有得 [アリナシセカイ]
++ 字春・IF帝国 ++
プロローグ
鏡のように
向かい合わせに映る姿は瓜二つ。
一度でさえ涙を見せたことのない彼が、ボロボロと涙を流して泣いている。
静かに、けれどつらそうに。
「これで、よかったんだ」
「オレは・・オレ、は・・・」
『うん』
声をあげて泣く方法を忘れてしまった小鳥は、そのまま地面にくずれるようにしゃがみこみ、
さらに顔をくしゃりとゆがめて、大きな宝石のような目から涙をこぼし続ける。
視線を合わせるようにオレもしゃがみこんで、その背をそっと撫でれば、ひくっと肩が揺れる。
そのまま肩は震え続け、しだいに小さな声がもれはじめる。
うつむいた彼の視線の先の地面は、たくさんの水滴が滲みを作っている。
『ねぇ、“春”。本当はこんな結末、よく、なかったよね?』
「・・・!だって!!誰もやってくれないんだ!なら誰かがやらないと!」
『うん。だから“そのだれか”に君がなった。でも周りは“そんなこと”知らないよ?このままだと君だけが悪役だ』
「それでも、みんなを!」
『・・・わかってる。わかるよ。だってオレも“君”だもの』
「っ・・・でも・・でも」
『オレだけは君を信じてる。君がどんなやつか、ちゃんと知ってるよ』
「オレは!オレはぁっ!!」
重くて。重すぎる枷に、ついには“たった一つ”の選択しか選べなかった彼の背を撫でる。
最早彼の口から出るのは、懺悔の言葉でも弁解でもなければ、助けを乞うものでさえなく――ただの慟哭だった。
大丈夫。なんて陳腐な言葉は、もう目の前の彼には届かない。
それはオレがいちばんわかっていること。
かわりに背を撫でる。
傍にいるよ。
わかってるよ。と・・・
『わかってるから』
「・・・ぁ・・」
『うん。辛かったね』
「あ、ああぁぁ・・」
背をなでる。
せめてオレはここにいるよって。
孤独だけが広がる、あとにはなにもない。そんな茨の道を選んだ彼にも――伝わればいい。
つたわれ。
だって大丈夫なんてオレでも言えない。
見ているだけでは、何も変わらなかったから。
誰かがやってくれるわけでもない。
本当に“大丈夫”だったのなら、彼がここまでする必要はなかった。
壊れそうで、それでも走り続けなければいけなかった。
それはどこにも“大丈夫”なんて、ものがなかったから。
誰も“世界を、そこにいて大丈夫な状態”にはしてくれなかったから。
『オレはしってるよ』
きみがしてきたことを。
きみがなにをおもっていたかを。
だから泣いてもいいんだよ。
“声”を出していいんだよ。
“もとめて”もいいんだよ。
「あ、ぁ・・・ぁぁぁぁあああああ!!!!」
前髪をかきむしるように、頭を押さえて、髪を乱して叫ぶ彼の背を撫でる。
『うん。うん。・・・わかってる。オレだけはちゃんと知ってるよ』
世界のすべてが、彼を否定しても。
それでもたったひとりで、頑張ってきた彼を抱きしめ、オレも同じ気持ちだと頷き返す。
「あ、ぁ・・・あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
目の前の彼のぽっかりと空いた右目はうつろのまま、残された左の目からあふれでる涙はとまらない。
オレの右目から、涙がこぼれ落ちる。
これはきっと彼の涙だ。
こんなにもひとりぼっちで。
さびしくて。
つらくて。
おもくて。
すてさってしまいたくて。
そばにいたくて。
けれど誰の手も取ることも、伸ばすこともできず。
こんなになっても
彼は誰にも助けを求めない。
それでも壊れるわけにはいかなくて。
なにを信じればいいかもうわからなくなっていて。
止まることは許されず。
ただ、ただ・・・走り続けた。
――終幕にむけて。
一緒に駈けつづけたオレだからわかる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、必死で縋り付いてくる目の前の“オレ”は、子供のように泣きじゃくる。
抱き締め返せば、肩に彼のひたいがすりつき、ジワリと服が濡れる。
耳元で鼻をすする音と、小さく声が聞こえる。
ああ、ついに。
ついに彼がその言葉を言った。
ようやくだ。
無意識のように彼から繰り返される言葉に、思わず顔が歪みそうになる。
「 」
その小さく切ないまでの願いに、オレは頷いた。
目の前のうり二つの彼をきゅっと抱きしめ、その頭を優しく包む。
こどもをあやすように背をポンポンとやさしくなでれば、腕の中の彼の泣き声が小さくなる。
オレはみてきた。
彼が何を思って、“ここまで”きたかを――
『“オレ”がみんなのこと大好きだって』
ちゃんとオレはしってるよ。