように花に魔力をそそいだ。 途中にあったナースステーションで花が倒れたことを言えば、すぐに部屋へ案内される。 いつものように魔力増強剤と栄養剤点滴からうたれ、その間に隼と弥生家へ連絡を入れる。 恐ろしいことに隼は「いますぐいく!」と無茶苦茶なことを言っていたが、あいつのことだ。時空を超えるか、ヘリでも動かすかもしれない。この病院、ヘリポートないんだが。・・・・よし、放置しよう。 弥生家には、花が倒れた原因――赤ん坊のことを話しておいた。 わかる範囲の事情を説明したら喜んでいたのと「あら、いい名前ね」と弥生母は嬉しそうに言った。 いい名前なのか・・・ 「きゃー!ついに彼女ちゃんとの子供が?え、違うの?それもそうよねぇ、花くんの“カノジョさん”この世界にはいなかったわ。でも花君が子供を引き取りたいのよね?いいんじゃないかしら?もうあの子もいい年だし。なのに彼女一人も作らない宣言して、“カノジョ”に操を立てるような子だし♪あら、名前が今日出会ったからサキョウ?まぁ、かわいい!いいんじゃない?」 「え?それでいいんですか?」 「じゃぁ、着替え持ってすぐにいくわね!」 「え?あ、すぐ?」 「ええ!すぐいくわ!あ!そうだ。始くんだって、うちの花の赤ん坊の時の写真見たいわよね?どうせだからもってくわね!」 「え?は、はぁ〜・・」 「こどもたちの産着ってまだあったかしら!きゃぁ素敵!みんなー!!うちに赤ちゃんが来るわよ!!」 「え・・・それでいいんですか?」 「みんなきいて!花くんが赤ちゃん産んだわよ!」 「最後違うぅぅぅっ!!!!!」 まぁ、まっとうな返答なんて返せるはずなかった。 花の身内はやはり花の身内だった。 なお、その後、電話の向こうで妹たちの歓声とドタバタという音が響いたあと「ニャ〜ン」という猫の鳴き声がして、電話はプツリと切れた。 切れた電話画面を映すスマホをもって一言。 「やるな、ちくわ」 おもわず真顔になった俺はどこもおかしくない。 隼にしろ、弥生母にしろ。 どちらにせよ「すぐに向かう」と言った二人に対し、俺にはうまい返し言葉は浮かばなかった。 たぶんこの二人、本気ですぐにくるのだろう。 それから電話を終えて病室へ戻れば、医者に手招きをされる。 俺がいることが一番の治療になるからと花が寝ているベッドの横に椅子を用意され、傍にいるように言われる。 言われなくとも。 ぐったりして血の気のない白い腕をとり、両手で握り込む。 花の手に額をつけて祈るように「目が覚めろ」と念じながら、魔力を渡していく。 しばらくそうして、花の呼吸が落ち着いてきた辺りで、傍にいた医者も看護師もようやくほっとしたように肩から力を抜く。 いったい何分、むしろ何時間たったのか。焦りすぎた俺には、時間の感覚はよくわからなかった。 「始くんとロジャーが傍にいたからかな。いつもより対処が早かったおかげで軽度ですんだようだね」 「軽度でも俺の心臓に悪い・・です」 俺は最初の一瞬以外は魔力の枯渇するような感覚を味わうことはなかったが、肉体的という意味のエネルギーではなく精神的に、何か疲れてしまった。 おもわず俺も花のベッドに突っ伏すように倒れ込む。もちろん花の手を離さないように、手は握ったまま。 はぁー・・・なんだか、この数分で異常に疲れた。 花にエネルギーを与え続けるために、離れるわけにいかない。夜中もうずっとこれか。花が目覚めるまでは、定期的に会いに来ないとまずいな。はぁー・・・・ ん?これって何かに似てないか? そうだ。これはもしかして、赤ん坊の授乳する母親と同じじゃないか。ほら、良く言うだろう。生まれたての赤ん坊は二時間おきにご飯をあたえなくなちゃいけない、傍を離れると泣きだすからずっと抱っこしていないといけない。とかとか。 なんだこれ?つまりは俺はこいつの母親か? ベッドの上で寝ている花を見る。 ふむ・・・・・・でかい赤ん坊だな。 夜泣きしないのは救いか?待て待て、俺。そもそもこいつが泣かないとか、声をあげない方が怖いわ。死んでるんじゃないかという不安にあおられてしまう。 うん。赤ん坊はやっぱり泣いているのがいいな。 だが、花。赤ん坊と呼ぶにはお前でかいぞ。 ああ、それと。 赤ん坊なら 「たまには・・お前も声をあげて泣けよな、はーな」 辛いこともすべて押し込んで、自分から語ることはないこの友人に、俺はあとどれくらい説教をするのだろう。 これでは本当に俺がこいつの母親のようではないか。 やれやれ、本当に俺はなんてデカイ赤ん坊の母親になってしまったのだろう。 目が覚めた時、マミーと呼ばれても仕方ないから、一度だけなら笑ってノってやってもいい。 とはいえ、花が赤ん坊らしく花が泣くのはいい。声をあげるのもいい。 だが、さすがにお乳は出ないからな。そこまでノってくんなよ。 はて、赤ん坊? 「ん?」 まてよ。俺はなにか忘れてないか? あまりにあわただしくて、すっかり重要な何かが吹っ飛んでる気がするが。 なんだったか。 そもそもあんなところでなんで花は倒れていたんだったか。 いやいやいや、花がおかしなことを言っていて・・・・ あ 「赤ん坊!!!」 すっかり忘れてた。 いや、けっこうマジですっとんでいた。 草の上に置いておくわけにはもいかないからあわてて赤ちゃんポストにつっこんだあの赤ん坊! 可哀そうな名前を付けられそうになっていたあの赤ん坊だ! あまりに花のネーミングセンスが酷くて、名前のことを忘れようとして、頭の中から赤ん坊ごとさっきの出来事の存在を抹消するところだった。 うっかりしすぎて、赤ん坊が施設やどこかにあずけられ、あっという間に別の親元に引き取られてしまったらたまらない。 花になんと言われるか分かったもんじゃない。 と、思って花から手を離そうとしたら、 『オレの、宝物』 あまりに地を這うような低い声が響き、俺が握っていた手が、別の誰かによってガシリと握り返されていた。 手が細いから、はっきり言って食い込み方がかなり痛い。 振り返ったそこには 座った緑の目が恨めし気にこちらを見ていた。 どうやら「赤ん坊!」と叫んだあれのせいで目が覚めてしまったらしい。 むしろなんて執着心。 『・・・・』 めが・・・ めがぁぁぁぁぁ・・・・こわいっての! おい、花。眼鏡どうした? え?落とした?・・・・あ、ああ。それは悪かった。後で拾ってくる。 ガラッ!!! 「すみません!ここに今さっき赤ん坊があずけられませんでしたか!!!」 ノックもそこそこに思わず扉を勢いよく開け、中にいた看護師さんたちを驚かしてしまったが、それどころじゃない。 「左京は!?左京は無事ですか!」 あのやろう。万力のごとき力で腕を締め付けたあげく、こちらの髪の毛を引っ張って「早く行け!」と命令してきた。 というか「いますぐに、だ」とそれはもう地獄の底から響くような低温ボイスで言ったきたとき、思わず顔が引きつった。 名前の漢字を妥協するかわりに今すぐひきとりにいかないと、このまま髪をむしるとまで言ってきたのだ。 やけにはっきりしていたが、目がおかしかった。 まさかあれは寝言だったりしないよな!? なんだか昔の父親をまねる前の口調にもどっていたが、その荒々しい口調がふいに変わり笑顔を向けられる。「原くん、外周10周してこようか?うん?」といい笑顔を向けられたが、あえて言おう。原とはだれだ!? そもそも俺はお前に魔力をやるという任務中だ!と叫んだが、「ふはっ。任務?それは次の試合に勝つよりも重要なことかな?」と鼻で笑われた。「さぁ―――わかったら今すぐ行ってこい!」と、それはどこの王様だとばかりの上から目線での命令をもらったが、なにかおかしくないか? 俺はいつお前の下僕になった!? お前が俺の下僕だろうが! しかも口を開けば、「バスケ」とか「キヨシホロベ」や「練習」「基礎が大事」「キセキ」とか、おかしなことばかり言うもんだから、ここにくるまでも俺は幾度ツッコミを入れることになったか。 俺は笑いたいんであって、笑わせるためのツッコミ担当になった覚えはない! はぁー。 こうなると、あんなデカイ我儘プーな赤ん坊だったら、やっぱり泣かなくてもいい!うるさいだけだ。 むしろ花は俺の子供じゃない!いつあんなでかいやつを生んだことになってるんだ!! そんなこんなで。 タイミングでやってきた隼に花の魔力調整を頼み、俺は慌てて検査服から普段着に着替えて、隼と入れ替わりのように病室を飛び出したのだ。 着替えの際、腕にくっきりついた花の腕の手跡が、まるでなにかに呪われたかのようで不気味だった。 「左京は!?左京は無事ですか!」 「さきょう?」 「赤ちゃんポストに入れられた子のことかしら?」 「ええ、裏庭でその子をつれて探索してる時、相方が発作を起こして倒れてしまって。俺は相方を運ぶために手が空いてなくて、地面に置いていくわけにもいかずやむなくすぐそばにあったポストにその子をいれるしかなくて」 「あら、まぁ。相方さん?は大丈夫だったの?」 「ピンピンしてます。おかげで俺は、勘違いされないように早く連れ帰って来いと怒られたばかりで」 「そういえばさっき外が騒がしかったわね」 「事情は分かったわ」 「では!?」 「でも、ごめんなさいね。貴方の、その相方さんが本当に親という証明は?」 「赤ちゃんポストに入れられた限り、この子の親が子の子をまた捨てないか。この子を虐待しないか。育てられるか知る必要があるの」 「それに親と名乗る誘拐かもしれないもの」 ほらみろ、バカ花。 初っ端から面倒なことになってるじゃないか! だからさっさとあの時赤ん坊から手を離しておけば、意識ぐらいは残って事情説明ぐらい自分でできただろうに。 お前の雄弁な舌で全部語れただろうに。 なんだこれは。 俺が理由を考えないといけないのか。 しるかよ。 あー・・・・面倒極まりないな。 もう、本当に花の尻拭いは、いつも規模がでかすぎて困るんだが。 「はぁー・・・」 ため息ぐらい出る。 「あいつのDNA鑑定をしてもその子との血縁関係は出てきませんよ」 「やっぱりこの子を捨てに来たのね」 「違います。大声で言うのははばかられるんですが」 ここまでごまかしはしたが、むしろ言うのを引きのばすことはできたが何を言えと!? 血縁関係なくて、親じゃないけど親・・・・ってなんだ。俺は何をどう説明しようとしたのだろう。 さて、どうこの場を乗り切るか。 「・・・・」 あ、もういいな。 俺はこの瞬間に考えることを放棄した。 有り得そうなでたらめを言ってしまおう。あとはすぐに弥生母も来るだろうし、彼女に助っ人をたのもう。 弥生花のしりぬぐいは、弥生母にたのむべし。 よし、そうしよう。 そうと決まれば、血縁関係のない子供と言えば―― 「さっき倒れたって言ったのはたしかに赤ん坊の父親なんですが。 赤ん坊自体はそいつが付き合っていた彼女の、前の男の、子なんです。 しかも彼女はマタニティーブルーにかかっていて、あげくたった数日の間に育児ノイローゼになっていて、赤ん坊を自分の子とかわいがるよと言ったあいつに「私よりその子がいいんでしょ!」とおかしな嫉妬をして、赤ん坊をおいてうちの相方を振りまして。 問題はまだあって、まだ二人とも結婚もしてなかったし、戸籍とかどうしたらいいかわからないしで、その子に戸籍は今はない状態です。 いちおうその子の父親になろうとしたやつの親は、彼女に前の男の子供がいるのは知っていたので、引き取る気マンマンではあるんですがね。 はぁ〜・・・。 困ったことに証拠にだせるものがなにひとつないんですよ。 あ、建物の裏にいたのはたまたまです。相棒は今日定期健診だったので、俺があずかっていて、検査が終わったころこっそり会わせてやろうと人気のないだろう建物裏で待ち合わしたら、発作起こすし。まぁそういうしだいです」 惜しくもその提案が、花と子の母親がねった設定と全く同じであり、かつよりリアル感を持たせたアレンジ付きになっていたとは思いもせず。 とりあえず。 花がたおれたとき、とっさに隼と弥生家に連絡入れといてよかった。 その後、弥生母がやってきたことで、俺の嘘が真実になった。 「あらこっちにくればサキョウちゃんと会えるって言われてきたんだけど?あら?」 荷物を抱えた弥生母と、「赤ちゃんはどこ!?」「お義兄さんが赤ちゃん産んだって本当ですか!?」と、花の妹たちとその彼氏まで来てまたひと騒動あったのは・・・・・まぁ、どうでもいいだろう。 だから、産んでない! 「な、なんだと!?」 『えぇ〜?なにそれ?しらないよ』 「し、しらない?あれもこれもそれも!?」 『う、うん・・・え?どうしたの始』 後日後分かったことだが。 花の記憶は、倒れた花の名を俺が呼んだところまでで、そこから俺が隼をしめているときまでの記憶は全くないという。 左京の名をつげ今のあいつの状況を説明してやったら、「え?左京って誰?」「あの子、左京っていうんだ。衣服のどこかに名前かかれてたの?」と首を傾げられた。 おい、まて。なんだその反応は。 「おっまえが!いい笑顔でサムズアップしそうな空気で名前の由来ほざいたんだろうが!!!!」 『ええ!?しらないよ?え?どこをどうしたら左京って名前になるの?』 「花、きみ・・・さすがの僕もちょっとびっくりするほどだよ」 「あの執念の行動がすべて寝言!?本当に覚えてないのかお前」 『え、あ、うん・・・まったく』 「これでもか!」 思わず袖に隠れた腕の痣をみせつければ、そこにはくっきり不気味に残っている手形。もちろん花のである。 『いつも悪霊を無意識浄化してた始が!あの始がついに悪霊を見えるようになったの!?』 「おまえがつっこむのはそこなのか!!」 『え?悪霊、じゃない?』 「違う」 『そんなっ!?じゃ誰にやられたの!?痣ができてるよ酷い!』 「お前だ馬鹿!」 『え?』 花は自分でこれをやった自覚がなく、むしろなにか感動したような表情でおかしな発言をしてくる始末。 ああ、そうだよ。お前に呪われたんだよ。と言ってやりたかった。 つまり「記憶は消えてないぞ!」っていう俺の励ましも、俺に左京の名前を告げたことも、地獄の底から響くような声で「早く左京を引き取ってこい」と言ったのも。「原」さんが誰かも。 なにもかも記憶にないらしい。 まじか。 あれ、すべて寝言・・・とか。 「・・・・・・ほんとこいつやだ」 「あはは(苦笑)ドンマイ始。君はガンバッタヨ」 『え?なんのこと?ねぇ?ねぇってばぁ〜始、隼?』 * * * * * ――あの世にもまれな出会いと、あまたの珍事件が一瞬で訪れた運命の日から。 無事に赤ん坊を引き取ることはできた。 花はというと、いろんな人から説教をもらっていた。 当然のことながら、花と赤ん坊との接触は、しばらく認められなかった。 おかげで病院のガラスに張り付いて、赤ん坊に呼び掛ける花の姿が数か月間目撃された。 その後、花が赤ん坊に触れ許可が出たのは、赤ん坊の魔力が安定し、赤ん坊に花が直接触れ合えるようになったのは、赤ん坊の首が座るようになるころだった。 なおその間赤ん坊の世話は、弥生家(たまに睦月家)で行われ、その傍で花が羨ましそうにしながら、すねていた。 そんなとき、俺たちは一つの出会いをする。 それは運命の分かれ道。 「なんだこれ・・・でかいな」 『そうだねぇ。ねぇ、首輪、ついてるよ?野生じゃないんだね』 巨大な黒いウサギと出会った。 道端で行き倒れていたそいつを、周りの人間たちは怯えてさけていた。 それは避けるだろう。なにせでかい。 身体を丸めるようにしていたそれは、もはや黒い謎の巨大な塊にみえたのだから、普通であれば近寄らない。 直感に優れた花だからこそ迷わず「お腹を空かせた子を発見♪」と、姿かたちも見えない段階でその塊に向かったのだ。 「おまえ、これが何か気付いてたな」 『そうだね。この子がなにかいいことを運んできそうな気がしたから、つい、ね』 この策略家め。 とりあえずそういうことなら、事前に何が起きるのかいっておいてほしい。 さすがに道端にモコモコした黒い塊にはびびった。 少し腹が立ったので、花にデコピンをくらわした。 ものすごくふっとんだ。 ・・・・よけれたくせに、こういうところはよけないんだからよけい腹が立つ。 コツ そうこうしているうちに、運命は近づいてきていた。 起き上がった花が、何かに気付いたように口端を持ち上げる。 その手は「もふもふきもちい」と・・・そういえば、こいつ猫以外の動物からは逃げられるんだよな。 意識がない動物なら平気なのか? 花の手元を見ると物凄いはやさで、あの黒い物体をもふっていた。 そして―― 「きみたち、ちょっといいかな?」 運命は訪れた。 ウサギを見つけてくれてありがとう。と、馬鹿でかい黒兎を抱きかかえながら、月野尊と名乗る男は笑って、名刺を差し出した。 アイドルにならないかい? そう、声を掛けられ、思わず俺と花は顔を見合わせる。 どうやらさすがの花も、ウサギを救ったあとにこんな切り返しが来るとは思っていなかったようだ。 俗物な話をすると、俺達は学生であるが左京の面倒を見るために今すぐにも金を稼ぐ必要があった。 当然花と目が合ったとたん、もう答えは決まっていた。 『「よろこんで」』 社長がびっくりするほどの速さで俺達は即答した。 もちろんその後に、左京のことは話した。 高校生で子供がいる。その事実にさらに社長は驚いていた。 可哀そうに。花にかかわるから、この短い数分で二度も驚かされる羽目になるのだ。 家で面倒見てもらうのでもいいが、それでは親としては成り立たない。 むしろようやく赤ん坊に触れる許可が出た花が、会えないのもさわれないのもさびいしいから嫌だと駄々をこねた。 アイドルになって寮に入ってもいいが、数年したら左京を寮に住まわせたい。とも。 少し考えた後に、社長は条件を付けた後に許可をくれた。 ――時は流れ数年後。 約束どおり、寮に左京を連れてきたとき、仲間たちの反応が面白ことになっていた。 『じゃーん!今日からオレと一緒にすむことになりました〜左京くんです』 嬉しそうに左京を抱えた花が、SIX GRAVITYとProcellarumメンバー10人をよびあつめ、彼らに今日から左京も共に暮らすことを告げれば・・・ 「凄い綺麗な目、宝石みたい」 「この目、もしかして始さんの血筋関係?」 「あ、でもまってくださいみなさん。そうすると髪の色は春さんぽくないですか?」 「じゃぁ、春さーんそのことの関係は?」 「春のやわらかさがどこにもないよ。髪も雰囲気も。あ、でも髪の色は同じぐらい?」 「・・・なんか春さんと始さんを足しで二で割って、ホクロを一個足すとこんなかんじだなとーおもったり」 「そうだねぇ、そのつんとしたところとか始さんそっくり」 「まんまじゃん」 「始さんと春さんの二人を掛けあわせたかんじじゃねwwwwwwwww 「つまりは2人のこども?」 「え?お二人の子供ですか!?いつのまに生んだんです!?」 「んな、ばかなwwww」 「そうなるとどっちが生んだんだろうね」 「隼さんならそういうお呪いとかできそうでこわい」 「こんなに大きく育つまで隠してたなんてやるな二人とも」 言われてみれば、育った左京はどことなく髪の色は花に、目の色は俺に似ている。 だからといって―― 「生んでない」 その誤解は何だ? まぁいい。 偶然の一致だろうがホクロや体のパーツの色のおかげで、左京はあっさりツキノ寮のメンバーに受入れられたのはよいことだ。 そもそもこの仲間たちを疑ったことなどなかったが。 寮に仲間入りした左京は、花と隼が容赦なくふりまわした。 アイドルと子供というのはゴシップになりやすいし、いい餌のような気もするが、隼のおかげか花の超直感で回避しているのか、さいごのさいごまで報道時の前にその存在が明るみになることはなかった。 そのためおでかけも二人は左京を構わず色んな所につれていくので、他の寮でも左京は有名人になっていった。 面白がったSolidsの翼や志季が持ち曲を教え込んだり、SOARAの宗司が調味料などについて熱く語って聞かせたり、QUELLの双子につつかれたり、社長が膝の上にのせて孫をめでるように楽しんだり。 気づけば、左京の存在を知らないのは、ファンと世間だけで、ツキプロ内では、社長の秘蔵っ子扱いになっていた。 左京も事務所内では、勝手知ったる自分の庭とばかりに自由にうろつくようになっていた。 左京に会いたければ、事務所にいけば高頻度でであるだろう。 その頃には、TVに出演する子役でもないが事務所内をうろつくことを容認されている子供がいると、事務所内でも話題になっていた。 しかも左京は花のしつけが行き届いているため、スタッフの邪魔は基本しない。 そうとくれば、スタッフはそのこどもを邪険に扱うこともない。 むしろ気付けば左京は、スタッフから座敷童と思われていた。 まれに事務所内にいる左京と遭遇した子供好きのとある俳優が冗談で「お、噂の座敷童だー」と通りすがりの左京を拝んだのがきっかけで、出会えるとラッキ―な座敷童と建物内では認識されるようになっていった。 左京がいるのもいつしか暗黙の了解となっていた。 彼らが子供の存在を報道陣にももらさなかったのは、一重に「座敷童の存在を誰かに話してしまうと、座敷童が逃げてしまう」という噂がながれためである。誰が流したかなんて・・・考えるまでもないだろう。 座敷童は繁栄をもたらすが、いなくなった家には不幸が一気に訪れるという。 長くツキノ芸能プロダクションで働きたい。ツキプロの存続を願った者たちは、社の命運をかけ、子供の存在に口をとざしたのであった。 沢山の人に守られているなんて知るはずもない左京は、相も変わらず元気に演歌を中心に歌っている。 「〜♪」 『わぁ〜左京、〇歳とは思えないほどドスと拳がよくきいてるねぇ』 「北島〇郎が似合う幼児とかwww」 「みごとな演歌ですね(苦笑)」 「えっへへ(どや)」 花が拍手する正面で、小さな左京が、見事な音階でもって最近はやりの演歌を歌い上げた。 そしてお次はとばかりに流れてきたのは、Flunaの花園雪の曲である。 それを聞いた途端周りの大人たちからなにかが抜け出た気がした。 なにせいま左京が熱唱しようとしている歌「碧落」は、もはや耳にタコができるほど聞かされていたからである。 最近の左京のお気に入りは、演歌や、コブシをきかせる渋めの歌ばかりだ。 なぜ演歌やそれ系統というかといえば、この寮に常に人がいるわけではなく、完全に誰もいなくなる時など世話を花園雪に頼んだことがきっかけである。 事務所内の座敷童信仰よりも前に出会い、どの女神候補生メンバーよりも早くに睦月という家を通して左京に出会っていた雪は、それはもう寮に来るよりも前から左京にメロメロだった。 知人の子供ときちんと認識しているが、弥生家と睦月家で交互に行き来させたことで、雪は左京を睦月の身内のように思っている。 現在彼女こそが、左京をもっともかわいがり甘やかしている存在ともいえる。 その結果が、雪が大好き左京君のできあがりである。 彼女は当然、かわいい子に自分の持ち歌を仕込んだ。 今日も今日とて流れる花園雪のソロ曲「碧落」である。 父親である花としては、何を歌おうが我が子が楽しければそれでいいらしい。 今日も花は嬉しそうに左京独奏コンサートに拍手をおくっている。 だがしかし 「へきらくぅ〜の!」 「やめーい!!もう左京なんでそう雪ちゃんの歌ばっかり歌うのさー!たまには俺のも歌おうよ!!ほら、ラジカル・ラブカルとかどうよ!?」 「や!」 「なんですとぉ!?」 たまに聞き飽きたメンツが、自分の歌を仕込もうと必死になる。 「ですね。もっと子供らしくポップに!次は俺の歌はどうかな?」 『駆、左京にはまだバイトの意味を教えるのは早いかなぁって、春さんは思うのです』 「お、俺の持ち歌は・・・・そっか左京くんにはたしかにまだ早いか。いつか歌ってね」 「・・・・オチビにバイトが早いなら、なんで雪ちゃんの曲はありなわけ?彼女の曲、歌詞が複雑でやばくね?」 「でも新。左京くん、まだ意味は解ってないみたいだよ。メロディーとのりで歌ってるみたい」 「ゆきおねちゃんすきー!」 「あいつとの結婚だけは望むなよ。俺は認めないからな」 「パパ?ゆきちゃんきらい?」 「ちがう。だが、まぁ・・・今の話は忘れろ左京」 『もう、始ったら(くすくす)』 「おとうさんはゆきちゃんきらい?ゆきちゃん、さきょーのこときらい?」 『そんなことないよ。オレも始も雪ちゃんのこと大好き。雪ちゃんは左京のこと大好きで大好きでたまらないんだよ』 「えへっへ!そっかぁー!俺もゆきちゃんすき!おとうさんもパパもみんなすきー!」 「至福」 『うんうん。うちの子、ほんとにかわいいねー』 「あ、おちたな」 「左京君の笑顔におちたね」 「始さんもすっかり子煩悩パパにwww」 「これはオチビが嫁を貰ったら大変そうだ」 「・・・普通に考えて左京くんのお嫁さんって、そうとう肝が据わってないと無理だね(苦笑)」 「それもそうかもー。なにせアイドル爆走中の弥生春に、アイドルをぬかしてもあの天下のといわしめる睦月家の始さんですしー・・・・ああ、お嫁さん、大丈夫かな!?なんだか不安になってきたよ」 「おちついて駆さん!まだ早いから!まだ左京は10歳にもなってないから!」 「パパ!あとでゆきちゃんにだいすきっていってね!さきょーゆきちゃんだいすき!」 「あ、これあとで雪が鼻血出すパターンだな。雪にあとで箱ティッシュでもおくっておくか」 『ねぇ、しってる始。最近オレよりも雪ちゃんの部屋に左京のアルバムが大量生産されてるの』 「そうか」 「左京、今からムービーで撮るからもう一度さっきの雪宛に言ってやれ(ニヤリ)」 『あ、確信犯』 「安心しろ。ムービーと一緒に大量に箱ティッシュを雪に送っておくwww」 「始さんもそれでいいの!?」 「面白けば良し!(ドヤァ)」 「ふふ。そろそろ左京くんの演奏会もおわったことだし、みなさん、そろそろおやつにしませんか」 「はいはーい!葵様、俺にはいつもの苺お〜れぇ!」 「この年になってもまだそれぇ?」 「好きなものに年齢は関係ない!(キリッ)」 「それで?なんで左京は渋い曲ばかり選出するんだ?」 「ゆきおねぇちゃんが」 「雪?」 「ゆきおねえちゃんといっしょにね、みたね、ニンキョウモノ?の、映画がおもしろかったのー!やくざとってもかっこよかった!!」 『あれ?そっち?任侠系いっちゃうの?』 「・・・これは左京に雪の持ち歌を歌わせるための土台か?似てる曲調の演歌をきかせ、そこから自分の歌も歌えるようにという魂胆が目に浮かぶようだな。我が妹分ながら・・・さすがというか」 「左京君、それいいように洗脳されてません?」 「せ、洗脳!?」 「洗脳と言えば始さん。さすがは睦月始の親戚」 「雪ちゃんにオチビ見事に洗脳されてるわな。これは確定」 「睦月の家系は弥生家の子を洗脳したがるなにかがあるのか」 「ないかならな」 そして今日も今日とて、左京による花園雪メドレーがツキウタ寮に明るく響いたのだった。 〜 side NO NAME 〜 きっと。 きっと私は、その“たったひとつ”のことを忘れてはいけないのだと思う。 それはとても小さいもの。 たったひとりの。 もはや顔さえ覚えてない誰かの名前。 ―――ックスグラビティの弥生春さんでした!ありがとうございました! TVから流れた名前に足が止まる。 なにげなく振り返れば、もはやテレビで見慣れた姿が、番組の司会者と仲良く話している姿がうつされる。 「・・・やよい、はる」 彼はとても遠いもので。 絶対に手なんか届くはずがないひと。 けれど私たちにいつも歌をとおして勇気をくれる。 アイドル。 今の彼らは、ひとりのためではなく世界中のみんなのための、そんな存在。 「ん?なんだよ。またSIX GRAVITY?こいつより俺の方がかっこよくない?」 「やだもうwww」 「お前グラビ好きだよな〜。そのわりにはグッズとか集めてはいないよな」 「ふふ。うちの旦那は心が狭いわねぇ。イケメンはみて楽しむだけでいいのよ」 「ふーん。そういうもん?」 「あ、すねてるの?もうwww浮気なんかしないわよ私」 「そりゃぁよかった(笑)」 “あの日”、高校生だった私が一つ命を捨て、ひとつ道を選んだ日。 同じように誰かも、ひとつの道を選んだのを知った。 しばらくして世間に出てきたアイドル。 当時の自分と同じ年の男の子六人組で結成された――SIX GRAVITYという黒色をカラーとした彼ら。 そのなかにいた眼鏡のひと。 画面と眼鏡のガラスをはさんだ向こう側にあった緑の瞳。 柔らかな髪色。 その彼の横には、どこかでみたようなアメジストの瞳の青年がいつも傍にいた。 それを見た途端気付いてしまった。 私が忘れてはいけないのは、“彼”のことだ、と。 “彼”はきっと、“あの子”のために、この道を選んだ。 それでも彼はこの道を進んでよかった。と、心から笑ってくれる。 画面の向こうの彼はいつも仲間に囲まれて楽しそうで、そしてあの時と同じように“愛しい”とばかりに仲間を、画面を、その向こう側にいる自分たちに向けてくる。 それだけで、私はホッコリしてしまう。顔なんか緩んで、口はにっこりと弧を描き、目も優しく細くなる。 つい笑顔が出てしまう。 たぶんその力は、私だけでなくTVをみてるファンの多くをそうさせる。 アイドルは応援している者たちに力と勇気をあたえてくれる。その歌声には元気の出る魔法がいつもかかっている。 そう、“彼”はアイドルになるべく存在だったのだと、いまなら思える。 だから私は忘れてはいけないの。 そんな“彼”を忘れたくない。 けれど。 たまに、本当にふとした瞬間に、“忘れそうになって”しまう。 それは人間だからだれしもある“時間をかけて風化していく”ようなものではなく、“消されてしまう”という喪失感。 そのときは、はっきりいって怖いと思った。 でもね―― 「そもそも忘れられるはずないでしょ!」 私が大人というものを自覚した時。 大切な宝物を手放したとき。 それを受け取ったのは、貴方だ。 「わすれてなんかやらないんだから!覚悟しなさい“弥生花”!!」 画面の向こうで汗を流しながらライブを終え手を振る“彼”にむけ、指でっぽうをむけてその心臓を打つマネ。 返答は返ってこないのをわかっていて、TVにむけて「ありがとう。忘れないすべをくれて」感謝の念を込めて投げキッスを贈る。 さぁ、アイドルのおかげで元気も出たし。 私は“私の日常”を守るために、一仕事するとしましょうか。 まずは朝ご飯をつくって。 旦那様と愛しい子供たちをたたき起こすとしましょうか。 鼻歌を歌いながらキッチンに引っ込んだ私が、そのとき背を向けたTVのなかで凄いことが起きていると知ることはなかった。 ―――こちらこそ、宝物をありがとう。 〈〈キャァァァーーー!!!!!〉〉 〈春くん!のファンサー!!!〉 〈笑顔が尊い!!!〉 〈死ぬぅ!!〉 〈は、ははは・・・はる、さん////(*ノωノ)〉 〈あ、葵さんがやられた!〉 〈春・・・この天然たらしめ〉 〈ん?まって始!?オレ、いまなにか言ったっけ?え?葵くんどうしたの!?え?〉 〈無意識!?〉 〈いつもの無自覚!?〉 〈凄まじいほどのとろけるような笑顔ありがとうございます〉 〈え、ちょ!?んん?待って恋。オレがいつそんな顔をしたって?え?〉 〈無自覚たらし怖いー!〉 〈( ,,`・ω・´)ンンン?〉 後に「人類を滅ぼす地母神の微笑み」と称されることとなるその笑顔をみたものは、全員がハートを射抜かれ、赤い花を散らしたらしい。 その結果、一瞬で人類(女性人口多し)が減ったとか、そうでないとか。 たとえその日の救急車が何台も呼ばれたとか・・・。 そういう事実は、事務所からはなにも告げられてはいない―――ハズである。 【 オ マ ケ 】 「おとうさん!おとうさん!すごい!あれにしよう!あれがいいよ!ちぃーおばさんへのプレゼントあれはどうかな!」 『えーコトコちゃん。バラよりふんわりした花のほうがすきだよ?』 「うーんとうーんと!あ!じゃぁこの花のくまさん!」 『ねぇ、左京。どみてもそれは猫に見えるんだけど。・・・はっ!?もしかして左京、オレより目が悪いんじゃ・・』 「えーちがうよー」 『だめです。今度おめめの病院に一度行こう、ね?』 妹の誕生日祝いにと、花束をさがしにきた。 この花がいいんじゃないかと左京とああだこうだ話し合って、左京が選んだ花とオレ自信の選んだ花をまとめてもらおうと、青い花にてをのばして―― 『「あ」』 同じ花をとろうとした女性とてがぶつかってしまう。 ごめんなさいと顔をあげて、お互いに視線があう。 始と同じ色の瞳。 懐かしいひとに会った。 彼女はオレを覚えてないだろう。そう、ずっと思っていた。けれどその紫の瞳が大きく開かれ、次の瞬間には彼女の表情は柔らかくほどけ微笑み返してくる。 彼女もオレのことを覚えてくれていたのか。 こちらをみたまま彼女の口が、「はなくん」と音のない言葉を刻む。 それに首を降ることも肯定することもせず―― 『“はじめまして”』 「ええ、“はじめまして”」 お互いに会ったこともないのだと挨拶を返す。 それに彼女も笑顔で挨拶を返してくる。 だってオレたちは“一度も会ったことがない”のだから。 “そういう約束”を、もうずいぶんと前にしたからね。 思い出したから試してみたよ。いいや、一度だって忘れてなんかいないのだけどね。 でも“始めてあったなら”、やはりまずは挨拶からだって思う。 『この花でしたよね。誰かの誕生日祝いですか?』 「ええ、そうなの。義母にね」 『きっと喜びますよ』 「貴方が選んでくれたのなら、絶対ね。これにするわ、ありがとう」 「ねぇあの子、あなたの?」 『かわいでしょう』 「ええ、とっても。――いい笑顔よ今の貴方。貴方にとっては宝物なのね」 『自慢なんですよ、オレの生き甲斐。未来です』 『ああ、そういえば、よくオレの子だって気付きましたね。髪質が違いすぎるって、別の人の子と間違われるんですよ』 「あら、だって呼ばれてたじゃない〈おとうさん〉って」 『それもそっか。 ここだけの話、実はもうひとりあの子が父親呼びしている人がいまして。なぜか仲間からは、そのひととオレとの子供だーって言うんですよ。おかげでよく勘違いされます』 「仲良しなのね。もうひとり、さんとは」 『ええ、いい“相棒”です。そういえば、うちの相棒も貴女の目の色と同じなんですよね』 『凄く似て綺麗な――紫水晶』 「あら、嬉しい。あの“睦月始に”そっくりだなんて。グラビの相方さんから保証済み――なぁ〜んて、帰ったら自慢しちゃおうかしら」 『ダメですって。いまはオフなので、“二人だけの秘密”です。オレのことはひろめないでくださいよ(笑)』 「もちろん。冗談よ」 宝物。紫。水晶(宝石)。生き甲斐。未来。父親。 すべてが“あの日”に使われた言葉。 周囲の誰も知らないその言葉たちを混ぜ込むのは、まるで“あの日”かわした約束が“夢幻ではなく、本当にあったことだ”とお互いが再確認するための、すりあわせ行為のよう。 それでいい。 そういう約束だから。 現に“相棒”――途中まではそのことを言わなかった。 けれどオレがそのその単語を告げたことで、彼女は察したように言葉を返す。 そうして今この瞬間に、ここで出会ったあったのは、“初めて出会ったSIX GRAVITYの弥生春”ということになった。 この後は何気ない会話しかしなかった。本当にどこにでもいる主婦のように、あっさりした会話をして。 互いに互いのための花束を選び、会計へ向かう。 オレはそれに加えて、左京が選んだ猫とおもわしき姿になった花の置物をもって。 別れ際、お互いに愛しい者のもとへ向かうべく、花屋の店先で別れを告げる。 「いちファンとしては、これからも弥生春を応援し続けてもいいかしら?」 『喜んで』 こどもたちが健康で大きく育ちますように。 家族の幸せと健康を願って。 そして、もうお互いが会うことがないように。次がないことを祈って。 「じゃぁね」 『お元気で』 「ねぇ、前も言ったけど――― ありがとう」 『こちらこそありがとう』 * * * * * 「ちょ、おま!?なぁ、いまのSIX GRAVITYの弥生春じゃ?」 「やぁーねぇ、ちがうわよ。そんな有名人がこんなところ歩いてるわけないでしょ。他人の空似よ」 「え?そうかぁ?」 「そうよ!だって彼の名前は《花》。そう“名乗っていた”しね」 「え。あー・・じゃぁ人違いか?うーむ納得いかない」 「あなたねぇ。同じ顔は世界に三つあるって言うでしょう。そもそもあなたそっくりの双子の弟さんと、そこにいる自分と同じ顔した息子までいて何を言ってるのよ」 「あ、いや。だってさ。芸能人だぜ!芸能人と会えたらあとで自慢できるし」 「ほら、お花もって!はい、その子はこっちへ。・・もう。お義母さんへのケーキも死守しないさいよ」 「あ、ああ。って、いつのまにケーキまで買ってんだよお前」 「ふふ。今日は気分がいいのよ」 「さぁ、いきましょう!」 TVからラジオから 音が 唄が 響く。 ―― 行こう♪ 僕ら この咲へ―― |